かつて、機関誌「先輩、こんにちは」にも登場されたことのあるピアノ科出身の相澤美智子さん(写真・一橋大学大学院法学研究科教授)から、大変興味深い「母親の手記〜スズキ・メソードからいただいたもの」が届きました。ヴァイオリン科で学ばれた娘、真希子さんの「スズキ全課程卒業」への思いとともに、ご自身もピアノ科で学ばれたご体験を通して得られた気持ち、さらには娘さんにお稽古を辛抱強く続けさせることの大変さ、そしてご家族のご支援の様子が綴られています。皆様の参考になれば幸いです。

スズキ・メソードからいただいたもの

ピアノ科OG 相澤美智子

 

Ⅰ. 山梨コンサート 

 

 皆さん、こんにちは。相澤紘子の孫の相澤真希子、小学6年生、11歳です。今日はミニコンサートにお越しいただき、ありがとうございます。私は2歳のときからスズキ・メソードでヴァイオリンを習っています。スズキ・メソードには、初心者向けの1巻から上級者向けの10巻まで、さらにその上には研究科A・B・Cの3冊、合計13冊の指導曲集が準備されています。
 今日、演奏させていただくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は13冊目の最終曲で、この曲の全楽章を録音し、審査を通過することによって、スズキ・メソードの全課程を卒業します。来週の録音へ向けて曲が仕上がってきたところで、皆さんに演奏を聴いていただくこのような機会をいただき、とても感謝しています。ピアノ伴奏は同じスズキ・メソードでピアノを習った母の相澤美智子で、親子デュオで演奏させていただきます。
 それでは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調をお聴きください。 

 

親子でメンコンを披露した山梨コンサート

 上記あいさつ文は、2020年10月28日午後、娘・真希子がメンコン(メンデルスゾーン作曲・ヴァイオリンコンチェルト)のミニコンサートでの演奏前に読み上げたものです。娘の学校の秋休みを利用して、私ども家族は山梨県北杜市に住む真希子の祖母(私の義母)を訪ね、彼女の協力を得て、八ヶ岳山麓のペンションで真希子のミニコンサートを開催することができました。

 コンサートに集まってくださったお客様は、義母の友人19名。

会場取りから広報活動まで
手伝ってくれたお義母様

義母が事前に手書きのチラシを作成し、友人を集めてくれました。演奏会場となったのは、グランドピアノが置いてある、天井の高い木造のペンションの食堂でした。そこのオーナーが義母の友人で、「グランドピアノのある会場がいい」という私のリクエストを聞いて、義母がここを当たってくれました。
 
 午前中にリハーサルを行ない、午後2時開演。真希子が冒頭の挨拶をし、続いて親子で約30分、メンコンを演奏し、最後に真希子が無伴奏でバッハのブーレ(ヴァイオリン科・初等科卒業曲)を演奏して、「演奏の部」は終了しました。
 
 引き続き「お茶の部」となり、義母が用意しておいてくれたバスケットに詰めた小さな袋入りのクッキーを、真希子がお客様一人ひとりにご挨拶しながら配り、ペンションのオーナーがご準備くださったお茶と一緒にいただきました。全国的にコロナ感染者数が減少しており、山梨県の1日の感染者数が5人以下まで減っていた時期でしたので、皆さん、「お茶の部」まで残ってくださいました。お客様は私たちの演奏を大変喜んでくださったようでした。真希子のことを可愛がってくれた義父は、天国でニコニコしながら聴いていてくれたと思います。
 

II. 山梨コンサートにいたるまで

 
 真希子は生まれる前からスズキ・メソードでヴァイオリンを習わされる運命にありました。私自身がスズキ・メソードで育ち、スズキ・メソードの教育法と細田和枝先生(関東地区ピアノ科指導者)という素晴らしい恩師のお陰で、音楽を友とする人生を歩んでおり、いつか子どもをもつことがあれば、スズキ・メソードでヴァイオリンを(自分とは違う楽器を)勉強させたい、そして、一緒に合奏したいという夢を抱いていたからです。夫もリコーダー・アンサンブルなどをする音楽好きの家庭で育ち、高校時代は独学で楽典や指揮法を勉強して吹奏楽部の指揮者を務め、大学時代はオーケストラでホルンを吹き、社会人になってからはチェロを楽しむような人です。その夫に、私は結婚前からスズキ・メソードの話をして、『愛に生きる』を読み聞かせ、結婚してからはグランドコンサートに連れていくなどの「刷り込み教育」をしていましたので、夫も当然、子どもをスズキ・メソードで育てることになるだろうと思っていたようです。
 
