12月9日(土)松本公演、12月17日(日)東京公演は、
「奇跡のステージ」となりました!

 


 

12月9日(土) 松本公演(才能教育会館ホール)
主催:公益社団法人才能教育研究会

報告:黒河内健 業務執行理事

 
 12月8日(金)のお昼すぎ、例年になく穏やかな松本駅のホームに豊田耕兒先生、元子先生が降り立たれました。ご長男でヴァイオリニストの豊田弓乃先生ご一家も揃い、お孫さんもご一緒とあって、記念コンサートを迎えられたお二人の表情も和やかでした。
 
 早速リハーサルに向けて才能教育会館ホールに直行。到着直後でご休憩された方がいいのでは、という関係者の心配は杞憂に終わり、早速会館ホールで翌日のプログラムの曲順でリハーサルが始まりました。途中からは弓乃先生ご一家も来場集合され、譜めくりや細部の確認も含めて2時間半以上の入念なリハーサルが行なわれました。
 
 翌日の午前中も精力的なゲネプロの合わせが行なわれました。豊田耕兒先生の本番に向けた体調を気遣われる弓乃先生と意に介さず精力的に進められる元子先生のやり取りが何ともスリリングでした。
 
 ホールの内外には関係者からの壮麗な花壇も飾られ、開宴1時間前にはお客様が来場し始め、予定の14時には楽器をお持ちになられ、ゆっくりと歩まれながら豊田耕兒先生と元子先生が登場されました。耕兒先生のスーツの漆黒と元子先生の鮮やかな紫のドレスがステージに映え、満場の拍手が鳴りやむと会場全員の神経がお二人の最初の音に集中しました。
 

 モーツァルトの後期ヴァイオリン・ソナタの代表作である変ロ長調KV454は、軽やかなヴァイオリンとピアノのかけあいの対話が人生の年輪を重ねてこられたお二人の秘めた会話を聴いているようでした。モーツァルトに続いて、元子先生のソロでショパンの練習曲、有名な「別れの曲」を聴かせていただきました。冒頭の静かなメロディ、中間部の激情からまた最初のメロディ、一音一音語り掛けてくるようで、パリで学ばれてコルトー先生の薫陶を受けられた元子先生のこれまでの人生が集大成となって語りかけてくるように感じました。

 休憩後は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調。何かを予言しているような意味深な第1楽章の始まり、いつくしむような平和な第2楽章、軽やかな第3楽章、最初の予言が蘇ってきたような不気味な旋律と人生の勝利宣言のような終楽章。どの楽章もドラマに満ちていてのめり込んで聴いているうちに気がつくと拍手が響いていました。
 
 こんな大曲を弾かれて、休憩もなしに最後がクライスラーの難曲『プニャーニの主題による前奏曲とアレグロ』ですから、本当にすごいなあ、の一言に尽きました。この曲はスズキ・メソードの生徒さんも挑戦される方も多いので選んでいただいたのかもしれませんね。
 
 全曲終了後にステージに戻られた豊田耕兒先生がマイクをお持ちになると会場が静まりかえり、お話しが始まりました。「鈴木鎮一先生はいつもこのシューベルトの『アヴェマリア』を弾かれていて・・」実は前日のリハーサルではアンコールはグノーの『アヴェマリア』のはずでした。本部会館ホールの演奏は鈴木鎮一先生への感謝の捧げであり、それだけシューベルトの『アヴェマリア』には強い思い入れがあられたのでしょう。元子先生も楽譜を急遽グノーからシューベルトに置き換え、祈りをささげるような清らかな音で耕兒先生のヴァイオリンをいざなっていらっしゃいました。続いて天上の鈴木鎮一先生にお届けするようにグノーの『アヴェ・マリア』の調べが響き、最後は再び鈴木鎮一先生への感謝のお言葉で全プログラムが終了しました。

 終演後は会館ロビーにはお二人にご挨拶をする人の列が続き、何と1時間以上も時には立たれたまま、来訪者と笑顔で再会の喜びにひたっておられました。
 
 90歳、88歳という長い人生の節目を迎えられ、お二人でこれほどまでの圧倒的なコンサートをされることに畏敬の念を感じるとともに、人間の生の素晴らしさを感じた2日間でした。
 
 公演にあたっては、松本支部の指導者の皆様には特別のご支援をいただきました。ありがとうございました。


 

12月17日(日) 東京公演(銀座 王子ホール)
主催:ミリオンコンサート協会

報告:編集部

 

 銀座4丁目という、銀座でも一等地にある音楽専用ホール、それが銀座 王子ホールです。

バックステージには、このステージを飾った
一流の演奏家の公演ショットがずらり

国内外の一流演奏家を招いた主催公演に加え、多くの音楽家が聴衆と触れ合う場として親しまれ、その音響の素晴らしさは、奏者たちを輝かせます。ヴァイオリストの 篠崎“まろ”史紀さんによる「MAROワールド」公演は毎回楽しみな企画が続きますし、身近なところでは、スズキ出身のヴァイオリニスト、印田千裕さんと弟のチェリスト、印田陽介さんとのデュオリサイタルも長年にわたり、このステージで開催され、2台の楽器によって紡がれる独特な世界が、毎年紹介されています。

