第26回東海グランドコンサートを、11月5日(日)に開催しました!

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 26回を数える東海グランドコンサートを、11月5日(日)13:30開演、岐阜県多治見市のバローホール(多治見市文化会館)で開催しました。今年も800人の生徒たちが、日頃の研鑽ぶりをご披露しました。上記のスライドショーでは、リハーサル風景も含めて、紹介しております。

→当日のプログラムは、こちら

 3部構成の第1部では、豊田耕兒先生の指揮で、モーツァルトのディヴェルティメントなどを演奏。その弦楽合奏による伴奏で、チェロ科はヴィヴァルディのソナタ ホ短調を、フルート科はグルックの「精霊の踊り」を、ヴァイオリン科は、バッハの協奏曲イ短調を演奏しました。
 第2部は、ピアノ科の生徒が3曲を演奏。チェロ科は上級生によるハイドンのチェロ協奏曲 ハ長調 第1楽章、ヴァイオリン科も上級生によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調 第3楽章(指揮は豊田耕兒先生)を息のあった演奏で披露し、聴きごたえも十分でした。
 休憩後の第3部は、チェロ科、フルート科、ヴァイオリン科の斉奏が続きました。フルート科では、参加メンバーを広く募集したおかげで、東京や関西からも生徒さんたちが参加しました。合奏では、曲の進行に合わせてステージいっぱいに増えていくスタイルが圧巻! 客席もステージもスズキの音が大きく響きわたりました。

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第26回東海グランドコンサート実行委員長 加藤寿子先生(ヴァイオリン科)より 


 才能教育研究会は、終戦の翌年、昭和21年に設立されました「松本音楽院」が礎となっております。鈴木鎮一先生は、何と時代の先端を行く英断をくだされたことかと思わずにはいられません。また、もうひとつ驚くべきことは、70年たった今でも、スズキ・メソードと名づけられたその考え方、方法は少しも変わっていないということです。

 生徒たちは日々、スズキ・メソードでそれぞれの楽器を学んでおりますが、このグランドコンサートでは大勢の仲間たちと気持ちを合わせ、立派な演奏を皆様に聴いていただこうと、家庭で、教室で、また合同練習で励んでまいりました。

 格調高く、また楽しいプログラムで皆様をお迎えしますので、ぜひ深まりゆく秋に染まる美濃の地、多治見へお越しください。


 また、10月9日の合同練習では、早野龍五会長による記念講演会も行なわれました。これは、11月5日の本番の日が、南米コロンビアへの出張と重なったため、特別に開催されたものです。その内容を、ここで紹介します。


第26回東海グランドコンサート 早野龍五会長 記念講演会       
2017年10月9日(月・祝)午後1時
多治見市バロー文化ホール
                            
 みなさん、こんにちは。早野龍五です。夕べの夜11時にニュージーランドから帰ってきました。

 先生方、なかなか人使いが荒くて、実は豊田耕兒先生も一緒に、夕べ11時に僕と一緒にニュージーランドから帰ってきました。何のためにニュージーランドにいたかというと、国際スズキ協会というのがあって、この「スズキ・メソード」は日本で始まったのですが、今は世界で50近い国・地域で、40万人くらいが学んでいるということで、その世界の各地域の代表が1年に1回集まって、それで国際的にこのスズキの活動をどのように広めていくか。鈴木先生の始められたこの「スズキ・メソード=才能教育」が始まっていない国に、どのように広めていくかを定期的に相談する会議に豊田先生はその会の名誉会長ということで毎回出席をしておられます。私は会長になりましたのが2016年の夏で、それで日本の代表としてこの会議に参加をするのが今年初めてだったので、いくつか重要な懸案もあったのですが、3日間の会議、楽しんでまいりました。

 私は岐阜県の出身で、このあたりは割とよく知っています。従兄弟が瀬戸に窯元でいまして、このあたりにはよく来ました。多治見の駅に降りるのは実は初めてですが、出身地は大垣のちょっと西側、そこで生まれまして、子どもの頃、医者だった父が松本にある信州大学の医学部の助教授、今は准教授といいますが昔は助教授と呼んでいました。それで松本に赴任しましたので松本に行って、そして4歳の終わりくらいから松本音楽院でヴァイオリンを習い、そしてその後、鈴木鎮一先生のお宅に毎週通って鈴木先生からヴァイオリンのレッスンを受けるという、今から考えるととても贅沢な子ども時代を過ごしました。

