スズキ・メソードのチェロ科が創設されたのは、1954年のことでした。以来、70年の月日が流れました。マンスリースズキではここに、70年の歴史をまとめたものを、10年ごとに整理して、毎月掲載していきます。
 

佐藤良雄先生、カザルスのもとへ

 

 1946年に才能教育研究会の前身となる「全国幼児教育同志会」を結成した鈴木鎮一先生は、全国に才能教育運動が広がる中、ヴァイオリンだけでなく、他の楽器でも運動が展開されることを強く願っていました。

 チェロについては、鈴木先生が戦前に東京の帝国音楽学校で指導をされていた頃の友人で、チェロ奏者として活躍されていた佐藤良雄先生に、鈴木先生は「チェロ科を設立したい」という夢を語っています。佐藤良雄先生は永年にわたり、カザルスから教えを請いたいという熱い気持ちを持っていたこと、そして近々、それが実現できそうであることを語り、「今しばらく、お時間をください」と伝えています。鈴木先生も尊敬するカザルスに、佐藤良雄先生が直接チェロを教えていただけることに大賛成でした。その様子が「音に心を、音にいのちを〜世界の扉を開けた“鈴木鎮一”マンガ物語」(発行:全音楽譜出版社)で紹介されています。 
 

留学先の佐藤良雄先生

鈴木先生による随筆

 1951年秋、永年の思慕と憧憬を胸にたたえて、カザルスのもとに東洋人最初の弟子として留学された佐藤良雄先生は、師から受けた薫陶の数々を鈴木先生に、そして友人であり、後に才能教育研究会常任理事となる青木謙幸氏に、幾通もの手紙を送りました。

 鈴木先生は、異国の地で奮闘する佐藤良雄先生の姿に、かつてベルリンに8年間留学した時の思いを重ね、随筆を書かれました。右の画像が、その時の随筆です。
 その他にも、佐藤良雄先生は、パブロ・カザルスの言葉、教えの数々、そして日常の細かい描写に至るまで、克明にメモを取られていました。カザルスの言葉では、たとえば次のような言葉が紹介されました。カザルスの自分を律する言葉の中に、佐藤良雄先生の深い共鳴が伝わってくるようです。
 
・すべてを偶然に任せてなげやりにしてはいけない。何物もボンヤリ混然たるままで置いてはいけない。他人を心服させるためにはまず、本人自身が確信を持つことから始めなくてはならない。
・私は毎日再生したつもりでいる。そして、毎日毎日が私にとって再出発でなくてはならない。こうした生き方の故に、私はいつも若々しさを残している。
 

第1回全国大会(1955.3.27東京体育館)

 右の写真をご覧ください。第1回全国大会(1955.3.27 東京体育館)に、後に京都支部でチェロ教室を開催することになる野村武二先生ら4人の門下生とともに、佐藤良雄先生も出演されました。初めて開催された全国大会で、チェロ科の存在を大きくアピールしたことになります。

 

チェロ教室誕生を告知

 1955年5月発行の「才能教育」第76号(左の写真)には、鈴木先生が待ちこがれたチェロ教室誕生のお知らせが掲載されました。「待望の〜」という言葉に、鈴木先生の気持ちが込められているのがわかります。前年に帰国された佐藤良雄先生は、夏期学校に参加され、帰国記念の独奏会を開くとともに、才能教育運動が確実に根づいている様子を肌で感じ取り、教室誕生に向けて動き出されたのです。同時に、カザルスのもとで学んだたくさんの曲の中から、指導曲集にふさわしい曲が選ばれていきました。

 
 

1956年10月発行の会
報誌で告知されたチェ
ロ教室のお知らせ

神戸支部での野村武二先生のレッスン風景。
手前の女の子が、河地正美先生です

 一方、松本深志高校、東京藝術大学を経て、東京フィルに在籍していた野村武二先生が、才能教育の門を叩いたのは、京都でヴァイオリン科指導者として赴任した故 新井覚先生の紹介によるものでした。新井先生と野村先生は、中学〜高校時代の同級生で、室内楽を謳歌した仲間同士だったのです。野村先生は、佐藤良雄先生にカザルス奏法を学びながら、チェロ科二人目の指導者(最初は助教)として、京都支部で教室を持ちます。それが1956年のことで、季刊誌にも京都教室の告知が掲載されました。教室開設当時のご苦労は並大抵ではなく、分数チェロが手に入りにくい時代で、3名の生徒さんでのスタートでした。新井先生と一緒にコンチェルティーノ・ディ・キョウトを結成し、弦楽アンサンブルにも力を注がれました。後に、神戸支部にも教室を設け、関西地区にチェロ科の根を下ろした功績は計り知れなく、多くの優秀な生徒を輩出し、後に続く指導者たちにも大きな影響を与えました。

 
1950年4月 チェロを弾く子どもの写真が、会報「TALENT」の表紙を飾った。この頃から鈴木先生は、チェロ教室開設の夢を抱いていた。→TALENT第2巻第4号 
1950年10月25日 社団法人才能教育研究会の設立が、当時の文部省により認可された。 
1951年 佐藤良雄先生が、南フランスのプラードにいたカザルスを念願かなって訪問。以後、2年半にわたり教えていただく。  
1954年 佐藤良雄先生、帰国。帰朝演奏会を開くとともに、チェロ科創設に邁進。
夏期学校3日目(7月30日)、佐藤良雄チェロ独奏会が開かれた。
生徒第1号が斎田出(さいたいずる)、その後、林 峰男、松波恵子姉妹らが続いた。 
1955年3月27日 第1回全国大会に佐藤良雄先生が4人の門下生とともに出演。
「才能教育」第78号に「待望のチェロ教室開設」の広告を掲載。 
1956年 野村武二先生、関西地区京都支部にチェロ科を設立。
1959年3月 チェロ科初の卒業生が誕生。