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舞台劇「音にいのちあり〜鈴木鎮一 愛と教育の生涯〜」の
本公演が終了! 
感動あふれる内容に魅了されました!

 9月29日(日)、まつもと市民芸術館主ホールで上演されたばかりの総合舞台劇「音にいのちあり~鈴木鎮一 愛と教育の生涯~」。足掛け2年にわたり準備が進められた、松本市芸術文化祭60周年、鈴木鎮一先生生誕120周年、没後20周年を記念する話題の特別公演でした。脚本・演出・総合プロデュースとして獅子奮迅の活躍をしながらも、鈴木鎮一先生の母親、お良と鈴木先生の奥様、ワルトラウト夫人のダブルキャストも演じられた美咲蘭様を始め、様々な方々から、興奮冷めやらぬメッセージをいただきました。ここに速報で紹介しましょう! このページの一番下に新聞記事も掲載しました。

総合舞台劇「音にいのちあり~鈴木鎮一 愛と教育の生涯~」
9月29日(日)昼公演12:30開演 夜公演17:30開演
まつもと市民芸術館主ホール
・序章   名古屋の子守唄
・第一景  三味線作りの工房ー鈴木政吉の家ー幕が上がる直前まで、セリフの言い回しを口ずさむ政吉さん
・第二景  愛知県師範学校の音楽室
・第三景  再び三味線作りの工房ー鈴木政吉の家ー
・第四景  名古屋市の鈴木バイオリン工場
・第五景  東京麻布の徳川義親侯爵邸
・第六景  ベルリンの街 カール=クリングラー教授の家
・第七景  ベルリン アインシュタイン博士の家の演奏会
・第八景  ジング・アカデミー通りのバス停留所
・第九景  ベルリンの大聖堂にてーワルトラウト・プランゲとの結婚式ー
・第十景  帰国ー名古屋へー鈴木政吉の家
・第十一景 長野県木曽福島 鈴木鎮一の家
・第十二景 松本音楽院開設
・第十三景 本郷小学校実験教室
・第十四景 才能教育会館落成式と幼児開発協会
・最終章  音にいのちあり 姿なく生きて
      フィナーレ
主催:松本市・松本市教育委員会
共催:公益社団法人才能教育研究会
主管:松本市芸術文化祭実行委員会(会長 鈴木裕子)

公演を終わって

脚本・演出・総合プロデュース
美咲 蘭

ワルトラウト夫人を演じる美咲蘭さん 二千数百名の観客の皆様からの鳴りやまぬ大きな拍手、お見送りに出たロビーでの「鈴木先生のご生涯がよくわかり圧巻の舞台でした」「海外での鎮一先生のご活躍を目の当たりにしたように思い、感動しました」「素晴らしかったです」「涙が止まりません」というお言葉の数々と力強い握手をいただき・・・。

 2019929日、まつもと市民芸術館での「音にいのちあり〜鈴木鎮一 愛と教育の生涯~」、昼夜2回の公演が終了しました。その間、何度も松本まで通い、熱心に取材してくださったスズキ・メソード機関誌編集部の新 巳喜男様からの要請で、こうして早くも翌日に舞台を振り返ることになりました。

「鈴木鎮一先生を松本にお迎えして音楽院を作ろう」という発起人のお一人、能勢 豊様のご紹介で、私が高校生の頃、鈴木鎮一先生のもとに出入りさせていただき、そのつど、様々なお話をお聞きすることがとても楽しみでした。鈴木先生の会長室に入ってよろしいのかご都合を伺ってくださる事務局長は、ヨーロッパ各国で室内楽やソリストとしてもご活躍の志田とみ子先生のお父様だったと記憶しております。

