「人を育てる」という理念を生きた人―紿田英哉さんを偲んで
6月24日、才能教育研究会常務理事、国際スズキ協会(ISA)理事長などを歴任し、長年にわたりスズキ・メソードの発展を支え続けた紿田英哉(たいだひでや)さんが逝去されました。享年87歳。日本の経済界、教育界、そして音楽教育界に、計り知れない足跡を残された人生でした。
紿田さんは、スズキ・メソードの「第1回卒業生」の一人。1949年頃、長野県伊那市に支部が開設された際には、ご両親が自宅をレッスン会場として提供し、弟の俊哉さんとともに幼い頃から鈴木鎮一先生の理念に直接触れながら育ち、まさに、スズキ・メソードの黎明期を知る一人でした。
その後、東京大学教養学部を卒業後、丸紅に入社し、二度にわたる10年間のロンドン駐在を経て、丸紅英国会社社長、丸紅専務取締役などを歴任。さらに国際交流基金日米センター所長、国際教養大学理事・特任教授、桐朋学園理事、アークヒルズクラブ専務理事、サイトウ・キネン財団評議員などを務め、国際交流と人材育成の分野で大きな業績を残されました。2001年末には、日英間の経済・文化面での交流に貢献したとして、英国のエリザベス二世女王から名誉大英勲章を叙勲。そうした輝かしい経歴を重ねつつ、紿田さんの根底には常に「スズキチルドレン」であったという誇りがありました。
機関誌に掲載された座談会では、「小さい頃に良い音楽を聴いた経験が、その人の人格形成に深く関わる」「子どもには、知ること・感じることの喜びを与えてほしい」と、鈴木先生から受け継いだ教育観を何度も語っていました。音楽を職業人養成のための技術ではなく、人間形成の土壌として捉える姿勢は、一貫して揺らぐことがなかったのです。
また、企業経営者としての経験を通して、「企業も人づくりであり、音楽も人づくりである」と語り、スズキ・メソードで培われた感受性や協調性、他者を思いやる心こそが、社会で生きる力になると繰り返し説かれました。
組織運営においても、その存在は極めて大きく、才能教育研究会の常務理事として本会の基盤整備に尽力し、世界組織であるISAの理事会議長として五大陸の仲間を結びつけました。とりわけ2013年、第16回スズキ・メソード世界大会を松本で開催した際には、大会委員長の中嶋嶺雄会長の急逝という困難のなか、会長代行として大会を成功へ導かれました。その落ち着いた判断力と国際感覚は、多くの人の記憶に深く刻まれています。
さらに、紿田さんは優れた聞き手でもありました。各界の第一人者を招いた機関誌の座談会企画では、経済人、教育者、文化人、学者たちの言葉を巧みに引き出し、スズキ・メソードの理念を社会のさまざまな分野と結び付けて紹介されました。その幅広い人脈と知的好奇心、そして相手への深い敬意が、多くの魅力的な企画を生み出したと言えます。
英国BBCがスズキ・メソードを扱ったドキュメンタリー番組「Witness(目撃者・証言者)」の制作に際し、紿田さん兄弟がインタビューを受けたのも象徴的です。紿田さんは、単なる歴史の証言者ではなく、鈴木鎮一先生の思想を次代へ伝える「語り部」でもありました。幼い頃に受け取った恩師のまなざしを、生涯を通じて世界へ伝え続けたのです。
座談会の最後で紿田さんは、「親子で一緒に学ぶことを大切にしているスズキ・メソードの親子関係を、これからも大事にしていきたい」と語っています。そこには、技術や制度を超えた、人と人とのつながりへの深い信頼がにじんでいます。
スズキ・メソードは今年、創立80周年を迎えました。その歩みを振り返るとき、黎明期を知り、世界への架け橋となり、組織を支え続けた紿田英哉さんの存在の大きさを、あらためて感じずにはいられません。
「どの子も育つ、育て方ひとつ」
鈴木鎮一先生から受け取ったこの言葉を、紿田さんは自らの人生によって証明してみせました。ヴァイオリンを弾かれる時の絵になるような端正な姿、静かな笑顔と温かなまなざし、そして人を信じる心は、これからも多くのスズキの仲間たちの胸の中に生き続けることでしょう。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。