 お稽古嫌いの娘に、根気よく付き合ってくれた夫
 
 真希子は2歳でヴァイオリンを始めましたが、かなり長い間、お稽古が好きな子ではありませんでした。私は、5歳で従来のバイエルから始めるメソードでピアノを習い始め、当時はピアノが嫌いでしたが、8歳でスズキ・メソードと細田先生に出会い、人が変わったように主体的に、目標をもってお稽古をする子になりました。どんどん弾きたい曲が弾けるようになるのが嬉しかったです。先生に褒められると、益々嬉しくなり、レッスンが楽しみで仕方ありませんでした。2歳と8歳とでは、精神年齢が大分違います。しかし、それを私は理性では分かっても、感性では理解できずにいました。「スズキ・メソードで勉強しているのに、お稽古が嫌いというのはなぜ?」という思いがいつもあり、お稽古に集中せず、先生や親の言うことを聞かない娘がもどかしかったです。一時期、私は娘のお稽古に付き合うのが嫌になり、放棄したこともありました。そこを辛抱づよく、毎日10分でも15分でもいいから、とがんばり続けてくれたのが夫でした。夫は当時を回想して言うことがあります。「砂漠に水を撒いていた感覚だった」と。砂漠に芽が出たのは、夫の努力のお陰です。
 
 真希子が何回かに分けて1日3,4時間お稽古をするようになったのは、4歳半くらいからでした。その頃には私も真希子のお稽古の相手に復帰し、夫と分担してお稽古をみていました。1人でお稽古をしたいと言い出したのは、9歳の終わりでした。忘れもしません。私どもの音楽仲間(アマチュア音楽家が多いですが、プロも混じっています)との音楽会があり、真希子は私とクライスラーの「前奏曲とアレグロ」を演奏しました。その演奏が会心の出来で、真希子が最年少の演奏者だったこともあり、皆さんからたくさんのお褒めの言葉をいただきました。真希子はそれで大きな自信をつけたようでした。それからは自分でお稽古をしたいと言い出し、私どもも本人に任せるようになりました。私どもの仕事もそれぞれに忙しくなっていたため、お稽古に付き合わなくてすむのはありがたいと感じ、以後、私どもが日々のお稽古の相手に復帰することはありませんでした。
 

ここまでの道のりは、決して思い描いた通りでは
ありませんでした

 ただ、年の1〜2ヵ月、卒業録音が近くなると、家族3人で音楽づくりをしていました。私は、真希子のモーツァルトの録音(才能教育課程卒業のための録音)のときから、ご指導いただいている青木博幸先生のお勧めもあり、ずっと真希子の伴奏をしてきましたので、家では真希子と私が「合わせ」をし、夫が「音楽総監督」をするというような感じで練習が進みました。母娘が親子喧嘩を始めたときには、父が仲裁役でしたが、ときには真希子の練習態度が悪く、父母対娘で喧嘩をすることもありました。親子で笑いながら、楽しみながらお稽古をするというのは理想ではありますが、理想どおりいかないことの方が多かったと思います。
 
コロナの年に
 
 真希子が最終課題曲であるメンコンを勉強していた2020年は、コロナの年となりました。私は、年が明けるや否や、メンコンの3楽章の伴奏の譜読みを始めました。1月の時点で、真希子はまだメンコンを始めていませんでしたが、3楽章のピアノ伴奏は音が多いうえにテンポが速いので、インテンポで弾けるまでに時間がかかると思い、早めに練習を始めました。2月上旬に石川咲子先生(関東地区ピアノ科指導者)に3楽章のレッスンをしていただいたときには、コロナはまだ対岸の火事で、マスクなしでレッスンをしていただいたのを思い出します。咲子先生には、青木先生のご紹介で、ヴィターリのシャコンヌ(研究科B課題曲)の練習時からレッスンをしていただくようになっていました。
 
 2月下旬から世界がコロナ禍に突入し、大学教員である私の生活は多忙きわまりないものとなりました。まず、慣れないオンライン授業の対応に追われ、普段の年よりも忙しくなりました。その上に、私は2020年度中に研究書を出版するという約束の下で大学から出版助成金をいただくことになっていたため(これは2019年度に決定されていたことでした)、何としてでも研究書を世に送り出さなければならず、原稿を完成させなければなりませんでした。2020年7月の終わりに、青木先生に「ママのピアノの伴奏の練習は、どんな感じでしょうか?」というお尋ねをいただいたときには、3月のコロナ蔓延以降、まったくピアノを弾いていなかったことに気づき、ドキッとしました。一瞬「今年は無理です」という言葉が出そうになりましたが、青木先生の笑顔を前に、私は「(多忙を理由に)あきらめず、努力してみます」としか言えませんでした。青木先生の「誘導」はお見事だったと思い、感謝しています。私に極度のプレッシャーを与えることなく、上手に私をピアノに向かわせてくださったのですから。先生はかつておっしゃっていました。「伴奏者を頼むことは簡単ですが、親子で同じ目標に取り組むことには大きな価値があると思います」と。
 
 7月末から、私は原稿執筆の傍らでメンコンの伴奏練習もし、8月31日には原稿を一応完成させて脱稿し、9月半ばには、咲子先生にメンコンの1楽章、2楽章のレッスンを1度は対面で、1度はオンラインでしていただきました。咲子先生のレッスンは、本当に要点を押さえた良いレッスンで、多くのことを学ばせていただきました。
 