 その後、私が学生時代から所属していた劇団が京都に進出することになり、鈴木先生の元にご挨拶に伺うと、「私は音楽で人を育ててきたよ。演劇であなたも人をお育てなさい」というお言葉と、丁寧な関西各所への推薦状を書いてくださったのです。その後、京都・大坂・熊本・東京・バンコックと次々に事務所を持ち、年間300ステージを上回る全国公演や海外公演を重ねてきましたが、松本に帰った折は、敬愛する鈴木先生にそのつど近況報告などにお伺いしたことを懐かしく思い出します。才能教育会館をお借りしてファミリー劇場を公演させていただいた折は、フィナーレのステージでご一緒に踊ってくださったこともありました。

 長い年月を経て、このように鈴木鎮一先生の生涯を描くドラマを脚本家として担当させていただく日が来ようとは、その頃の私にはまったくわかっておりませんでした。

 さて、この事業の主管・松本市芸術文化祭実行委員会では、3年前から企画に取り組み、候補作品12本の中から5本を選び、理事会総会を経て、この作品に決定されました。資料集めと取材を重ね、20181月市民公募オーディション、48日キャスティング発表、そしてゲネプロを含めると127回のお稽古が組まれました。結城賢二郎・元鈴木鎮一記念館館長と鈴木鎮一先生の姪で、前才能教育研究会会長の鈴木裕子先生による講演とビデオ学習に始まり、熱心な講師陣による演技、日舞、社交ダンス、声楽のワークショップなどが続きました。

 お稽古の前半はストーリーの時代背景への理解を深め、そして読み合わせ、立ち稽古、通し稽古へと進み、公演本番を迎えることになりました。この大規模な音楽舞台劇プロジェクトへの参加者は、心に鈴木鎮一先生への敬愛や思い出を抱いている方が多く、厳しく長い道のりを、ともに歩んでくださったことに深甚なる感謝を申し上げたいと思います。

 言葉や文章の背後にあるサブテキストを理解し、役作りをして、ともに生き生きとした各場面を作り上げてゆくことは、精神的にも肉体的にも大変な作業なのです。土日の稽古には電気釜で炊飯し、持ち寄ったおかずでお昼の団欒をしながら、皆で「同じ釜の飯を食ったり」・・・代役と演出者のマンツーマン場面をミラーとして役作りに再チャレンジするといった創作活動の日々を通して、各人が新たに学び直し、自意識をかなぐり捨て、役に立ち向かう力強さと勇気とが備えられてきたように思います。

 国際人の鎮一先生の99年の生涯にわたる舞台ですから、準備すべきことは山のように多く、名古屋ことばの学習に始まり、ドイツ語と英語も台詞に取り入れました。劇中で暗譜する合唱は11曲、特にドイツ語で歌う「婚礼の合唱」(ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より)などは大変だったようです。

 舞踊担当は4チーム、演技者による舞踊も木曽踊りやオリジナル曲のダンスシーンなど4曲に取り組みました。装いでは、100着に上る衣装縫製購入に加え、ウイッグ・髪飾り・リボン・半襟・パニエ・アクセサリー・履物・帯・着物・羽織・袴など我が家と岩波美佐穂助演出の倉庫から数10回に及ぶ衣装運搬を重ね、明治から昭和にかけての時代の女性の髪形と衣装、旧制高校の袴姿の学生、鹿鳴館時代の東京人、ベルリンでのドイツ人、アメリカ人講師や大統領家族の衣装髪形を設計し、縫製手直しを繰り返し、大道具設計者にも幾度もの舞台設定の変更を依頼し、協議を重ねました。

五平餅のご馳走にビックリする姿を表情豊かに演技 演出中にお願いしたのは、構図を取るための舞台の立ち位置ですが、エロキューション(語り口)・交わし合うまなざし・表情・音程・フレージング(ブレスのタイミング)・音の強弱・高低・テンポなどをしっかりとマスターしできるように指導しました。伝達技能において、話の内容10%、声30%、表情60%(メラビアンの法則)と言われるほどに大切な表情については、顔と体の向きや角度なども細かく確認をして、観客の皆様の心に届き、十分に楽しんでいただける演出を心掛けました。ちびっこ俳優たちもがんばりました。お稽古では5歳のお子様から高校生まで父兄の方々の同伴をいただき、着実に台詞と踊り、歌を覚え、大人俳優のモチベーションの起爆剤となって、本番では自然で自由闊達に楽しみながら見事に演技をしてくれました。

