早野龍五会長と保護者との
「第2回ネット交流会」を開催しました!

 

 クリスマスサンデーの12月25日(日)14時から、早野龍五会長と保護者との第2回ネット交流会が開催されました。テーマは第1回に引き続き「おうちお稽古Part2」。さらにサブタイトルとして「忙しい年末・年始の乗り切り方」が設定されました。まさに時期に見合った企画となったわけです。また、今回は、著作権法を専門とされる早稲田大学法学学術院教授で、チェロ科出身の本会理事、上野達弘先生にも加わっていただき、ご自身のこれまでの歩みや現在も室内楽で演奏活動を楽しまれる様子を語っていただきました。後半は、あらかじめいただいていた質問に、お二人と現役指導者から答えるもので、前回同様のスタイルとなりました。

 まずは、早野会長のご挨拶から。
 12月22日の大府市訪問の話から始まりました。「バイオリンによるまちづくり推進の協定」の締結に関してです。大府市へは初めての訪問ながら、早野会長は「懐かしい感じがしました」と開口一番。というのも、名古屋を挟んで大府市と反対側に早野会長が育った岐阜県大垣市があり、その大垣と父親が通った愛知県豊橋市を結ぶ鉄道が、大府市も通過することから、幼少時の思い出が想起されたようです。
 
 松本に転居され、松本音楽院でヴァイオリンを始め、鈴木鎮一先生に師事されるくだりでは、発表会の写真を提示しながら「この頃は、なかなかいい姿勢で演奏していました」「きっといい音が出ていたでしょう」と嬉しそうにお話しされました。そして夏休みと年末は、決まって松本から名古屋に出て、父方の実家のある大垣に帰省し、帰りには名古屋の母方の実家により、松本に戻る習慣だったとのことです。
 
 そして、この日のゲスト、上野達弘先生登場。

上野達弘理事

 上野先生は東京に生まれ、2歳の時に神戸に転居。5歳になって梅田支部チェロ科の故野村武二先生の教室でチェロを学び始めました。上の二人がすでにピアノ科に在籍していて、ヴァイオリン科の門を叩くも満員で断られ、その当時、開校したての野村先生の教室に進まれたそうです。

右端の赤い矢印が上野少年

始めて2ヵ月頃の発表会の写真をまずは紹介いただきました。「椅子が少なくて、みかん箱に座って弾きましたね」と上野先生。当時の熱気が伝わってくる写真です。

 その後、野村武二先生が亡くなられ、ご子息の野村朋亨先生が留学先のパリから帰国され、教えを受けました。この写真は10歳頃の上野少年。「早野先生ではありませんが、なかなかいい構え方をしています。当時の方がフォームがいいかもしれません」と上野先生も負けていません。

 高校生になると、旧東ドイツ(DDR)への演奏旅行にも参加。「これは初めての海外旅行でしたし、本当に楽しかったですね。指導されたのが、やはりスズキ出身の小林武史先生です。ベルリンの壁が崩壊する1年前のツアーでした。当時の仲間たちとの交流は今も続いています」。その後、音楽大学に行きたいという気持ちもあったものの、周囲の反対もあり、京都大学法学部へ。 仲間たちと「このえ弦楽四重奏団」を結成。今年で30年になるという歴史があるそうです。このメンバーでバルトークカルテットやアマデウス弦楽四重奏団の指導を受けたり、京都大学の近くで開催された京都フランス音楽アカデミーでチェロのフィリップ・ミュレール先生のワークショップに参加されたり、チェロ三昧の生活。スズキ出身の長谷部一郎さんや、今はガンバを弾かれる、やはりスズキ出身の酒井淳さんとの交流もありました。

 その後、京都大学の大学院に進み、成城大学法学部専任講師、立教大学教授を経て、2013年から早稲田大学法学部教授に就任。2度にわたるミュンヘン大学への留学で専門とする知的財産法の研究を極めながらも、さまざまな仲間たちとの室内楽のある生活を楽しまれてこられた上野先生。「海外でも学会のパーティなどで演奏することも多く、楽器ができることでコミュニケーションがとても盛んになりました」と目に見える効果をお話しいただきました。