納得のいく録音を
 
 そうして迎えたメンコンの録音。10月24日に録音をし、青木先生に「よく弾けたよ」と合格はいただきました。ですが、真希子も私も帰宅して自分たちの録音演奏を聴き、「もっといい演奏ができるのではないか」という思いにかられました。また私どもは、メンコンは最後の録音なのに、1回で終わってしまうのは、あっけなさすぎると思いました。そう思った背景には、ヴィターリのときには録音を2回して、2回目で納得がいく演奏ができたということもあったと思います。青木先生は私どもの気持ちを理解してくださり、翌週、再度録音することを快諾してくださいました。
 
 10月28日の山梨コンサートは、メンコンの録音の1回目と2日目の間になりました。当初は、音楽が大好きな義母に対する「おばあちゃん孝行」をしたいと思い、真希子の秋休みを利用して山梨に楽器を持っていくことを考え、現地でピアノを準備しておいてもらえるように義母にお願いをしただけだったのですが、義母の方が、「私1人だけが聴かせてもらうのはもったいないので、ご近所の音楽好きの方もお誘いしていい?」と尋ねてきました。そこから山梨コンサートの話が始まったのでした。それまでにメンコンの録音が終了していた可能性もありましたし、まだ録音になっていなかった可能性もありましたが、たまたま、録音と録音の間に山梨コンサート開催という運びとなりました。
 

III. メンコンの録音を終えて

 

今後はどうなるのか、
楽しみな真希子さん

 10月31日、2回目の録音に臨みました。ヴィターリの2回目の録音の後もそうでしたが、このときのメンコンの録音の後も、最後の音を引き終えた瞬間、私は「今の時点でのすべての力を出し切った、出し切れた!」という気持ちになりました。真希子も「これまでで一番良かった!」と喜んでいました。
 
 石川咲子先生にお礼の気持ちを込めて、録音のこと、そしてそこに至る過程について、メールでご報告しました。咲子先生はハートのある方で、私に次のようなお返事のメールをくださいました。咲子先生のご了承を得て、一部を引用いたします。
 

 私も10月、11月と八王子に録音伴奏に何度も行っていたので、密かに相澤家の情報を手に入れてました(笑)。I先生から「昨日無事録り終えたみたいよー」と聞いて安心はしてました。でもその後、さらに練り上げたものを録ったんですね!!!  さすがです。
 それから北杜市でのメンデルスゾーンコンサート、なんと素晴らしい企画。お祖母様孝行、お義母様孝行ができた上に、コンサート経験まで♪ お客様の前での本番とはどんな練習より効果的な成長の場ですよね。素晴らしいです!!!  私も聴きたかった!!! 
 美智子さんの努力を惜しまないそのお姿にいつも感動します。そして最後に必ず何かを掴んでいらっしゃる、さすがです。私はいろいろなところで親子で演奏される方々へ向けて、またこれからそれを目指そうとされている方々へ、美智子さん親子のお話を必ずしています。本当にヴィターリからの出会いに感謝いたします!そして応援しています!(石川咲子)

 

IV.  むすびにかえて

 

ずらり並んだスズキ・メソード全課程の卒業証書。
相澤家の歴史が刻まれています

 スズキ・メソードによって、私どもは世界の名曲と「母語」のように毎日接し、音楽なしの生活など考えられない環境を与えていただきました。日々のお稽古をとおして、正しい訓練さえすれば、人は誰でも一定水準の能力を獲得できることを、理屈を超えて実体験させていただきました。卒業録音をとおして、目標に向かってものごとに取り組むことの大切さを学び、目標を達成したときの達成感を実感することができました。我が家の場合は、真希子のモーツァルト録音以降は、親子で一緒に音楽をつくり上げるという得難い経験もさせていただきました。これだけでも、人間らしい充実した経験をしたといえるのではないかと思います。

 ですが、スズキ・メソードからいただいたものは、まだあります。それは、鈴木先生の『愛に生きる』を実践していらっしゃる先生方に育てていただいたという実感そのものです。私どもは、多くの先生方に育てていただきました。私の恩師の細田和枝先生、娘の最初の指導者である古谷達子先生、古谷先生から娘の指導を引き継ぎ、今もご指導くださっている青木博幸先生、そして、ここ2年ほど私にピアノをご指導くださっている石川咲子先生。どの先生も、私どもの幸せを願いながら、ご指導くださっている。

相澤美智子さん、親子2代でのスズキ・メソード
の全課程卒業、おめでとうございました

音楽の道に進む、進まないということとは関係なく、です。私どもがそれぞれに与えられている道を、音楽を慰めとしながら心豊かに歩んでいくことを願ってくださり、私どもの歩みをいつも喜び、応援してくださっている。このような生涯の師と呼びうる尊い方々に育てていただいた自分の幸せに、感謝せずにはいられません。
 
 真希子自身は、親の意向で始めさせられたヴァイオリンを、あるときから自分のアイデンティティの一部と思うようになったようです。ヴァイオリンが弾けるということを、良い意味での自信や支えにしているようです。それだけでもありがたいことと思います。ただ、私はいつか真希子が古谷先生や青木先生に育てていただいたことの幸せを深く実感し、先生方との出会いに心の底から感謝できるようになってくれたら、と願わずにはいられません。