 そして「どの子も育つ 育て方一つ」のお言葉は、また「おとなも育つ 練習次第」なのでしょうね。今回のこの「音にいのちあり~鈴木鎮一 愛と教育の生涯~」公演を通し、鈴木鎮一先生の生涯を現代の舞台に描き出そうと努力する過程で、劇団員たちもさらなる演技力を高めることができたのだと思います。

 3ヵ月前から舞台音楽とのコミュニケーション、照明・音響・大道具・映像の完成が近づくに連れ、1秒の無駄な間合いもカットし、引き締める作業とともに、演出の望む方向に次第に集約されて、全体の調和が取れてきました。

 お客様方と心の通い合う舞台をと願って歩んでまいりましたこのたびの企画でしたが、快く出演をお引き受けくださった多くの音楽関係者の皆様に加えて、スズキ・メソード様からは、150名にのぼる才能教育研究会松本支部の子どもさん方の演奏も加わり、スズキ・メソード出身のヴァイオリニスト伝田正秀様、ピアノ伴奏の石川咲子様、また声楽家の青山 貴様という専門家の援軍を得たことが大きな力となり、長野舞台さんの照明・音響・舞台装置、版画家・切り絵作家の美しい映像も構成し、着付け結髪チームに加え、満員の観衆の皆様に声援をいただき、舞台は大きく花開くものとなりました。

 また、当初のプランから少し離れて鈴木裕子先生が、序章―喜寿のお祝いに「名古屋の子守歌」を演奏される77歳の鎮一先生のパートを舞台で演奏してくださったことは、特筆すべき記念となりました。さらに結城賢二郎実行委員長を中心とした松本市芸術文化祭実行委員会によるチケット販売、広告集めと多大なご支援のもと、地元企業様のご協賛もあり、本当にたくさんの人々に支えられて、この舞台劇上演ができました。

 この公演にお力を尽くしてくださいましたすべての関係者の皆様と、ご覧いただいた皆様に改めまして衷心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

いろいろな方々から、メッセージをいただきましたので、ご紹介しましょう。

豊田耕兒 才能教育研究会名誉会長

 とてもよくできていました。
 鈴木先生の様々なエピソードを過去のこととして捉えるのではなく、現在、未来にわたる視点で描かれていて、それがいいと思いました。それにしても、この舞台劇がここ松本だけの上演、というのはもったいない。ぜひ、東京、名古屋、大阪など大都市でも上演してほしいですね。

早野龍五 才能教育研究会会長

 昼の部を、菅谷松本市長、豊田先生ご夫妻、宮坂先生(本会顧問)ご夫妻、鈴木裕子前会長などとご一緒に、「鈴木鎮一生誕120周年記念」と銘打った「音にいのちあり ~ 鈴木鎮一愛と教育の生涯 ~」を拝見しました。

 開演前には、私の隣で豊田先生が「鈴木先生のことを存じあげているだけに、どんな舞台になるかドキドキしますね」と仰り、私も「そうなんですよね」と返していたのですが、その心配は杞憂でした。

 鈴木鎮一先生がお生まれになる前から始まって100年以上にわたるストーリーに、私たちも記憶しているさまざまな逸話が上手に織り込まれ、休憩15分をはさんで3時間15分の長尺を楽しく拝見しました。

 スクリーンに映される背景や文字情報、スムーズな場面転換、伝田正秀先生と石川咲子先生の演奏を含む音楽、そして、130回の練習を重ねて本番を迎えた公募で集まった出演者の方々の好演。多くの方々の熱意が感じられる舞台でした。「今日だけなの? 昼夜2回だけの公演で終わってしまうのはもったいないわね」と豊田元子先生。