 
 最近は、また海外での講演活動なども再開されておられますが、基本は早稲田大学法学部教授として、ご専門の著作権法についてのゼミを担当。学生たちに、「このイラストとこのイラストは似ているかどうか」といった具体例を用いながら、被告の代理人になったつもりで、あるいは訴えられた側の弁護人になったつもりで、ディベートをやらせることが多いそうです。W杯のような仕組みで勝ち残るゲーム感覚を採用。「ディベートゼミは学生同士が競争し、評価し合うため、彼らのモチベーションになりますね」と上野先生。
 
 最後に、鈴木先生が残された言葉についてお話をいただきました。「それぞれになるほどなぁという共感があって、今の時代にも通じます。私のディベートゼミのモチベーションを持たせる目的にも似たところがあるのではないかと思っています」

 
 全体にソフトな語り口の中で、大切な要素をたくさん含まれたお話でした。
 
 ここからは、質問タイムです。早野会長と上野先生を中心に、指導者も参加して、あらかじめいただいた保護者からの質問に答えていきました。
 

  • お二人の演奏をお聴かせいただけると嬉しいです。

 上野先生はアクティブにやられていて素晴らしいですが、僕の方はいずれのそのうちにやりましょう、と申し上げておきます。言うだけかもしれませんが(笑)。
 

  • 寝幼少期から成人前後までの年末年始の過ごし方がどのように変化されたか教えてください。どうしても緩みがちな年末年始に、(幼少期から成人前後にかけて)1日あたりどれくらい練習をされましたか?

(上野先生)もうあまり覚えていないのですが、練習ができない日もあると思います。そう言う時はレコード(CD)を聴きましたね。
(早野会長)僕は、ヴァイオリンを持って帰省していました。祖父母は僕が演奏すると喜んでいました。あまり触っていなかった記憶があります。
(上杉先生)年末年始は、ピアノを持って移動ができないので、多分諦めていました。道中はずっとカセットがかかっていたことを覚えています。
 

  • 親が主体のお稽古から子ども主体へのお稽古への移行がなかなか進みませんが、どのような段階を踏んでいったらよいでしょうか。

(上野先生)レッスンには親は長くついてきていましたね。中学くらいかなぁ。中学はテニスもやっていましたけど、「チェロは続けるもの」と言う理屈ではない何かができていましたね。
(早野会長)それは僕もありますね。音楽でなくても、今はこれをやると決めたことは続けることができます。子どもの頃に習慣になったのでしょうね。
 

  • お稽古は帰省や旅行などで、一定期間楽器に触れられない時にもできるお稽古を教えていただきたいです。

(末廣悦子先生)私はヴァイオリンなので、「どこに行くにも持っていってください」といいます。どうしても持っていけない場合は、CDを聴いてくださいといいます。
 

  • 受験時期の乗り切り方についてアドバイスいただけましたら幸いです。

(上野先生)ずっと公立でしたし、塾も行っていなかったですね。
(早野会長)僕も大学受験まで受験というものを経験したことがないです。
(石川洋子先生)時間の使い方の練習だと思ってください、と私の場合はアドバイスをしていますね。
 

  • 毎日のお稽古を飽きずに続けるための工夫があれば教えていただきたいです。

(上野先生)鈴木先生もおっしゃっていましたよね。「練習しなくていいのは、食事ができない時(病気の時)」と。「握手をしたら2時間」とか。とにかく10分でも弾かないと気持ち悪い、というふうでした、私の場合。それと「宝くじコンサート」をティッシュケースに入れて、ひいたカードの曲を弾きました。やはりゲーム感覚を大切にしていましたね。
(早野会長)鈴木先生は、遊びのレッスンが多かったですね。
(末廣先生)とにかく鈴木先生のレッスンは楽しかった思い出があります。家の稽古は嫌いでしたが、鈴木先生から辛辣なことを言われても、やっぱりやらなきゃ、とお見通しでした。
 

  • 練習がいつも後回しにしがちです。どうしたらいいでしょうか?

(上杉先生)大人も後回しにすることがありますが、やると決めたら、一番先にやってしまうことを心がけてください、と伝えますね。後回しにすると、それが習慣になってしまいます。なんとか最優先でやってほしいですね。
(上野先生)僕の場合は、食事の前でしたね。やはり決まった時間があるといいと思います。
 
以下の質問項目への受け答えが続きました。全貌は、2月〜3月発行の機関誌で紹介します。最後に簡単なアンケートにもお答えいただきました。参加の皆様、ありがとうございました。
 
こうしたネット交流会は、今後も回を重ねていく予定です。