クリックすると、BBCの該当ページにリンクします。画面左下のdownloadボタンを押すと、番組を聴くことができます ロンドンの放送局、BBCワールドサービスのジャーナリストで、現在、「Witness(目撃者・証人)」と名付けた歴史プログラム番組を担当されるルーシー・バーンズさんから、スズキ・メソードにインタビューの申し入れがありました。スズキ・メソ-ドの黎明期に、鈴木鎮一先生がどのようにスズキ・メソードを始められ、それがどのように進化したのか、そしてスズキ・メソードを受けられた方々の人生の残りの部分にどのような意味をもたらしたのか、について今回お聞きしたいというオファーでした。

 そこで、早野龍五会長を通じて、元才能教育研究会常務理事の紿田英哉さんと、その弟で、OB・OG会副会長の紿田俊哉さんがインタビューに応えることになり、4月中旬に東京のスタジオとロンドンをネット回線で結び、実施されました。

弟の紿田俊哉さん兄の紿田英哉さん
 Witnessは、世界中の500以上の地方ラジオ局でも再放送されており、テーマとなるイベントの目撃者と、アーカイブ(保管記録)や関連音楽を補助的に使いながら、当事者へのインタビューに基づいて制作されています。世界の様々なトピックスを始め、クラシック音楽の分野では、これまでにグレン・グールド、ジャクリーヌ・デュ・プレ、ブリテンなどが取り上げられてきました。ちなみに過去のすべての番組は、http://www.bbcworldservice.com/witnessでオンラインで聴くことができます。
 なお、今回のインタビュー番組は、The Suzuki Violin Methodのタイトルで、こちらで聴くことができます。

 約1時間に及んだインタビューが放送では9分間に編集されていましたので、下記に、インタビューのすべてを紹介しておきましょう。なお、この時のラジオ放送がBBC内でも大変好評で、5月2日には、改めてBBCのテレビ放送での収録も行なわれるとのことです。

BBC番組 Witness
インタビュー内容 翻訳

Lucy:BBCの番組「Witness(目撃者・証人)」にようこそ!
 この番組は過去の特定の歴史に関わりを持たれた方にインタビューをして、いろいろと語っていただく番組です。今日は1940年代の日本、すなわち第二次世界大戦直後の日本を訪問するするわけです。スズキ・メソードは今や世界中に広まっておりますが、この時期、日本人の音楽家である鈴木鎮一先生が新しいヴァイオリンの教育方法、いわゆるスズキ・メソードを開発・発明されたのです。

 申し遅れましたが、私は番組Witnessのプロデューサーであり、司会のLucy Burnsです。今夜は鈴木先生に教えていただいたご兄弟、兄の紿田(たいだ)英哉さんと弟の紿田俊哉さんのお二人に登場していただきます。お二人は戦後すぐにスズキ・メソードと出会い、鈴木先生にも教えていただいたご兄弟で、ともにスズキ・メソードを卒業されました。

 まず最初に、鈴木先生とはどんな方であったか、お話しいただけますか?

英哉:先生は生徒を叱るということを決してされない方でした。ですから、生徒はいつもとても幸せな気持ちで先生の前で楽しく演奏することができました。最初にお会いした頃の鈴木先生は、50代のとてもスリムでハンサムな先生でした。

Lucy:今、コメントくださった英哉さんは9歳からヴァイオリンを始められました。

俊哉:兄の言う通りの先生でした。先生に調弦をお願いすると、いつも膝まづいて子どもたちの目線で、にこにこしながら調弦してくださいました。先生は大変な喫煙愛好家で、ご自宅では正にヘビースモーカー、チェーンスモーカーだったことを良く覚えています。

Lucy:今、コメントくださった俊哉さんは、兄の英哉さんより7歳年下で、4歳からヴァイオリンを始めました。

左の英哉さんが中学3年生、俊哉さんが7歳頃
俊哉:すべての生徒が最初に習う曲は、スズキの指導曲集の最初の曲、「キラキラ星変奏曲」です。合奏レッスンの最後には、いつも全員参加でこの「キラキラ星」を合奏することが習わしで、今でもそうしています。

 個人レッスン時の思い出として、私の演奏でどこか下手な所があっても、最後までじっと聴いてくださって、弾き終わると、「とっても良い演奏だったよ。そうだなあ、ここのところを今度は良く練習してみようね、そうすれば、もっともっと素晴らしい演奏ができるようになるよ!」と、いつも励ましてくださいました。

Lucy:ありがとうございました。私の理解しているスズキ・メソードが、他のヴァイオリン教育と違う特徴は、子どもたちが幼い時から1/16サイズなどの小さなヴァイオリンを使ってヴァイオリンを弾き始めること、小さなヴァイオリンを抱えた子どもたちを集めて同じ曲を何度も何度も繰り返して一緒に合奏することなどにあると伺っておりますが、いかがでしょうか?