 1946年に松本音楽院が開かれるところまでが、全体の7割ぐらいの時間配分だったでしょうか。名古屋のこと、ドイツのこと、木曽のこと、など、才能教育研究会発足以前の部分が丁寧に描かれていたことも、良かったと思います。

 最後には、松本支部の生徒さん、のべ150人がオーケストラピットからせり上がり、ヴィヴァルディのa-moll、アレグロ、キラキラ星変奏曲を斉奏。私も、伝田先生・鈴木裕子先生とともに舞台に上がって弾かせていただきました。

 実に楽しい一日でした。

鈴木裕子先生(松本市芸術文化祭実行委員会会長、演技者へのヴァイオリン指導)

「名古屋の子守唄」を演奏された鈴木裕子先生 企画~準備~お稽古に約1年半の時間を費やし、総勢300名以上のスタッフにより実現した立派な舞台に、私もヴァイオリン演奏で参加させていただき、本当に幸せでした。

 幕が上がる前に「名古屋の子守歌」を演奏するという大変な重責ではありましたが、叔父鎮一が晩年まで弾いていた楽器を使い、心を込めて取り組みました。出番の後に、早野会長・豊田先生ご夫妻・宮坂先生ご夫妻と並んで鑑賞させていただき、まるでそこに叔父がいるような気持ちになり、鈴木家の一員としての自分を見つめ直すことができました。

 そして改めて鈴木鎮一という人物の偉大さを実感いたしました。子どもたちの教育のみならず、松本の芸術文化発展を60年前から考え、創立した松本市芸術文化祭実行委員会。現在の松本市の芸術文化のレベルの高さを思うと、それがどれだけの貢献に繋がったかは言うまでもありません。

 ご来場くださった皆様、ご協力くださった方々、すべての方に感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

伝田正秀様(読売日本交響楽団コンサートマスター)

 父との思い出がたくさん詰まっているスズキ・メソードの大事なイベントに参加させていただくのは、大変嬉しく光栄な機会でした。

 劇中、鈴木鎮一先生のドイツでのオーディションや、パーティで演奏を披露するなどのシーンで弾かせていただいたのですが、予め設定されている曲目やカットなど、とても難しい環境にだいぶ悩みました。

 通常の演奏会とは異なった難しさと緊張感がありましたが、心が揺さぶられるシーンが多く、特に子どもたちとの演奏では、輝く目とひたむきな演奏に大きな感動がありました。

 これからも鈴木先生から授かった理念が広く伝わり、世界の子どもたちの才能教育にさらに生かされていくことを願っています。

石川咲子先生(関東地区ピアノ科指導者)

カーテンコールに応えられた石川咲子先生と伝田正秀様 1年半前に企画を聞いた時からとても楽しみにしていた「鈴木鎮一物語」。昨年、母・鈴木裕子が”鎮一先生が家族の中でどんな人柄だったか” ”鈴木家全体の雰囲気”などをキャストの皆さんにお話しする機会があり、私もそこに同行しました。皆さんとても熱心に聴いてくださり、そのような一つひとつの積み重ねが、すべてのキャストの方々の熱演につながったのだと思います。

 今年7月からは、何度かお稽古に参加させていただいていましたが、通し稽古の頃は鎮一役の成田俊郎さんがどんどん鎮一になってきて、そのセリフの言い回しや雰囲気をモニターで聴いていた母と私は「うわー本当におじちゃまだね!!」と盛り上がっていました。

 私は伝田正秀さんと劇中の生演奏という、お互いに経験したことがない取り組みをスタートしました。ストーリーの流れ、その時の登場人物の心情などを考慮しながら、美咲先生の繊細な演出に何が一番効果的か、また、どんな演奏がお客様に喜んでいただけるか、など話し合って進めました。様々な楽章を2分間という制限の中で、繋げたり、切ったり、いろいろなバージョンをお稽古でも試させていただきました。二人でのリハーサルで試行錯誤している時でも伝田さんの試奏はどれも素晴らしく、その時間はとても楽しく有意義な時間でした!

