鈴木鎮一先生を語る

第1回

山本 眞嗣 (聖蹟桜ヶ丘センター・多摩・西部支部ヴァイオリン科指導者)

集中力をつけるために

「なぜ私が最初に″キラキラ星 を書いたのか分かりますか?」あるとき松本の会館でお目にかかっている時に、私は鈴木先生からこの質問を受けました。「基本のパターンを覚えるためでしょうか」とお答えしますと、しばらく煙草をふかしておられた先生は、一言「小さな子どもに集中力をつけるためです」と言われました。その一言から私はいろいろな疑問が氷解していく思いがしたことを、今でもはっきりと覚えています。鈴木先生の発想は、私どもの思っている点とは違うところにあり、もっともっと先の方にあるのではないかと思うことがあります。

「3分間集中する力をつけることがまず最初の第一歩ですよ!」この鈴木先生の言葉はそれからの私の指導の大きな指針となりました。例えば卒業曲について考えてみましても、1巻のゴセックから少しずつタイムが増え、10巻のモーツァルトではおよそ30分になっているのが分かります。少しずつ集中力を増すために曲を選んでおられたのではないかと考えられます。3巻のブーレと4巻のヴィヴァルディ1楽章が近すぎるという声がありますが、集中力を少しずつ増やすチャンスを考えると、よく理解できるのではないでしょうか。

中塚 久 (仙台支部ヴァイオリン科指導者)

二人三手

あれは1960年(昭和35年)の9月だったと思います。鈴木先生が東北、北海道での講演旅行をしてくださることになり、その第一歩を福島に下ろされました。

ご一行は、当時中学一年生だった鈴木映子さん(現アメリカ在住の片岡映子さん)と小学4年生の舘ゆかりさん、伴奏役の鈴木静子先生の4名、駅に出迎え、まず駅前のピーコックというレストランにご案内して、借り切った2階でしばしの旅の疲れを癒していただきました。この日は特に残暑が厳しく、先生は扇子で涼をとっておられたのですが、ふと何か思いつかれたご様子で、「映子ちゃん、ゆかりちゃん、ちょっとヴァイオリンを出してごらん」と二人を呼び寄せられ、一人にはヴァイオリンを、一人には弓と扇子を持たせ、何が始まるのだろうと興味津々の私の目前で、ピタリと息の合った演奏が扇子で送られる涼風に乗って流れてきました。二人三脚ならぬ二人三手、今でこそどの教室でもやっていますが、38年も前のことです。多分ルーツはこの辺にあるのではないでしょうか。

先生もすっかり気に入られたご様子で、「これがいい、これをアンコールにしようね」と決められ、事実これは大喝采を得ました。

吉川 豪一 (長岡支部ヴァイオリン科指導者)

おトナリを良くすること

昭和49年、第2回新潟県大会も無事に終えて、翌朝、鈴木先生にお礼を申し上げるべく、田沢先生とご一緒にお泊まりになっておられる旅館に向かいました。昭和天皇もお泊まりになられた古くからの旅館で、黒い瓦葺きのどっしりとした落ち着きのある構えを見せていました。

先生は私どもに昨日の労をねぎらってくださって、そのお言葉に続いてすぐに指導法についてのお話を始められました。

「ところで、トナリゼーションをやらせていますか」一瞬ドキッとして、「はあ、まだ馴れなくて、ちょっとむずかしくて……」なんだか訳の分からない返事をしました。先生はにこっとされて、「簡単なことだよ。おトナリを良くすることと、生徒に話してやらせなさい」とおっしゃられたのです。その一言でドキドキしていた私の気持ちが少し楽になりました。先生は私がなまけていたことをお見通しだなと思いました。