 そのステージに登場されたのが、90歳の卒寿を迎えられた豊田耕兒先生、そして88歳の米寿を迎えられた奥様の豊田元子先生でした。
 
 プログラムのライナーノーツには、その昔、弦楽専門誌「サラサーテ」誌で一緒に仕事をしたことのある音楽評論家の真嶋雄大さんの素敵な文章が掲載されていました。「マエストロこそは日本の西洋音楽の黎明期から現在までを支え続ける音楽界の巨人。本日はそのマエストロが音楽ばかりか人生の哲学さえも薫陶を受けたという鈴木鎮一師の没後25周年を飾る、尊崇と敬愛、そしてオマージュに満ちた垂涎のコンサートである」のくだりは、真嶋節(ぶし)の真骨頂。また、このプログラムには、マンスリースズキの2023年7月号で取材し、紹介した豊田耕兒先生の写真が2枚使われました。主催元がマンスリースズキの記事をご覧になられてのオファーということで、大変ありがたいことです。
 
 数多くのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタの中でもヴァイオリンが伴奏ではなく主旋律を担うことの多くなったウィーン時代のKV454。「まるで自動車と自動車がぶつかったような曲。とんでもない曲をモーツァルトは書きました」と、演奏前にいきなり聴衆に語りかけた耕兒先生(先生は語りかけるのが本当にお好きです。元子先生からは「早く!」の声も)。耕兒先生の明るい音色にぴったりの選曲でした。 続いて演奏されたのが、元子先生の独奏でショパンのエチュード「別れの曲」。松本同様にプログラムの順に変化がありました。88歳というお年をまったく感じさせない表情豊かな演奏と音色で、聴衆を魅了しました。

 休憩後に演奏されたベートーヴェンの第7番のヴァイオリン・ソナタは、ハ短調が内包する 劇的な緊張感と緻密きわまる構成に彩られた作品。お二人の越し方を感じさせつつも、間を懸命に取り持たれる、次男でチェリストの豊田里夫さんのサポートも印象に残りました。

 この日の圧巻は、なんといってもプログラムの最後に演奏されたクライスラーの『プニャーニの主題による前奏曲とアレグロ』でしょう。楽譜にして3ページの小品ですが、序奏部分のアレグロは、とても勇壮で厳か。聴くものの魂を揺さぶるようなフレーズが続きました。ヴァイオリン奏者なら一度はトライしたことがある出だしです(まだトライしていない方は、いつかぜひチャレンジを!)。ページをめくってからの見開きは、16分音符だらけです。技巧的な分散和音の連続、そして重音を駆使した畳み掛けるよう展開は、難攻不落の高い岩肌のよう。臨時記号も多く、弾き手に高いハードルを与える非常に技巧的な難所が続きますが、耕兒先生は、ひるまず真摯に立ち向かい、鮮やかに山頂に立たれた、そんな感じでした。長年にわたる弦楽器への研鑽の賜物ですね。特に重音の美しさ、確かさ、そしてボウイングの美しさには舌を巻くほどでした。

 大きな拍手が続いたあと、アンコール演奏の前にマイクを持たれた耕兒先生。「生涯を通じて、お世話になった先生がおりました。その方は鈴木鎮一先生です。鈴木先生は、お子さんたちが音楽によって生涯を幸せに過ごされることを願っておられました。先生、ありがとうございますと心から申し上げたいです。その鈴木先生がとてもお好きな音楽がありました。それは・・・言わないほうがいいかな。(会場大爆笑!)でもこのことを知っていただきたいので、申し上げます。マリアの音楽です。とても大切にされておられました。皆さんの心をそちらの世界に持っていらっしゃいとおっしゃっているかのようでした。われわれが何かいいことに出会えることを考えたらいいのではないかと思っています。そう、神の世界です。でも、私がそんな偉そうなことを言って、それができるという意味ではありません。まだまだです。ですけど、このメロディの素晴らしさを聴いていただいて、今晩はお別れしたいと思います」。静かに元子先生のピアノがアルペジオを奏で始めました。バッハ=グノーの『アヴェ・マリア』でした。まさに鈴木先生への感謝と敬愛の気持ちを込めたエンディングとなったのです。

 早野龍五会長をはじめ、多くのスズキの指導者たちや生徒さんたち、関係される皆さんにお越しいただいたこの日のコンサート。そして多くの音楽愛好家たちが駆けつけた中には、ヴァイオリニストの和波孝禧さんのお姿もありました。閉演後のロビーでは耕兒先生と元子先生の演奏をねぎらう姿が重なり、お二人の晴れやかな笑顔が続きました。主催のミリオンコンサート協会のご担当者も、「ステージにお立ちいただくことが奇跡ですし、あれだけの音楽をされることに感服いたしました」と絶賛。本当にその通りです。耕兒先生と元子先生、ありがとうございました。そして、サポートに徹しられた里夫さん、お疲れ様でした。