井上さつき先生による講演「楽器大国ニッポンができるまで」が
愛知県図書館で、7月21日(水)に開催されました!

 
 マンスリースズキ6月号で紹介しましたように、7月21日(水)18時〜19時、愛知県図書館5階大会議室にて、愛知県立芸術大学の井上さつき教授による講演会が開催されました。講演テーマは「楽器大国ニッポンができるまで」。ともに明治期に創業され、戦前には、すでに日本を代表する輸出産業となっていた鈴木バイオリン製造株式会社とヤマハ株式会社の発展の秘密が解き明かされたのです。
 

 講演の冒頭、いきなり楽器メーカーの2020年における市場シェアが提示されました。ヤマハがダントツの23.9%。続いてローランド、河合楽器製作所。いずれも日本のメーカーで、浜松で大きく成長しています。そしてショパン・コンクールで使われるピアノとして、ヤマハとカワイが1985年から加わっているとのこと。日本のものづくりの素晴らしさを端的に物語っているようです。
 
 明治時代に、浜松でヤマハを創業した山葉寅楠と名古屋で鈴木バイオリンを創業した鈴木政吉は、今日の楽器大国ニッポンを作った二人。ともに幕末の生まれ、山葉が8歳年上で、二人は親しく交流しあった仲だというのです。井上先生の興味は、二人がどのように西洋の楽器と出会ったか、から始まりました。
 
 それを紐解く鍵が「唱歌」にありました。当時の音楽授業のことですが、教える教師がいませんでした。伊澤(いさわ)修二なる人物が、ボストン郊外の師範学校に留学。音楽(唱歌)の授業につまずき、一念発起してボストンの音楽教育家、メーソンに基礎から学びます。伊澤は日本での音楽教育の必要性を体得、帰国後、音楽取調掛(とりしらべがかり)を提案。日本はアメリカから音楽教育を取り入れたことになります。伊澤は東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)初代校長になりました。
 
 明治19年の文部省令により、全国の小学校で唱歌教育が始まります。使われたのが足踏み式(リード)オルガンでした。国産のオルガンやヴァイオリンの製造の必要性を唱えていたその頃、ほとんど同じ時期に、浜松で山葉寅楠がリードオルガンを、名古屋で鈴木政吉がヴァイオリン作りを始めていました。
 

山葉寅楠

 紀州出身で、時計の修理や医療機械の修理工として日本中を渡り歩いていた職人、山葉寅楠が、たまたま浜松滞在中に浜松尋常小学校の校長から学校にあったメーソン・アンド・ハムリン社のリードオルガンの修理を頼まれたあたりのエピソードは、とても面白い史実です。修理をことなく終え、山葉寅楠は自分たちで作ればもっと安く提供できる、と着想します。そして、地元のカザリ(貴金属加工)職人の河合喜三郎に協力を求め、オルガンの試作を開始。この楽器を東京音楽学校で審査したのが、伊澤修二でした。しかし、第1号は調律が不十分で不合格。山葉寅楠は音楽学校で一から調律を学び、再度試作第2号を東京に運びます。そして合格するやいなや、伊澤は売り捌き先として銀座の共益商社と関西の三木佐助商店(現在の三木楽器)を山葉寅楠に紹介。全国に教科書を売る両社の販売ルートにオルガンを乗せることになりました。まさに日本の音楽教育の充実を図る伊澤の思いと、山葉の思いが一致した瞬間でした。
 

鈴木政吉

 一方の鈴木政吉。父は尾張藩の下級武士。1859年、名古屋の東門前町で生まれ、家業の三味線屋を営みながら、暇を見つけては長唄を学んでいました。明治10年代後半、生活の苦しさから、唱歌の先生になれば月30円の収入になるとわかり、唱歌の先生に。先生が少ない時代でしたから、少しでも楽器の素養があれば、唱歌の先生になれた時代だったのです。その時に、知人が横浜で入手したヴァイオリンに魅せられ、一晩で模写した話は有名です。そして熱に浮かされたように製作。一番大切な魂柱をニカワで接着するなどで、まったく鳴りません。第1号は井上先生によれば、「ヴァイオリンもどき」でした。
 
