「スズキの指導曲集は、バロック音楽の宝庫」と称するコンサートが開かれます!

2016年7月10日(日)14時開演 松本市音楽文化ホール

クリックで拡大 ヴァイオリン科出身のOBで愛知県立芸術大学准教授の桐山建志先生が、スズキ・メソードの指導曲集を「バロック音楽の宝庫」として讃え、チェンバロの大塚直哉さんと指導曲集の源流を探るコンサートを開催します。7月10日(日)松本市音楽文化ホールで、14時からの開演となります。

■入場料 一般 3,000円、ハーモニーメイト 2,000円、大学生以下 1,000円(全席指定)
■曲目
・ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番 ニ長調 op.1-13
・ヴェラチーニ:12のアカデミック・ソナタ op.2より
        ソナタ第7番 ニ短調
        ソナタ第8番 ホ短調
        ソナタ第11番 ホ長調
・J.S.バッハ:ヴァイオリンと通奏低音のソナタ ホ短調 BWV1023
・エックレス:ソナタ第11番 ト短調
・コレッリ:ラ・フォリア ニ短調

 マンスリースズキでは、桐山先生にこのコンサートの目的とするところ、内容などについてお話を聞きましたので、ご紹介しましょう。皆さんが日頃練習している曲の原曲がどんな曲なのか、そして鈴木鎮一先生がどんな思いで指導曲集に加えられたのか、興味津々なお話が展開されます。

桐山建志先生にインタビュー

━━━指導曲集には、どのような経緯でバロックの曲目が多く使われていらっしゃるのでしょうか?

  •  指導曲集の中には、バロック時代の曲が多く入っていますが、おそらく鈴木鎮一先生はオリジナルの曲から加えられたのではないと考えています。今から100年ほど前にドイツにウィリー・ブルメスターというヴァイオリニストが活躍していました。この人が、いろいろなバロック時代や古典派の音楽をヴァイオリンとピアノ用に編曲していたのです。4集あって、48曲残しています。たとえば、指導曲集第2巻に出てくる「リュリのガヴォット」は、ブルメスターの編曲ですと音が高いので、指導曲集では低い音域で弾けるように、さらに編曲されていることがわかります。鈴木先生が子どもたちのおけいこにちょうど良いものを選ばれ、さらに手を加えられていることがわかります。「ゴセックのガヴォット」も元々はゴセックのオペラ曲でしたが、ブルメスターの編曲で、これも音の高さを低くされていますね。

━━━ブルメスター版の48曲を探されるのは、大変だったと思いますが。

  •  こういう時代ですから、インターネットですね。楽譜検索サイトのISLMPに出ていました。具体的な曲名で検索したところ、なんの曲だったか、もしかしたら「ゴセックのガヴォット」だったかもしれません。それで、4集ともすべて閲覧することができて、これとこれが指導曲集にある、ということが具体的にわかりました。

━━━鈴木先生は、ドイツへの留学時代にそうした譜面をたくさん蒐集された可能性がありますか?

  •  そうだと思いますね。おそらくですが、日本にたくさん持ち帰られたのだろうと思います。「ヘンデルのブーレ」については、音の高さなどもそのまま使われているように思います。鈴木先生が多分この曲集の中から選ばれたのではないかと推測するだけでも、先生の足跡をたどる旅になります。ただ、そのブルメスター版の現物は、東京の楽譜店さんによりますと、第1集と第2集の2冊しか実際には手に入らないそうで、多分絶版になっているのだろうと思います。

━━━桐山先生が指導曲集の原曲に興味を持たれるようになられたきっかけは、どんなことからでしたか?

  •  本当のきっかけは、関東地区ヴァイオリン科指導者として活躍された今村直子先生のおかげです。今村先生が、指導曲集に入っている曲の原曲をずっと調べられていて、原曲の録音を集めたテープを作って、生徒さんたちに聴かせておられました。もう亡くなられて6年くらいになりますが、先生のブログ「なおなおぽんの部屋」は、今も親御さんの管理で公開されています。
  •  今村先生と知り合ったきっかけは、私の初めてのリサイタルを2000年に開催した時に聴きに来てくださって、その時も指導曲集に入っているバッハの「ラルゴ」の原曲である無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番を演奏したのですが、演奏後に、今村先生が楽屋にいらしてくださり、「桐山先生、バロックヴァイオリンを習いたいのです」とお申し出があったのです。
  •  それでいろいろと話していく中で、今村先生が指導曲集の中の曲の原曲を一生懸命調べておられることがわかり、元々私自身も興味がありましたし、彼女から教えていただいた曲もあります。しかし、エックレスのソナタだけは、原曲がわかりませんでした。当時は今のように初版譜を見ることができなかったですから。ある時、私の別のお弟子さんが、ボンポルティのインベンションの第4番をコンサートプログラムに入れていて、その終楽章がエックレスの第2楽章にそっくりだったのです。それで、いくら調べてもエックレスが出てこないのは、のちの人がいろいろな曲をミックスさせたのかと想像しましたが、そうではなくて、エックレスはエックレスとしてきちんと存在していたことがわかりました。結局、指導曲集の「エックレスのソナタ」は、12曲あるヴァイオリンソナタの第11番が採用されていました。
  •  それで、今村直子先生が亡くなられた年だったと思いますが、彼女の誕生日(10月18日)にリサイタルを開き、その日にボンポルティとヴェラチーニとヘンデルなど、指導曲集に入っているバロックの曲の元の曲を演奏させていただきました。きっと今村先生も喜んでくださったと思います。