 普段はその偉大さ故に、大叔父としての鎮一先生を意識することはないですが、この物語から曽祖父政吉、祖父喜久雄、大叔父鎮一・・・たくさんの親族の人生を体感し、自分のルーツを学ぶことができました。鈴木家の時代を先取る鋭い感性と実行力・実現力の高さ、困難な時でもユーモア精神を忘れない明るさ、私も人としてまだまだ精進せねば!と強く実感しました。そしてスズキ・メソードの指導者として、鎮一先生の理念・哲学の深さを改めて胸に刻みました。

野田豊子先生(東海地区ヴァイオリン科指導者)

 鈴木鎮一先生の生誕の前、そしてスズキ・メソード誕生から最後の子どもたちのフィナーレまで、約3時間の舞台劇は見応えありました。

 鈴木政吉氏のヴァイオリン製作に関するエピソード、「愛に生きる」に書かれていないエピソード、またワルトラウト夫人のご苦労された話など胸を打たれました。

 鈴木鎮一先生の、才能教育研究会創設から発展のためのお話、人脈などがよく描かれていました。今回、鈴木先生の生涯を多くの人々に知っていただくことは、大変嬉しく思い、「一見の価値あり」の舞台劇でした。

江村孝哉先生(関西地区ヴァイオリン科指導者)

 以前から、鈴木鎮一漫画物語「音に心を、音にいのちを」の延長で、小説「鈴木鎮一物語」、そしてテレビドラマ化というような形で、多くの人に鈴木先生を知ってもらえないかと願って来ました。

 その流れとして、このように鈴木先生が取り上げられたことは、喜ばしいことではありますが、松本だけでのイベントでは残念です。全国区でできないものかと思いました。

 伝田先生のご子息の演奏は、感動的で、スズキトーンに満ちていました。ますますのご活躍を期待します。ロビーにタケカワユキヒデ氏のお花が飾られていましたが、タケカワユキヒデ氏と鈴木先生の縁戚関係(政吉氏が母方曽祖父、鎮一先生が母方大叔父)も、もっと知られても良いのにと思います。

石川洋子先生(九州地区ヴァイオリン科指導者)

 鈴木鎮一先生がお生まれになる前、鈴木先生のお父様が、なぜ三味線作りをやめ、ヴァイオリンを作るようになったのかという時代の話から、亡くなるまでの100年以上にわたる劇でしたので、3時間半に及ぶ大作でした。

 演じているのは、プロの方がお二人だけとのこと!あの台詞を覚えるだけでも、拍手、拍手です。そして鈴木先生が演奏される場面は、伝田さんが演奏され、鎮一先生を演じていらっしゃる方はヴァイオリンを構えたまま微動だにせず立っていらっしゃるのは、凄いなと思いました。

 「愛に生きる」で知っているタイプライターのくだりや、苔を取ろうとしてスコップを投げたが予想に反して落ちて来ず、石を投げてやっと落としたくだりなどから、クリングラー先生、アインシュタイン博士との出会いなどなど、丁寧に作られていました。

 バレエ、日本舞踊、コーラス、木遣り歌など、言葉も名古屋弁、ドイツ語、木曽言葉など多彩で、幼少期の豊田耕兒先生、鈴木裕子先生も登場され、楽しかったです。

 休憩後は、だんだん私たちの知ってる時代となり、カザルス先生やカーター大統領、井深大氏、本多正明先生、望月謙児氏なども登場され、鈴木先生の最期はナレーションでしたが、鎮一先生が99歳で亡くなられたと聞いて、観客席からは「オー」という声が上がっていました。

 最後は松本支部の生徒さんのヴィヴァルディ協奏曲a-moll、アレグロ、キラキラ星変奏曲の演奏もあり、伝田正秀さんの演奏される「アベ・マリア」で締めくくられ、なんだか涙が出てきました。

 127回のお稽古をされ、300人以上のスタッフ・キャストの方々で作り上げられたこと、スズキ・メソードを知らない方々にご覧いただくことができたことは、本当に良かったと思います。

