鈴木鎮一先生を語る

第2回

安田順子 (武蔵野支部ヴァイオリン科指導者)

高い波動を受けて

松本音楽院は、私の小学生時代にさまざまの経験の中で、最も強い印象を与えられた所です。うれしかったこと、悲しかったこと、いろいろ思い出されます。ふだんのレッスンのことより、日曜日の合同レッスンの方が、印象に残っています。始まる前に、鈴木先生と皆とダルマストーブを囲んで、先生がニコニコしながら話しかけてくださるのを、心待ちしたものです。先生は、きさくで、だれにでも対等に話をし、少しも偉ぶったところがなくて、本当に私たちは、皆、大好きでした。日曜日の合奏は、顔見知りになった他のクラスの仲間と会えることも、楽しみの一つでした。また、鈴木クラスの人たちの上手な演奏が聴けたのも、とても良い刺激になり、「あの曲が弾けるようになりたい」「あんな風に弾けたらいいな」とあこがれ、目標を持つことができました。

同じ音楽院の中ですが、夜のホームコンサートもなつかしく思い出されます。テーブルに白いクロスがかけられ、おいしそうなお菓子が載っていて、子ども心に、昼間とはまるで違う雰囲気にドキドキしたものです。何しろ、一人が演奏し終わったら、他の人の前でおじぎをし、された人は演奏することになっていたものですから、ある日、豊ちゃん(村上豊先生)におじぎをされました。

今、思えば、鈴木先生の高い波動を受けて、私たち一人ひとりが輝いていたような気がします。先生は、子どもたちを愛し、可能性を信じ、皆、立派に育ってほしいと、心から願われていました。どれほど応えることができたでしょうか。鈴木先生の願いをいつまでも絶やすことなく持ち続け、努めていきたいと思っております。

田岡恵子 (千葉第二支部ヴァイオリン科指導者)

生活のすべてがレッスン

鈴木先生と言えば、年中無休。日曜、祭日はもちろん、元日からも才能教育会館へ出ていらっしゃいました。定年を百十歳とされていた先生は、当時七十歳前半、まさに働き盛りだったと思います。おけいこテープや研究ビデオ作り、それに一茶のかるたやテープも考えていらした頃です。各種行事、講演などのお出かけから、来客の応対、原稿書きなど、想像を絶する忙しさの中で、研究生のレッスンには相当の時間を当てられ、レッスン以外の時も、親代わりのように皆に気を配ってくださいました。また、ご自身でも、カザルス、クライスラーを聴かれ、常に奏法の研究を欠かされません。新しい発見があると、研究生の部屋をのぞかれ、「ちょっとレッスンにいらっしゃい」という具合でした。

「私は、疲れると色紙を描いたりして休むんです。何もせずに、ただ休むことはありません」とおっしゃいます。奥様がドイツへお里帰りされる間、研究生が二人ずつ交代で、先生のお宅へ泊まり込みで食事の用意に行っていた時のことです。つい夜中までおしゃべりをしていた日、ちょうど三時に起きていらした先生は、「あんたたちはこれから寝るのかね、私はもう起きたよ」と和室に入られ、カセットを回していらっしゃいました。やはり側には、色紙や短冊が置かれていました。

「芸術とは、生活です」「先生とは、先に生まれて、先ず生きているだけです」まさに、生活のすべてがレッスンだったと思います。

想えば、何も分からず夢中だった頃から、代教も経験し、指導者になってからも含め、鈴木先生の許で学んだ貴重な五年間は、私にとってもフル回転の充実した時期で、その後の生活の大切な指針となっています。

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