━━━そうした取り組みを形にして残すことを考えられたのですね。ヴァイオリン音楽の泉〜18世紀イタリアの名手たち 大江戸バロック 桐山建志/大塚直哉 ALCD-1152 2,800円(税別)

  •  そうですね、いつかCDにしたいなと思っていました。私は、松本市の鳥羽尋子先生クラスの出身ですけれど、先ほどのリサイタルの後で、鳥羽先生から「ヴェラチーニのソナタの原曲を探しているのだけど」というお問い合わせをいただいて、その時はライブ録音がうまくいっていなくて、失敗していました。それで2015年になって、ボンポルティとヴェラチーニのCDを新しく録音する時に収録することができました。それがこのジャケットのCDで、7月10日のコンサートでもご一緒する大塚直哉さんのチェンバロとの共演になります。鳥羽先生にも大変喜んでいただけました。

━━━バロック音楽には、手を加えることでさらに輝きを増すような自由度があるのでしょうか?

  •  本当に自由ですね。基本的に、楽譜には音符と休符しかありません。たまに強弱が書いてあるくらいです。書いていないというのは、一つは書きたくても書き方が存在しなかったわけです。たとえばですが、クレッシェンドという記号はバロック時代はありませんでした。ヴェラチーニは、黒塗りの三角形のような独自の図形を書き、さらに「この記号はピアノで始まり、だんだん大きくしてフォルテで終わる」とイタリア語で注釈をつけています。つまり、クレッシェンドという言葉は一般に存在していなかったことがわかります。
  •  もう一つは、バッハのように自らが演奏するような作曲家の場合は、演奏に対して自分で注文をつけることができたわけです。だから、あらかじめ書き込む必要がなかったことになります。そして、第3の理由は、楽譜は書いたけれど、あとは演奏家にお任せします、という理由です。それが、だんだん時代が後になるにつれて、作曲家が事細かく指示するようになって、ちょっとしたニュアンスまで楽譜に書き込むようになりました。でも、それも限界があります。最後の最後は、演奏家に任されているわけですが、バロック時代は、任されている部分が、今よりはるかに多かったと思います。

━━━バロックヴァイオリンで今回のコンサートは演奏されるのですか?

  •  はい、バロックヴァイオリンで演奏します。当時のバロックヴァイオリンを知ることは、いろいろなことを楽器が教えてくれるということがありますね。楽譜にこう書いてあっても、バロックの弓ならこう演奏するというのがありますが、それをモダンの楽器にフィードバックするとこうなると考えることは、とても面白い作業です。少なくともバッハに関しては、どんなアプローチをしても、いいものはいい、と思います。アーノンクルールだけがバッハではなくて、リヒターだって、カザルスだって、カラヤンだっていいと思います。本当は両方できたらいいと思いますね。欲張りですが。
  •  あと、これは今回のコンサートとは関係なく将来の夢ですが、シューマンがバッハの無伴奏ヴァイオリン曲にピアノ伴奏をつけた編曲をしています。これをいつか演奏してみたいと思っています。この作品で描かれているのは、バッハの100年後の世界で捉えられていたバッハの世界になるわけですが、それでも今から200年前の古楽です。それぞれの時代にそれぞれの良さがあったことがわかります。

━━━今回のコンサートでのプログラムは、すべて指導曲集からの曲になりますか?

  •  そうですね、すべて指導曲集に入っている曲の原曲になります。指導曲集に入っていて、ヴァイオリンとチェンバロで演奏できる曲は、さきほどのCDを含めて、すべて録音することができました。共演してくださるチェンバロ奏者の大塚直哉さんは、大学時代の4年後輩で、通奏低音のスペシャリストです。彼とは、バッハが結びつけてくれた仲と言えるでしょうね。当日のコンサートでは、多くの皆さんに楽しんで聴いてくださればと思います。

━━━ありがとうございました。