結城賢二郎 松本市芸術文化祭実行委員会 60周年特別公演実行委員長

 午後12時30分「音にいのちあり〜鈴木鎮一愛と教育の生涯〜」がスタートしました。序奏の「名古屋の子守歌」を、鈴木鎮一先生の姪御さんである鈴木裕子先生のヴァイオリン演奏で始まり、引き続き幕が上がりました。

 鈴木政吉の三味線作りから、愛知師範学校にてヴァイオリン製作に変わる場面、鈴木バイオリン工場、東京での徳川義親侯爵の出会い、ベルリンでカール・クリングラーにヴァイオリンを師事、アインシュタインとの出会い、ジング・アカデミーバス停留所でのアインシュタインとの待ち合わせ、ワルトラウト夫人との結婚式、母 お良の危篤にて名古屋帰国、そして東京帝国音楽学校校長としての生徒指導、第2次世界大戦による木曽福島疎開、豊田耕兒少年との再会、松本音楽院開設、本郷小学校での実験教育、才能教育会館落成式、幼児開発協会発会式、最終章で「音にいのちあり 姿なく生きて」。

 3時間にわたる、総勢300名による市民参加演劇が、ゲストにヴァイオリニストの伝田正秀さん、声楽家の青山貴さん、そしてスズキ・メソードの子どもたち150名による演奏、とともに大きな感動的ドラマで昼・夜2回公演で、多くの客席の皆様に鈴木鎮一先生を知っていただくことができました。

 松本市芸術文化祭実行委員会が今年60周年を迎えたわけですが、最初に芸術文化祭実行委員会を立ち上げたのが、鈴木鎮一先生でした。昭和35年に松本市民会館ができ上がり、松本に芸術文化らしき活動もなかったのが実情でした。その時に立ち上がり、松本に世界に誇れる芸術文化をつくり、活動しましょうとの声を上げたのが、鈴木鎮一先生だったのです。

 私は、鈴木鎮一先生がお忙しい時には、芸術文化祭の会議に会長代理として出席し、鈴木先生がお亡くなりになられるまで、21年間活動をともにしてまいりました。このドラマを企画するにあたり、そうした事柄が根っこにありました。

 最期になりますが、鈴木鎮一先生の永遠に残る言葉の美しさ、子どもの成長に伴い、今こそ感性教育が、特に必要な時期を迎えていると思います。もう一度、鈴木鎮一先生の「どの子も育つ」を思い出し、子どもたちのために、実践していただきたいと思います。

紿田俊哉 スズキ・メソードOB・OG会副会長
 
 正に「深い感動をいただいた素晴らしい公演」でしたの一言につきます。まず、脚本・演出・総合プロデュース、また、ダブルキャストも演じられた美咲蘭様と、それを支えてこられた多くのスタッフの方々の長期にわたる大変なご尽力に頭の下がる思いと、心からの感謝の気持ちを持ちました。本当にありがたいことです。

ヴィヴァルディのa-mollなど、素晴らしい演奏をした子どもたち 感動の場面は数多くありました。全体に流れる鈴木鎮一先生の深い人間愛に満ちたお考えの数々、私が何度も耳にし、今でも機会あるたびにふと弾いてしまう「名古屋の子守歌」。しかも、その演奏を私の幼馴染で、子どものころ大変かわいがってくださったお姉さま格の鈴木裕子さんによる素晴らしい演奏。そして、私が小学校5年生の時、研究科を卒業した直後から鎮一先生に直接レッスンをしていただいたメンデルスゾーンやブルッフのコンチェルト、それを今回、伝田正秀さんと、裕子さんのお嬢さんの石川咲子さんとの素晴らしい共演で聴くことができたこと、公演最後の子どもたちによる合奏演奏、とりわけヴィヴァルディのa-mollは音色・音楽表現・演奏姿すべてが最高!でした。