第1回海外演奏旅行のメンバーたちと そして1964年、50年以上前ですが、第1回のスズキ・テンチルドレン、10人の子どもたちによる海外演奏旅行ですね、それの第1回の10人の1人としてアメリカに行かせていただいて、3週間くらいでしょうか、全米でのコンサートに参加をさせていただきました。まあそういうことで子ども時代に鈴木先生に大変にお世話になり、自分もヴァイオリンをやってアメリカにも行かせていただくという、とても恵まれた育ち方をいたしましたが、その後、音楽ではなくて科学の道を選び、才能教育からも高校を出た1974年に松本を離れて、それ以来、松本にほとんど行くこともなく、鈴木先生にお目にかかるチャンスもあまりなく、物理学をやって、そして東京大学でこの3月まで現役の教授として研究をしてまいりました。今でも研究は続けていまして、研究の現場はジュネーヴのCERN(セルン)研究所というところで、今日はその話はしませんけれども、「反物質」というものの研究をずっとやってきたわけですが、ご縁がありまして、昨年、才能教育研究会の会長にご推挙いただきまして、会長をやらせていただいております。

 それで最初にまず忘れないうちに宣伝をしておきますが、来年、2018年の4月4日、「第54回グランドコンサート」をいたします。昔、グランドコンサートに行ったことがある方おられますか? お子さんで。多分おられないと思いますが、最後に開催したのが9年前です。それが52回のグランドコンサートでした。それで7年前に53回のコンサートというのを企画していました。これが2011年です。来年のコンサートから数えると7年前ですね。2011年の3月に東京の日本武道館でコンサートを予定していたのですが、ご存知のように東日本大震災があって、そして津波の被害・地震の被害、その後、福島第一原子力発電所の事故が続いたので、2011年に予定していた53回のコンサートを、切符も買っていただいていたのですが、キャンセルするということになりました。とても残念だったのですが、その後「ぜひ、再開をしてほしい」という会員の方々からの声、それから先生方からの声、いろいろありました。そろそろできるかなぁと社会の落ち着いてきた情勢などを見て、2018年4月に前回キャンセルしたグランドコンサートから7年ぶりに、そして実際に行なわれた52回のコンサートからは9年ぶり、実に9年ぶりに第54回グランドコンサートを開くことになりました。

 場所は両国の国技館、お相撲をやるところです。だいたい2,500人ぐらいのお子さんたちが舞台の上に立てる会場です。観客席もたくさんあります。外国からも参加をしたいという声がありまして、本当に久し振りの大きなイベントでありますし、その日は、多分日本のほとんどのところはまだ春休みの終わりの方だと思います。学校は始まっていないと思いますので、これから参加の登録を始めますから、ぜひ来ていただければと思います。

 今回は今までと少し違った趣向でやります。というのは、スズキの子どもたちだけではないコンサートになります。エル・システマジャパンという、これは東日本大震災のあと、その被災地の子どもたちに楽器を提供して、そこでスズキの指導曲集などを使ってヴァイオリンやヴィオラやチェロ、それを子どもに教えて、オーケストラに編成しています。これは福島県の相馬市と岩手県の大槌町、そこにはスズキ出身の先生方も現地に行かれて、指導にあたってこられました。    

 そのエル・システマの子どもたちも今度、両国の国技館に来て、そこでスズキの子どもたちと一緒に弾き、エル・システマのオーケストラとスズキのオーケストラとが共演します。大変困難な生活をされることになった東北の被災地に、そこで音楽で明るい子どもたちが育ってきた、そういう子どもたちとスズキの子どもたちが一緒に弾ける、そういう場所を今回のグランドコンサートのプログラムの一つとして作ることを企画いたしました。

 そういう、少し違う育ち方をした子どもたちですが、今とてもよく育って外国のオーケストラなどとも共演できるような力をつけてきました。そういう子どもたちとも一緒に演奏できる機会を今回作りますので、その観点でも今回来ていただけるとうれしいなと思います。

 エル・システマとスズキとの関係、そもそもエル・システマって一体どういうものか。それは「鈴木先生の才能教育」に大変に感銘を受けた、外国の、特にアメリカの先生方が当時ベネズエラで最初に貧困層の子どもたちに楽器を与えて育ててきた、そこに日本からも小林武史先生やスズキの先生が教えに行かれました。とても恵まれない子どもたち、経済的にも恵まれない子どもたちが力強く音楽を学んできた、そういう中から世界的に今や有名な指揮者であるドゥダメルなどが育ってきました。ルーツはスズキにあって、それが今世界でエル・システマはエル・システマなりに、そしてスズキはスズキなりに多くの子どもたちに力を与えて発展をしてきました。                             

 日本では、2011年の震災という非常に困難な状況の中でエル・システマが始まり、そしてスズキの先生たちも関わって子どもたちが育ち、それを今回、グランドコンサートでスズキの子どもたちと福島県の相馬市と岩手県の大槌町、そこのエル・システマの子どもたちのオーケストラと一緒に共演をする。最後にみんなでキラキラ星を弾くということを予定しております。

