亡き師を思う、音楽の喜びにあふれた、素晴らしいコンサート


今回も、山本先生が見守ってくださる中でのコンサートになりました 8月13日(月)、今は亡き、関東地区のヴァイオリン科指導者として活躍された山本眞嗣先生を慕う、かつての生徒たちが国内外から渋谷に集結、大和田さくらホールで、メモリアルコンサートを開きました。その名も「YAMAMOTO メモリアルオーケストラ」のみなさんによる「YAMAMOTO メモリアルコンサート」。
 山本先生は、1979年頃には山本弦楽合奏団を発足させ、楽器の奏法のみならず、読譜やアンサンブルの力を高め合うことに力を注がれ、「世界中の子どもたちとアンサンブル」を目標に多くの生徒さんを育てられました。
 その一つの結実となったのが、1983年、85年、88年のDDR(旧東独)ツアーで、協力された他のスズキ・メソードの指導者たちとともに、演奏旅行を指導・引率されました。また。89年には、第4回のDDRツアーを企画され、同時に「スズキ・メソード ストリングオーケストラ東京」を結成されるなど、大いに力を発揮されました。
 2012年に山本先生は亡くなられましたが、翌年には当時のメンバーたちによるメモリアルコンサート事務局が発足、2014年8月に第1回メモリアルコンサートが開催されました。その時の取材記事は、「スズキの音が凝縮されていた山本眞嗣先生メモリアルコンサート」というタイトルで、スズキ・メソードOB・OG会サイトに掲載されています。
 そのメモリアルコンサートが、4年ぶりにこの夏開催されたわけです。指揮は、DDRツアーにも深く関わられ、その後も一貫してスズキ・メソードの生徒たちの成長をいつも温かく見守ってくださる井﨑正浩先生。曲目は以下の通りでした。

YAMAMOTOメモリアルコンサート
2018年8月13日(金)19時開演
井﨑正浩(指揮)、YAMAMOTOメモリアルオーケストラ
曲目
・モーツァルト:ディヴェルティメントK.136
・グリーグ:組曲「ホルベアの時代より」作品40
・バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第3番
・スーク:弦楽セレナード作品6
(アンコール)
・アンダーソン:フィドル・ファドル

 当日、ヴィオラ奏者としても出演された甲信地区ヴァイオリン科指導者の井上悠子先生から、コンサートの感想を寄せていただきましたので、ご紹介しましょう。

井﨑先生を中心とした親密な輪が宝物であることを感じさせますね 今回のプログラムは、子どものころに山本先生と何度も何度も弾いた曲がありましたが、指揮の井﨑正浩先生が「まるで遺伝子レベルで染みついたような…」とおっしゃったほどに、テンポ感や音楽が初めから一致しているような感覚を得ることが練習中も本番もありました。

 「YAMAMOTO メモリアルオーケストラのメンバー」は、それぞれがプロ・アマを問わず、今も現役で楽器を弾いている人たちの集まりですので、子どもの時のままではなく弾くことを心掛けるのは難しくなかったはずなのですが、「みんなの顔を見ていると『この感じ』で弾きたくなってしまう」というような感覚だったと思います。

 それにしても、国内外の演奏会で子どもの頃に演奏した思い出深い曲から、今回はスークの弦楽セレナードを弾きましたが、この曲はチャイコフスキーやドヴォルザークの弦楽セレナードのような知名度はありませんが、とても美しく、なおかつ、とても難しい曲です。この難曲を中高生が中心の合奏団で演奏していたことは、当時の先生方のご指導の素晴らしさを物語っていると感じました。そして、何より井﨑先生の情熱あふれるご指導の賜物に他なりません。井﨑先生がスズキの心を理解し、子どもたちの育つ環境を大切にし、音楽との向き合い方を熱く伝えてくださったお陰です。

 井﨑先生との出会いは約30年前に遡りますが、先生との出会いにより、音楽の時間がより濃いものになった子どもたちが成長し、さらに山本クラスの先輩方とともに、再び先生の情熱に触れ、ともに音楽できる喜びを噛みしめて演奏会ができたことは、人生における宝物のようなものです。楽器を長く続けることの大切さもまた、大人になって実感をもって再認識できたことも大きな収穫です。

 続いて、現在は代官山にあるミュージックプラザで、ヴァイオリン製作マイスターとして活躍されている庄司昌仁さんから、お寄せいただきました。

1979年8月25日合宿にて。最後列画面中央、胸にライオンのTシャツが私 8月に故山本眞嗣先生を偲んで、先生が作られた弦楽合奏団のメンバー有志で演奏会を開いた。この趣旨で集まるのは2回目だが、皆んなとはいろんな形で、それこそ長い人は40年以上ご一緒している幼なじみだ。こんなに気心の知れた仲間は他にはいないし、これこそが山本先生が私にヴァイオリンを通して伝えてくれた大事な事の一つだと思う。
1985年第2回東ドイツ演奏旅行の頃。ヴィオラ最前列が私。コンマスは井手上康君。セカンドトップが弟の達君。その後ろに花岡さやか先生。チェロトップは愛知セントラル交響楽団の本橋裕君。寺田義彦先生も 私は先生との話がきっかけでヴァイオリン製作者を志した。先生が連れていってくれたドイツへの演奏旅行がきっかけで、ヴァイオリン製作者になったあとドイツで働いた。そして今もヴァイオリンを弾いている。つい最近になってレッスンに行き始めた。山本先生以来、30数年振りである。
 母親に無理やり連れて行かれて始めたヴァイオリンだったが、何故辞めなかったのだろうかと今でも考える。途中までは母親が怖くて辞めるなんて言い出せなかったのだろう。しかし合奏団に行き始めて友だちができ、アンサンブルができるようになってからは辞めようとは思わなくなった。
 そうなのだ! 弾くこと自体はもちろんだか、私はヴァイオリンを通してつながる人や、演奏する人が努力する姿、そしてそれを見て聴いて一緒に喜ぶ人が好きなのだ。
 山本先生には私の結婚式でスピーチをお願いした。「私は庄司君のレッスンで辛抱を覚えました」と仰っしゃられましたね。先生には大変なご迷惑をおかけし、申し訳ないと思ったのと同時に、それでも何か先生のお役に立てたのかと何故かホッとした。
 そんな私が今はヴァイオリン製作者として毎日楽器に触れられる幸せな日々を過ごせている。プロアマ、大人子ども問わず、集中して演奏できるようにする環境づくりが私の仕事だ。そして音は出さないが皆さんと一緒に音楽をしているつもりでいる。
 そう、これもアンサンブルなのだ!