指導者たちによる室内楽の調べ

 

  甲信地区ヴァイオリン科指導者の井上悠子先生が、沖縄地区ヴァイオリン科指導者の吉川絵里菜先生、関西地区チェロ科指導者の伊藤岳雄先生とともに松本市内でコンサートを主催されました。6月2日〜5日に松本市内で開催された全国指導者研究会の後に設定された貴重なコンサート機会になったようです。その様子を井上悠子先生から、ご紹介していただきました。

 

Yuko with Friends   
Violin Duoの響き
2025年6月7日(土)17:00開演
 Gallary & Cafe 憩の森(松本市)

 
 

レッスンに反映できる「気づき」が随所にありました。

井上悠子(甲信地区ヴァイオリン科)

 日頃スズキ・メソードの指導者として活動する中で、演奏の機会を持つことも勉強の一環として考えています。単純に楽器を弾いたり、人前で弾く経験を持つだけでなく、様々な作曲家の音楽を知ることや、そこから求められる音楽の幅が広がり、音のお稽古を深めるといった、いろいろな角度からの勉強ができ、指導に繋がります。指導の際に役立つ「引き出しの中身」を増やすきっかけが、演奏活動には溢れているのです。
 

井上悠子先生(左)と吉川絵里菜先生(右)

 今回のコンサートは、沖縄地区ヴァイオリン科指導者の吉川絵里菜先生に、松本での全国指導者研究会に現地参加してもらいたいと思ったところから企画しました。

 指導者によるオンライン配信チームが持つ高い技術力で、オンライン参加でも時差なく充実した手応えを得られる研究会になっているのですが、現地参加で持ち帰れるものの大きさを考えれば、可能な限り現地参加したいし、して欲しいので、誘うきっかけになればとの思いでした。
 
 コンサートに向けては、指導者としてレッスンに反映できる「気づき」を得て収穫として持ち帰るという目標が、共通認識として初めからあったように思います。
 
 選曲の時も生徒に勧められる曲かを想像し、有名な曲ばかりに頼ったりポップスを選ぶことはせず、クラシック音楽の範疇をはみ出さず良い曲を探していきました。また、2人ともヴィオラの指導者認定をいただいていますが、今回はヴァイオリン・デュオにこだわった選曲にしました。

 そして、友情出演をお願いした伊藤岳雄先生(関西地区チェロ科)のおかげで、プログラムが多彩なものになったことは言うまでもありません。

 ヴァイオリン・デュオで同じ楽器2本だけで演奏することと、ホールとは違う響きの会場での音作りは、音程や音色の点で思った以上に難しかったのですが、理想の音を想像し、聴く耳を育てることが、どの瞬間も大切だということを実感できました。また、沖縄民謡では絵里菜先生から出る、言葉では説明できない「こぶし」や拍子の感じが、器楽的に真似できず、環境で育った感覚の尊さを見ました。
 
 最後にもう一つ。絵里菜先生が25周年で才能教育研究会から表彰を受けるタイミングだったことは、後から分かった偶然でとても嬉しかったことです。研究会の会場にいられたことも、たくさんの収穫の一つだったと思います。

【コンサートプログラム】
・プレイエル:ヴァイオリン二重曲集より(デュオ)
・ミヨー:2つのヴァイオリンのための二重奏曲より(デュオ)
・ヴィヴァルディ:トリオソナタ 第12番 ニ短調 RV63 「ラ・フォリア」 (トリオ)
・絵里菜先生編曲:沖縄わらべ唄と民謡メドレ一 (トリオ)
・ベリオ:デュオ・コンチェルタンテ第3番
J.S.バッハ (アップルバウム編曲) :シャコンヌ…2つのヴァイオリンのための
・アンコール:Tea for Two (トリオ)


お互いの歴史が見える、感慨深い時間でした。

吉川絵里菜先生(沖縄地区ヴァイオリン科)

 第二の故郷、松本での今回のような演奏会は初。
 普段は、指導、演奏、子育てなどなど時間が足りないと感じながら話していますが、合わせる前はシンプルに音楽と向き合う時間が楽しみでした。いざ、合わせが始まると音楽からお互いの歴史が見えてきて、とても感慨深い時間でした。生徒にもそうするように自分にも演奏の場を作り続ける意味を共有している大切な仲間からの刺激は、また次のエネルギーに変わります。
 このような演奏会はすぐに実現しそうで、距離やそれぞれの環境の違いから開催するまで思った以上に大きなエネルギーが必要でした。きっかけを作ってくれた井上悠子先生に感謝申し上げます。


新たな発見の場にもなりました。

伊藤岳雄先生(関西地区チェロ科)

 信念を共有する仲間とアンサンブルの「音楽」を通して「対話」をしてできあがる音楽そのものや、楽器の奏法の研究を続けている結果を、お客様に披露するのは楽しみでもあり、怖さもあります。普段、それぞれが個人として研究を続けている仲間と「自分の研究」が変な方向に向かっていないか確める場にもなりますし、新たな発見の現場にもなります。
 音楽を通して、本質的な何かと向き合う現場の様子をお見せできたとしたら、ありがたいことだと思います。