 さて、鈴木先生は・・・僕が高校に入った頃ですね、実は今から考えると、とても冷や汗の出るようなことを私はやりました。高校に入って、自分が将来どうしようかということを大変に悩んでいた時期があります。みなさんも多分、お母さんお父さん方もそういう時期があったと思いますし、お子さん方もそういう時期が来ると思いますが、僕の場合は音楽を自分の仕事にしていくのか、親が医者であり、実は祖父も医者であったということから、周りからは僕が音楽の道に進むのではなくて医者になるのだろうということを思われていた、そういう中で本当は自分は何をすべきなのかということを大変に悩んでいた時期がありました。中学が終わって高校に入った頃ですね。

 私は長野県立深志高校という松本市の高校に通いましたが、その時にいろいろ考えて、自分は少なくとも音楽ではなく、医者かもしれないけれども、とにかく科学の道に行こうと思い、ある日鈴木先生のお宅、今は鈴木鎮一記念館になっている、夏期学校においでになった方は必ずみなさん行っておられると思いますが、あのお宅に行きまして、先生に「こういう事情で僕は音楽ではない道に行きます」と、「先生の所でレッスンをしていただくのは今日で最後です」とお伝えをするという、今から考えると背筋がぞっとするようなことをしたのですが、その時に鈴木先生は、まあにこにこと聞いておられました。

 私が子どもの頃から、鈴木先生は、才能教育というのは音楽家を・・・もちろん才能教育で育った立派なプロの音楽家、大勢おられますけれども、鈴木先生は、「これは音楽家を育てるためにやっているのではない」ということをたびたび言っておられました。「私はよい人間、よい市民、(先生は市民という言葉も使っておられましたが・・・)を作るためにこの才能教育をやっている。これをやることによってその子どもたちが協調性、グループレッスンなどで他の子どもたちと一緒に演奏できる。それから忍耐力、繰り返し弾けるようになるまでちゃんと繰り返し練習をする。毎日練習する習慣が身につく。何かそういうことで非常に基礎的な、子どもたちにとって大事な力がつくことによって、その音楽ができるということではなくて、子どもたちが将来いろいろな方向に行っても、きちんと各々の場所で立派な活躍ができる、そういう子どもを育てるためにこの才能教育をやっているのだ」ということを繰り返して言っておられました。それで私自身は音楽に進まないということを鈴木先生にお伝えした時には、自分として迷いはなかったのです。

 最近、いろいろなところで幼児教育、今回選挙もあってですね、いろいろな政党が幼児教育の無償化であるとか、財源をどうするとかいうようなことも言うようになりました。鈴木先生ご自身は、それこそ70年近く前に教育委員会の委員に立候補されたりして、特に国の幼児教育のあり方というものに対して自らそれを改革していこうという意識を強く持っておられた方ですが、ようやく日本も世界も幼児教育、子どものうちに子どもによい教育をするということについて非常に意識を高めて、それをいろいろな国が実践をするようになりました。

 そこで重視されていることは、必ずしも子どものうちに読み書きを教えるとか、英語を教えるとか算数を教えるとかいうことではないということもわかってきています。これはアメリカでノーベル経済学賞を取った先生が40年間にわたって・・・ヘックマン先生という方ですが、「幼児教育の経済学」という本を出しておられます。子どもたちに教育をする、その教育の投資、いろいろな意味で社会はあるいは家庭は子どもに投資をして教育をするわけですが、どこにどの段階で投資をすると最も子どもがよく育つかということについて長年の研究がなされていて、そしてそれは決して大学受験の時ではないと。教育の投資が一番効果を表すのは幼児期である、学校に上がる前ぐらいの年齢のところで一番その教育効果が上がると。それは決して学校に入ってから学ぶことをちょっと先取りして学ぶという意味での幼児教育ではないということが、いろいろな方の研究でわかってきています。

 そこで強調されているのが、それこそ鈴木先生が繰り返して言っておられた、協調性であるとか、きちんと弾けるようになるまで弾く、練習をする、ある意味忍耐力であるとか、毎日の習慣、毎日ちゃんとお稽古をする、ご飯を食べる、そしてお稽古をするという習慣、それを子どもの時に身につける。それをやることによって楽器がうまくなる、楽器が弾けてうれしい、そしてもっと弾けるようになってもっとうれしいというだけではなく、それを通じて身につけた、ヘックマンが言うところでは「非認知能力」と彼は呼んでいるんですが、学校の成績ではかれないような粘り強さのようなものが育つ、そういうことが幼児教育、小さい時に教育をすることの一番の価値であると言うことをヘックマンなどが言いまして、それが世界的に幼児教育に大事であるということを言われるようになったきっかけとなっています。でもそれはもちろん70年前から鈴木先生が言っておられたこと、そして実践をして大勢の子どもがよく育って、そして世界中がそれを見て、驚く。その子たちは必ずしもみんな音楽家になるわけではなく、しかし社会に出て、立派に活躍をしているということが示されています。