 ヴァイオリンの演奏とは別に、舞台に立たれた主役の皆様と、それを立派に支えておられ方々による演技、ソプラノ、合唱、ダンス、バレエ、日本舞踊等々、全体のストーリーの流れの中で、それぞれが素晴らしく輝いて深い感動を与えてくださいました。「ありがとうございました、ご苦労様でした」の言葉に尽きます。

 私は、小学校5年生(1956年)から高校2年生(1962年)までの間、毎週、飯田線の伊那から松本に当時2時間がかりで電車・汽車を乗り継いで通い、土曜日の夜は松本音楽院での合奏レッスン、その夜は毎回、鈴木先生のお宅に泊めていただき、日曜日朝、鎮一先生、お妹さんのひなおば様とご一緒に朝食をいただいた上で、朝一番で鎮一先生のレッスンを受けた日々を5年以上送らせていただきました。

 以下大変個人的な思い出で恐縮ですが、当時のことを思い出すままに書いてみましょう。
 懐かしい仲間の皆様、裕子ちゃん(鈴木裕子さん)、紘子ちゃん(正岡紘子さん)、とみこちゃん(志田とみこさん)、篤ちゃん(徳武篤さん)、尋子ちゃん(鳥羽尋子さん)、悦ちゃん(末廣悦子さん)、そして、私と一緒にヴァイオリンを習い始め、自宅練習ではいつも指導してくれた7歳年上の兄、英ちゃん(紿田英哉)との霧ヶ峰などの夏期学校・全国大会で鎮一先生とご一緒の合奏の数々や演奏を離れてのいろいろな遊び。鎮一先生の新しい松本の家(現在の鈴木鎮一記念館です!)ができ上がり、バトミントンができるコートまであって楽しめたこと。鎮一先生は大のたばこ好きでおられ、缶入りピース缶を常にお手元に置かれていて、今でいう大変なchain smokerでいらっしゃったこと(そのため?私も現在まで喫煙を楽しんでいます)。

 鎮一先生のレッスンのたびに、先生より「貴方の先生はどなたですか?」とのご質問あり。ベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトの時に、「ハイフェッツです」とお答えしたら、「グリュミオー先生に一度習えるといいですね」とのお言葉。当時の私の住む伊那の時計屋兼レコード屋さんでは、なかなかレコードが手に入らない中、演奏者の選択は二の次、まずは演奏曲のレコードの入手ができるかどうかが最優先でした。

 土曜日の夜、良く生徒のお姉さま方と一緒にご馳走になったカレーの美味しかったこと(材料がすべて細かく切られ、色も深い褐色の特製カレー)。日曜日の朝の先生とひなおば様との朝食、だるまストーブでコッペパンを焼いて、たっぷりバターやジャムを付けての食事。サラダや卵料理などもあって、当時としてはぜいたくな立派な朝食を楽しませていただいたものです。先生は、ハチミツの愛好家でいらっしゃって、朝食のつど、グラスに入ったハチミツの容器からそのままよくお飲みになっておられました。レッスンが終わり、帰宅の際は、ひなおば様が、必ずタクシーを呼んでくださり、松本駅までタクシーで。電話口で交換手に「九十一つ」と松本タクシーの電話番号を伝えておられる姿とお声が思い出されます。ずいぶん脱線してしまいました!

 最後になりましたが、今回の素晴らしい公演については、ぜひ日本のみならず、全世界のスズキの関係者、さらにはそれ以外の関係者にも広く鑑賞いただきたいと強く思いました。その意味で、今回の特別公演を収録されたDVDを、ぜひ早急に制作いただきたいと思います。私が所属するスズキ・メソードOB・OG会でも全会員に配布できることを切望いたします。よろしくお願いいたします。 

宮原正治先生(関西地区ヴァイオリン科指導者)

 家族で観に行きました。これまで知らなかったことや人物の相関関係など、理解を深めることができました。こういった舞台はこれまでになかったものですから、スズキ・メソードや鈴木鎮一先生のことを広く一般に知っていただくためにも、良いきっかけになると思いました。ぜひまた上演していただきたいです。