数日が過ぎて、先生のお話を思い出していて、はっとしました。トナリゼーションは音だけの指導だと簡単に考えていたのですが、その奥にある先生の哲学にふれたように感じたからです。おトナリを良くする、それは一つの音そして隣の音と、正しい響きを作ってゆくことですが、そこには人の存在を感じます。音楽を勉強していく中で人の心と心の触れ合いを通して磨かれ高まってゆくこと、先生はグループレッスンの必要をいつも強くおっしゃいますが、よく勉強をした生徒の音に引き寄せられて他の生徒も立派な音に育ってゆく事実、これはスズキ・メソードの素晴らしさの一つですが、それらが一つの糸でどんどん結ばれてゆくように思いました。鈴木先生の精神が、いくつでもない音のトナリゼーションの中に姿なく生きていると強く感じました。先生のお考えの深さにあらためて驚き、自分のまだまだ未熟であることを思い知ったのでした。

吉田 諒子 (東急支部ヴァイオリン科指導)

うれしかった励ましの言葉

私は平成8年の浜松研究大会の会場で、勤続25年以上の指導者の一人として、鈴木先生から感謝状をいただきました。その時、私は「感謝をしなくてはならないのは私の方にこそあります」と言って松本へ走って行きたくなりました。

思い起こせば、浅間の本郷小学校の子どもの学習用のイスを「コ」の字型に並べた教室での研究会からすでに永い年月がたち、その間に鈴木先生から私はたくさんのものをいただいたのですから。

そんな中で一回だけほめていただいたことがありました。
昭和50年代のいつ頃でしたか、全国大会の前夜祭でのこと。和気あいあいで歓談の最中に、鈴木先生が私の方に歩いていらして右手を出され、「あなたの生徒の音が大変良くなりました」と握手をしてくださったのです。その時の私のうれしかったこと。顔が上気してくるのが自分でも分かり、今さらながらに鈴木先生はテープを全部聴いてくださるのだ。そして良いとお感じになると、こうしてほめてくださると思うと本当に感激しました。今思い出しても胸にじんとくるものがあります。

今でも録音の時期が来ると、このような生徒の音を先生は何と思われるかなと反省の気持ちと「先生、ごめんなさい」という甘えの気持ちでテープをとっています。今、先生のなつかしい笑顔に思いを馳せ、あの日感激した自分にもう一度戻って一生懸命やらなくてはいけないと思っています。

武井 玲子 (北多摩支部ヴァイオリン科指導者)

鈴木先生の手

1952年、霧ヶ峰で開かれた第2回夏期学校に、小学校三年生で初めて参加いたしました。昼間はヴァイオリン以外の写生、自然観察など好きな課外活動を選んで勉強し、夜は灯りの下に集まってくる虫や蚊の中での合奏レッスンです。ヴァイオリンを弾いているので、両手がふさがっています。かかしのように片足で立って、蚊に刺されたところをもう一方の足で掻いていると、だれか皆の足の間をかいくぐるように入ってきて蚊を追い払い、かゆいところを掻いてくださる。誰だろうと後で聞いてみると、鈴木先生でした。その時が鈴木先生の″手 に触れた最初の記憶です。

次の年、霧ヶ峰から今の「あがたの森」に下りて来ての夏期学校の最終日、ヒマラヤ杉の下で一人ずつに握手をしてくださる鈴木先生の″手 を握る私たちの目は、お別れしがたくて涙でいっぱいでした。

その頃の夏期学校は人数も少なく、鈴木先生ともっと身近に接することができ、幸せでした。お昼休みの木陰で、万年筆のインクを取り出し、割り箸にインクをつけて、先生の″手 がさっと動くと、あの見事な山の絵が描けている。魔法のようでした。

指導者になってからの研究会の朝、どんなに冬の寒い日でも、一生懸命早く行っても先生の方が先に待っていてくださって、ご挨拶の握手をすると、冷たい手に「栄養が足りないよ、もっと美味しいものを食べなさい」とチョコレートをくださることが多く、その時の先生の″手″は、温かく・柔らかく・そして力強い″手″でした。

1996年の夏期学校の開校式には、おからだをそこなわれてから久しぶりに先生がお顔を見せてくださいました。続いての合奏レッスンも楽しそうに聴いてくださいました。その時に握手した″手″も以前と同じ力強い″手″でした。

この″手″に守られて、この″手″から出る音を求めてここまで来られたこと、本当に幸せでした。

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