英哉:そうですね。皆で美しく合奏できることは、子どもたちにとって、とても楽しいことです。

Lucy:鈴木先生がスズキ・メソードの研究をされた原点は、どの子も大変難しい日本語をとても上手に話せるようになっていく。それなら、西洋の楽器でも日本語が自然に身につくように、お遊びやゲーム感覚で習得できる方法があるのではないかということだったんですよね。先生は1920年代初めからにドイツでヴァイオリンの勉強されたと伺っていますが。

英哉:正にその発想が、スズキ・メソードの本質としてあると思います。鈴木先生は少年時代にヴァイオリンに触れる機会はあったものの、本格的なヴィオリンの勉強に取り組まれたのは10代の後半からでした。23歳から30歳まで、ドイツに留学されましたが、本格的なヴァイオリンへの取り組みが遅かっただけに、大変なご苦労とご努力をされたことと思います。

夏期学校でのスナップ。鈴木先生の隣が11歳の俊哉さん、中央が大学1年生の英哉さん Lucy :スズキ・メソードの日本でのスタート時期は二つの原爆投下と敗戦といった激動の時期、人々が、まずどうやって生活して行けば良いか、もがき苦しんでいた大変な時代だったんですよね。

英哉:おっしゃる通りです。やっと戦争が終わり、ろくな食べ物もない、貧しい時代でした。やっと日本に平和が訪れたその時代、親の子どもに対する思いは、子どもたちに将来につながる何か文化的なものに接する機会を与えたいという「渇望」であったと思います。その中で、スズキ・メソードは、親にとって大きな光明であり、それが故に短い期間で広く国内に浸透して行ったのだと思います。

俊哉:スズキ・メソードが国内に広まった背景に、もう一つ大事なことがあると思います。鈴木先生の父上、鈴木政吉さんはもともと三味線などの和楽器の製作者だったのですが、確か1888年に第一号のヴァイオリンを試作し、1890年代には小規模ながら本格的な大量製造を開始されたと理解しています。つまりススキ・メソードが、戦後の全国展開をして行く時期には、子どもたちは容易にヴァイオリンを手に入れられる環境が整っていたたわけで、スズキ・メソードの普及に大いに役立ったと言えます。

英哉:初期の頃にはヴァイオリンの品質的な問題はあったかと思いますが、どんどん改良が進み、ヨーロッパから来日していたプロの音楽家たちからも素晴らしいヴァイオリンだとの評価を得るまでになって行きました。

Lucy :鈴木先生は音楽家の子どもなら音楽家として育つ、と単純には考えておられなかったんですよね。子どもたちが育つには、良い音楽環境が与えられた時、子どもたちのそれに対する優れた適応能力があるか、ないか、ということ。母親など、周囲の大人の子どもに対する対応の違いが子どもたちの成長に大きく影響を与えると考えておられたようですね。心理学者からはこの辺に対する異論もあるかもしれませんが。子どもが1人だけで練習するのではなく、母親などの練習への参加、子どもが間違った音を弾いたらそれを正してあげる、汚い音を出したらそれを指摘してきれいな音に弾き直させる、といった対応が大切だとおっしゃっていたようですね。

俊哉:そうですね。「どの子も育つ 育て方一つ」と良く言われました。つまり「どの子も育つ環境次第」、「どの子も育つ親次第」、「どの子も育つ先生次第」という言葉に置き換えられますね。

Lucy:紿田さんご兄弟は鈴木先生のお考えに共鳴されたお母様が、当時お住まいの町にスズキ・メソードの支部を作られ、その一期生の生徒さんになられたのですね。

英哉:はい、兄弟ともにほぼ同じ時期のスタートでしたが、私の方は7歳年上だったので、譜面も比較的早く読めて、スズキの指導曲集をどんどん進むことができました。弟は譜面は読めなかったものの、いつも私が練習する時にその場にいて何度も何度も私の演奏を繰り返し聴いていました。耳から音楽を吸収していたんですね。その結果、弟は譜面は読めなかったけれど、新しい曲の練習を始めると、私よりはるかに速く、すぐにそれが弾けるようになったものです。大曲のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弟は10歳か11歳の頃に弾くようになったと思います。

Lucy:スズキ・メソードの他の特徴の一つとして、楽譜を読む前に子どもたちがまず弾き始めるところがありますね。

英哉:鈴木先生は楽譜を読む前に、「まず良い曲をたくさん聴くことから始めなさい。私はあなたの先生ではありません。皆さんが毎日耳にしている上手な演奏家の演奏があなたの先生なのです」とよく言われました。当時のことですから私たちの先生は、レコードから聴こえてくる名演奏でした。ですから兄弟そろっていろいろな曲をレコードがすりきれるくらい聴いたものです。