 その後、試作を重ね、寝食を忘れて没頭する間に、生来のものづくりへの情熱が花開き、たちまちのうちに売れていきます。それからはヴァイオリン作り一筋。職工を雇い、生産拡大を第一に、最初から政吉は楽器の量産を目指しました。
 
 そして、東京音楽学校の伊澤修二に楽器の審査をしてもらうことになります。当時は名古屋駅を朝6時に出て、新橋駅に夜7時過ぎに着く13時間の道のり。そして伊澤から紹介されたのが、東京音楽学校でヴァイオリンを教えていたルドルフ・ディットリッヒ。西洋音楽の日本への普及に貢献した方でした。政吉のヴァイオリンを弾き、アドバイスを繰り返した結果、国産としては第1位のものであると認定したのです。そして、政吉は共益商社を通して、舶来のヴァイオリンを入手し、さらに研究に没頭します。

 井上先生は、このように似た経緯、発展をしてきた山葉寅楠と鈴木政吉が、共益商社で顔をしばしば合わせることになり、互いに親しくなっていったことを様々な事実から説明されました。たとえば、二人に共通する起業家精神。明治時代に新しいビジネスモデルを作り上げたこと、さらには国内外の博覧会への積極的な出品を重ね、受賞を繰り返すなど、成果を具体的に出し、次なるステージへの飛躍を重ねてきたことです。そこには、お互いの海外視察に合わせて、それぞれの自社製品を託し合うなど、海外販路を広げるために協力し合った関係もありました。1937年、政吉が77歳の時にある座談会で山葉寅楠との関係について語っている内容が紹介されました。 「山葉さんは、オルガンとヴァイオリンは兄弟だといって、本当に私に親切にされました。お互いに新事業をやるからには、薄利多売を考え、勉強もしなければならない。その方針でやろうじゃないか」とのエピソード。実に面白い内容です。こうした事柄を丹念に調べ上げてこられた井上先生の調査力に頭が下がります。
 
 さらに詳しく知りたい方は、井上先生の著書の2冊をこの夏に読破されることをおすすめします。より詳細に、綿密に分析された「楽器大国ニッポンができるまで」を理解できるでしょう。
 
 わずか1時間の講演でしたが、中身の濃いお話が続きました。山葉寅楠と鈴木政吉、この二人に共通する世界に打って出る起業家精神。

愛知県図書館には関連する冊子や書籍が
ずらりと展示されていました

異分野からの楽器製造への転入の物語も面白いですし、まさに「機を見るに敏」のチャレンジ精神は、現代を生きる私たちにも、多くの大切なことを伝えているように思います。会場には、今年、名古屋から大府に移転した鈴木バイオリン製造株式会社の小野田祐真取締役(右の写真)の姿もありました。


 この催しは、愛知県図書館の「リベラルアーツカフェ2021」と題されるシリーズの1回目として開催されました。図書館として、新たな「知」の世界へと誘い、関連する図書館資料を紹介する目的があります。
 
 次なる「リベラルアーツカフェ2021」は、2021年12月1日(水)午後6時からの開催です。テーマは、「甦る過去のイメージ〜白黒写真(画像)のカラー化」という、これまた興味津々の話題になります。
→愛知県図書館行事案内

お問い合わせ:
愛知芸術文化センター愛知県図書館 総務課企画グループ
tel.052-212-2323


井上さつき先生の活動を紹介したマンスリースズキの過去の記事は、下記でご覧いただけます。
 

『幻の政吉ヴァイオリンでたどる名古屋の知られざる音楽史第3回
鈴木政吉と鈴木鎮一〜親子の絆』が、2016年5月18日(水)宗次ホール(名古屋)で開催

→2016年5月号の記事
 

レクチャーコンサート「鈴木政吉と大府」を大府市が主催

→2018年2月号の記事
 

「鈴木政吉と鈴木鎮一〜親子の絆」〜2020年2月1日(土)おおぶ文化交流の杜こもれびホール

→2019年12月号の記事
→2020年2月号の記事