鈴木鎮一先生を語る

第4回

佐々木衣子 (松本・大町支部ヴァイオリン科指導者)

思い出

松本音楽院の前で、友だちと三人で写っている古びた写真……。たびたびプログラムなどに載せていただいているこれは、多分、音楽院二階の幼児学園が終わると階下に降りてヴァイオリンのレッスンを受けていた頃のものでしょう。いかにも田舎の子の風情、手作りのゴム入りスカートの私。

鈴木先生もよくお二階まで上がっていらっしゃり、俳句やお絵かきをご一緒に楽しんでくださったものです。ある時「一列に並んでヨーイ・ドンで走って行って、あちらにあるくつ下をはいて戻る、というゲームをしましょう……」とおっしゃり、鈴木先生が審判員でしたが、喫茶店「まるも」の陽子ちゃんと私の二人が揃って抜群(?)のビリで大笑いされ、以来、私は何をやってもスローモーで有名になりました。

小学校の頃には、国内外からお客様がお見えになるたびに先生のお宅に呼んでいただいて、合奏をしたりゲームをさせていただきました。先生は次々にいろいろな楽しいゲームのアイデアを考えられ、遊びながら様々な勉強をさせていただきました。

中学生になった私は、鈴木クラスのお仲間に入れていただき、毎週遠くから通っていらっしやる生徒さんたち(現 末廣・舘先生方)とご一緒に先生のお宅でレッスンを受けるようになりました。その頃のレッスンは厳しく、先生はお部屋の電気を消して聴いてくださるのですが、おけいこをしてない時には、初めの音をお聴きになっただけでパッと電気をつけられて「今日はおけいこができてないようですから、もう結構……」と言われてしまったこともあります。日曜日にはグループレッスンも交え全員のレッスンを聴き丸一日がかりでしたので、学校の試験などで辛い時もありましたが、一番近い私がお休みする訳にも行かず、また、すてきなお菓子やお昼が楽しみでもあり、一度も休むことなく通い続けました。

高三になり、生意気にもヴァイオリンというよりも音楽というものをどうしても勉強したいとの思いから、私は、音大を受験、鈴木先生は私の気持ちを静かにお聴きくださり、たった一言「また帰って来るね……」とおっしやいました。卒業して戻った私を暖かく迎えてくださり、「いつもニコニコしているから、その顔なら先生になれるよ」と、なんとヴァイオリンとは関係なく指導者の許可をくださったのでした。ところが指導者の立場になってみると、自分の仏頂面にハッとすることが多く、この「ニコニコ」は、先生にいただいた宿題だと思われるこの頃です。

先生のご健康をいつもお祈り申し上げながら、先生のお教えを、少しでも正しく生徒たちに伝えてゆけますよう、がんばってまいりたいと存じます。

正岡紘子 (お茶の水センター支部ヴァイオリン科指導者)

思い出の数々

私にとっての鈴木先生は、先生というより戦死した父に代わる存在です。先生も、音楽についてたいへん厳しいご指導をしてくださる反面、父親のように箸の上げ下ろしから人生に至るまでをことごとく教えてくださり、また興味を失わないようにお話やゲームを考えてくださる三つの顔を持って、私に接してくださったと思います。

小学校三、四年生の頃、私ども生徒は、指導曲集、副教材などの編纂の実験台のようなものでした。ほとんど毎日お電話があり、「すぐ来てください。良い考えが浮かびました」とおっしゃられ、そのつど祖母が学校に迎えに来て、早退して先生のお宅へ伺いました。地方への講演の際もお供しましたため、母が学校に呼ばれて「あと一日休んだら留年です」と言われたほどでした。

そんな状況ですから、数限りなく思い出すことがあります。レッスンについては、とても厳しかったのですが、演奏旅行の途中の汽車の中や行った先での一息の時などは、一転して楽しい思い出ばかりです。先生のさりげないユーモアに気づいてニヤッとすると、いつも大喜びで目で合図されます。私は、(仲間のとみ子ちゃん=志田、庸子ちゃん=大池も同様でしたが)無愛想な子で、声を出して笑うようなことはしませんでしたが、先生の目はついこの間まで健在でした。常に周りを退屈させないように心がけてくださっておられました。楽しかったゲームなど、どれか一つにしぼれないので、列記します。

○犀川など流れのゆったりした川原では、表面の平らな石を投げて十回、二十回と波面に跳びはねさせて見せる。(小石の川渡り)
○新聞紙を丸めてインクを一滴たらし、現在の卒業証書のような山の絵を描く。
○汽車の中などでは、実にいろいろなゲームを考えてくださり、一緒に遊んでいただきました。指遊びや互いの手を握ってじゃんけんで勝った方が相手の手を叩くなどなど。こんなゲームを四時間も五時間も際限なく続けました。何しろSLで、松本~束京間八時間もかかりましたから。
○新年会、お誕生パーティーなど、お宅での集まりも私たちの楽しみでした。新年会は盛大なゲーム大会で、先生とひな様で毎年ずいぶんいろいろなゲームを考えてくださいました。百人一首などの他に定番は「碁石はさみ」で、タカタカタッタのリズムに乗って塗箸で碁石を皿から皿へ運ぶ。「伝言バトル」は、コヨリを唇の下や、鼻と口の間にはさんでやるなどなど。
○気候のよい時は、バドミントン大会もよくありました。
○支部の集まりなどの余興に、鈴木先生は落語や手品をよくなさいました。私たちは、劇などをしました。

私や真峰紀ちゃん(紀一郎)は、ちっとも上品に感化されず、当時はやりの美空ひばり、江利チヱミ、ハタマタ笠置シズ子の「東京ブギウギ」を振りをまじえて先生の前で披露して(自分では覚えていません)、「あんな恥ずかしいことはなかった」と母は言います。今、考えますと、幼稚園児や小学生を相手に、ヴァイオリンを持っても持たなくても、本当によく遊びながら覚えるように仕組んでくださったものだと思います。自分が当時の先生と同じ年頃になってきて、生徒と接する時にむずかしい顔をして、文句ばかり言っているのを、つくづく反省します。

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