Lucy:英哉さんがスズキ・メソードの最初の卒業生だったんですね。俊哉さんは、鈴木先生のもとに通われてレッスンを受けられたんですね。

俊哉:はい。小学校5年生の時にスズキ・メソードの最後の課程である研究科を卒業しましたが、研究科の卒業生は、当時、直接、鈴木先生にレッスンを見ていただけました。私は、住んでいた伊那町から土曜日、汽車に乗って2時間かけて先生のお住まいの松本に行き、夕方、たくさんの生徒さんに交じって合奏レッスンを受け、その後、先生のお宅に泊めていただき、翌朝、私にとっては珍しいパン食の洋風の美味しい朝食をいただいてから、日曜日の最初のレッスンを受ける生活を高校2年生まで続けさせていただきました。

Lucy:私も昔、子どもの頃、スズキ・メソードではなかったのですが、何年もヴァイオリンを習ったことがありました。習い始めの頃の子どものヴァイオリンの音は周りの方々に余り良い印象は与えないですね!

英哉&俊哉:そうですね! (笑)

Lucy:スズキ・メソードに対する一つの批判として、練習方法が機械的である、習慣的に何度も何度も同じことを繰り返す方法で弾かせる、従って感情を表現するといった弾き方・教え方ではないといったことがありますが、いかがでしょうか?。

英哉:確かに一部正しい点はあります。しかし、それはあくまでも基礎的技術や音楽性を育てるための基礎トレ-ニングの一部に過ぎません。それができるようになって初めて、本格的に感情移入ができるようになって行くものだと思います。加えて、一流の演奏家の演奏を繰り返し繰り返し聴くことを併用するのがスズキ・メソードのやり方です。この方法が正しいことは、スズキ・メソードを巣立ち、その後、世界の一流の演奏家としてソリストとして、あるいは著名なオーケストラのメンバーとして活躍している方がたくさんいおられることや、スズキ・メソードが受け入れられ、今や世界の46ヵ国、40万人を超える生徒さんがおられることからも、ご理解いただけると思います。

Lucy:紿田さんご兄弟は、専門の演奏家とは違う道を歩まれたのですね。

英哉:はい。私も、弟も、大学を出てからビジネスマンとしての人生を歩みました。大学時代はそれぞれの大学のオーケストラを楽しみ、コンサートマスターも務めました。鈴木先生が目指しておられたことは、先生が良くおっしゃっておられましたが、「私はプロの音楽家を育てることを目指しているのではありません。ヴァイオリンを通じて、音楽が好きになり、音楽を理解し、楽しめる人を育てたいのです。音楽を通じて、より豊かな人生を送ることのできるるようになることが大切なことだと考えます」

Lucy:お二人ともビジネスマンを今はリタイアされておられますね。

俊哉:はい。私は65歳でビジネスマンを卒業しました。70歳を超える今では、私には自由な時間がたっぷりあります。時間さえあれば1日2時間でも3時間でも好きな時に好きなだけ練習ができますし、アマチュアオーケストラのメンバーの一人としての活動や、今は、7歳になる可愛い孫がヴァイオリンをやってくれていて、孫の自宅でのレッスンや、スズキの銀座教室のレッスンに母親と一緒につき添って行くことなど、ヴァイオリンがいつもある生活を大いに楽しんでおります。

Lucy:英哉さんは国際スズキ協会の理事長や才能教育研究会の常務理事なども長年にわたってされたんですね。英哉さんにとってスズキ・メソードはどういうものとして捉えておられますか?

英哉:私ももうすぐ80歳になりますが、常にヴァイオリンを通して音楽と深く関わる生活を過ごしてきております。スズキ・メソードが正にその基礎を作ってくれました。そのことは私の人生のすべてにおいて、大変大きな財産だと言えます。鈴木先生に感謝、親に感謝の気持ちでいっぱいです。

Lucy:本日は紿田英哉さん、俊哉さんに当番組Witnessに参加いただきました。楽しいお話を大変ありがとうございました。

BBCテレビでも追加で収録があり、5月18日よりオンエアが始まりました!

BBCテレビに出演された紿田英哉さん(右)と俊哉さん(左) BBCラジオ放送の後、BBC側よりTVインタビューのリクエストがあり、紿田英哉さんのご自宅で、BBCロンドンとスカイプを使ってインタビューしたものがこのたび、インターネット上で見られるようになりました。
「6時間掛かりのインタビューでしたが4分に編集されていました。『名古屋の子守唄』は、残念ながらカットされていました」とは、弟の紿田俊哉さんのお話です。
 大変貴重な映像とともに、スズキ・メソードの真髄に触れる内容となっています。ぜひご覧ください。下記をクリックするとご覧いただけます。
 なお、英国スズキ協会の小玉もな先生によりますと、「この映像のリンクが世界のスズキ指導者やファミリーの間でどんどんシェアされています」とのこと。すごいことですね! さっそく、ヨーロッパスズキ協会(ESA)のニュースページでも紹介されています。
→BBCテレビ

→ヨーロッパスズキ協会