 この春、才能教育は70年目にして初めて外部評価委員会というのをやりました。チェロの堤剛先生をはじめとして、才能教育のことにご理解いただいているけれども内部の方でない先生方にお集まりをいただいて、才能教育がどういう社会の中でどういう役割を果たしてきたか、そこで育った子どもたちはどんな活躍をしているかということをいろいろな資料を作って、そしていろいろなご意見をいただきました。そういう中で我々が用意した資料でも才能教育で育った子どもたち、もちろん音楽家として大成をされた方、大勢おられますが、そうではない方々、大学や大学院に行き、さまざま社会的に大事な仕事をして活躍をしておられる方がいかに多いかということも資料として出しました。これは因果関係を明確に証明することは難しいですが、それらのお子さんたちが小さい時にきちんと練習をして毎日努力をする。そしてその目標を持って努力達成をするまでそれをやめずに練習をして、そしてまたその次に新しい目標を作ってそれに向かって努力をする。スズキでいえば指導曲集の1巻、2巻、3巻とだんだん難しくなるその曲をきちんと弾けるようになって、そしてお家で褒めていただき、先生方にも褒めていただく。そうやって育っていくという、まさにその鈴木先生のスズキ・メソード、それが子どもたちをよく育てる。それが世界的に最近言われるようになった「非認知能力」、ヘックマンたちが言うような、子どもたちにとって一番大事な力を幼児期に身につけさせる、それに一番力を発揮している一つの例として、このスズキ・メソードは素晴らしいものだと思います。

 せっかく今スズキ・メソードで始められたお子さんたちですので、できる限り高い目標、そして長くそれをきちんと続けていかれること、それによって鈴木先生が目指されたその立派な人間・立派な市民に育つということをおそらく実感されていると思いますが、あるいは先生方からもそういうことをお聞きになっていると思います。

 私自身を振り返っても「物理にヴァイオリンってどう関係したのですか?」ということを皆から聞かれましたが、もちろんヴァイオリンが弾けることと物理ができることとは直接の関係は何もありませんが、振り返ってみると、やはりその昔、きちんと弾けるようになるまで練習をしたこと、自分でこうやると決めたら、それをちゃんとできるところまで努力するという癖がついたこと、それがその後、まったく別な方向に進んだ時にも自分が新しい困難、新しいチャレンジ、それに対してきちんとそれに向き合って一歩ずつ前に進んでいくその力は、自分が小さいときに親しんだ、そして鈴木先生から直接教えていただいたスズキ・メソードだったのです。

 鈴木先生から僕はヴァイオリンを教わりました。もちろん楽器を弾くことを教わりましたが、それだけではありません。先生のところには割と長い時間、私は滞在しました。自分のレッスンの前にも他の生徒さんのレッスンがある、それから私のレッスンの後にも先輩のお兄さんやお姉さんたちのレッスンがある。その間に先生はいろいろな話をされる。時々は寝ちゃったりしたわけですが、それを聞きながら、先生ご自身のお考え、それから「あんなに弾けたらいいな」と憧れるような素晴らしい諸先輩たちの演奏、そういうものを聴きながら、自然に楽器を弾くということだけではなくて、その鈴木先生が目指されていたもの、最終的にはその人間性の高さですね、それを先生はとても大事にされたし、先生自身がそれを持っておられたし、そして先生は自分の生徒たちにもそれをかなり厳しく求められたと思います。

 当時、先生が私たちをアメリカに連れて行かれたりして国際的な活躍を始めておられた年齢に、今もう私自身がなってしまった訳ですが、やはり鈴木先生が目指されたより良い人を、そして、「愛に生きる」そういう人を育てる、そういう人間的に高い人を育てるという、それがいかに大事であるか。

 そしてそのために、このスズキ・メソードは70年経って国際的に見ても、実にユニークな、そして70年の間に非常に成果を出してきた、とても素晴らしいメソードであるということです。私も会長になってみて誇りに感じていますし、そしてこれを今後も長い将来にわたり日本国内、そして世界に広めて、そこから育った子どもたちが世界に羽ばたいていくことによって、世界が今よりもより良い世界になること、それを祈ってそれを目指して指導の先生たちと一緒に、今後もがんばっていきたいと思います。

ご静聴ありがとうございました。