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山本眞嗣先生を偲ぶ会2025 開催のご報告

甲信地区ヴァイオリン・ヴィオラ指導者 井上悠子

 
 関東地区ヴァイオリン科指導者として長く活躍され、2012年に亡くなられた山本眞嗣先生を偲ぶ会が、8月18日(月)にパルテノン多摩小ホールで開催されました。いつも指導活動の中心に弦楽合奏を置き、「アンサンブルを通して人を育てる」ということを大切にしていらした山本先生。生徒たちは毎月一回の合奏団の練習を楽しみ、様々な曲や音楽に出会い、時にはテレビ番組に出演するなど、貴重な経験をさせていただきました。

 なかでも思い出深いのは1983年、85年、88年の3回にわたるDDR(ドイツ民主共和国・旧東ドイツ)演奏ツアーです。全国から選ばれた生徒たちで弦楽合奏団を編成し、同国文化省の招聘を受け、各都市を回り、ベルリン音楽祭への参加もありました。当時の季刊誌『才能教育』にも、ツアーの様子が写真付きで掲載されています。(編集部註:この記事の一番下に掲載)その後も、日韓合同合奏団での韓国ツアーや、シドニーでは日韓豪合同メンバーによる弦楽オーケストラを結成するなど、海外との交流の機会にも恵まれました。

 今回の「偲ぶ会」に向けて、山本先生が生前書かれた文章を読み返す機会がありました。そこには、「合奏を通して生徒たちの音楽の世界が広がり深まり、友情の輪が広がり人間的に成長した姿を見ると、裏方としての苦労も大きな喜びに変わる」と記されていました。私たちが人生の宝物となるような大きな経験を重ねることができたのは、先生方の惜しみないご尽力と、高い志があったからだと、改めて深く感じています。
 

 「山本クラス」といえば、やはり「弦楽合奏」という印象が強いのですが、今回の「偲ぶ会」は、あえて懐かしい発表会の形式で行なうことになりました。斉奏をしたり、もちろん弦楽合奏もしたり、「チェロの斉奏も聴きたいね」「最後はやっぱりキラキラ星で締めよう」など、子どもの頃を思い出しながらの企画会議も楽しい時間でした。 参加者募集をして懐かしい方々に声掛けを始めると、山本クラス出身者だけでなく、DDRツアーや韓国ツアーなど、合同の弦楽団で一緒に弾いた仲間が多く賛同してくれました。スズキ・メソードの指導者になった仲間もいます。

発起人の庄司昌仁さん

 プログラムの冒頭に掲載された、発起人の庄司昌仁さんによる挨拶文を紹介いたします。今回の「偲ぶ会」に込めた思いが、非常に分かりやすく書かれています。庄司さんは、代官山にある弦楽器専門店「ミュージックプラザ」の社長で、ヴァイオリン製作マイスターでいらっしゃいます。 

 

ごあいさつ

 これより『山本眞嗣先生を偲ぶ会2025』を開催いたします

 山本先生が亡くなられたのは2012年8月7日でした。葬儀ではみんなで演奏しましたね。その後2014年、2018年とYMO (山本眞嗣メモリアルオーケストラ)の演奏会が行なわれました。 そして久しぶりに山本先生と旧友との音楽の時間を作りましょう!と、コンサートをすることができました。ひとえに参加してくれる仲間、予定が合わずに参加はできないけれど応援してくれる仲間のおかげです。

 今回のコンサートは私たちの原風景「発表会」のような形にしました。スズキ教本からの斉奏、数え切れない楽しい思い出を作った合奏です。ピアノ伴奏は水谷稚佳子先生が引き受けてくださいます!

 今日は、山本先生や保護者の「親世代」、我々の「子世代」と、そして「孫世代」や山本先生を知っている一緒に音楽したという「仲間たち」で作る演奏会です。

 どうぞあの時に思いを巡らし、楽しみましょう。

 
 懐かしの斉奏では、第3回DDRツアーでも演奏したメンデルスゾーンの「協奏曲ホ短調 第3楽章」を演奏しました。30~40年振りに弾く方がほとんどでしたが、40人近くの「元・子ども」たちは、美しい音で難曲を弾ききりました。子どもの頃にみっちり取り組み、きちんと身に付いたものは、たとえブランクがあっても、努力によって取り戻せるという達成感を得られたのではないでしょうか。私自身も指導者として、「能力の法則」を肌で感じる瞬間でした。
 
 チェロの斉奏では、関東地区チェロ科指導者の寺田義彦先生が、リハーサルからご尽力くださいました。寺田先生には、山本弦楽団やDDRツアーなどで長年大変お世話になりました。先生の元教え子に向けた丁寧な言葉掛けと、それに音で応えようと真剣に演奏する元教え子たちの姿があり、聴いていたすべての人たちが多幸感に包まれたように思います。
 
 そしてやはりメインは弦楽合奏です。ヴァイオリン科4・5巻にある「バッハのドッペル」では、親子での参加者にソロパートをお願いしました。親子で合奏ができる喜びは、そこに至るまでの大変さを思えば、子育てのご褒美かもしれません。
 
 ヴィヴァルディの「四季」は山本弦楽団で代々「弾き」継がれていったレパートリーの一つで、特に、第3回DDRツアーでもコンサートマスターを務めた井手上康さんによるソロは、山本クラスの共通語のような存在です。井手上さんはドイツのバーデンバーデン・フィルでコンサートマスターを20年務めていて、みんなのコンマスが本物の(プロの)コンマスになったわけですが、井手上さんとの弦楽合奏はリハーサルも含めて、今回の「偲ぶ会」の楽しみの一つでした。

 今回、もう一曲、特別な意味を持つ曲がありました。J.S.バッハの名曲をR.ニールセンというイタリア系の音楽家が編曲した、弦楽合奏版「シャコンヌ」です。これは第1回DDRツアーで、堤俊作先生指揮のもとで演奏した思い出の曲ということでリクエストがあり、初めて弾くという方もいましたが、挑戦しました。

 楽譜に関しては、関西地区ヴァイオリン科指導者の江村孝哉先生が、快く貴重なスコアを提供してくださいました。江村先生はDDRツアーのメンバーで、第1回の当時スコアしかなかった「シャコンヌ」の楽譜を、パートごとに手書きで起こすなどし、その後も楽譜を大切に管理してくださいました。

 「シャコンヌ」の曲中に、重厚な短調から明るいニ長調へと転調する部分があります。温かく神による救いを感じさせるような場面です。その瞬間、演奏者も客席の方々も、皆が山本先生をすぐそばに感じていたように思います。先生の奥様にも、たいへん喜んでいただけました。そして、このような演奏が、コンサート当日の午前中のリハーサルだけという限られた時間の中でできたということは、山本先生への皆の思いが音楽として形になった証であり、先生が私たちに遺してくださった「音楽の力」の賜物であるように感じました。

 参加した皆さんが「偲ぶ会」を通して幸せを感じ、今後も楽器を弾き続けるきっかけになっていれば、幹事としてこれ以上の喜びはありません。 

 「偲ぶ会」夜の部のレセプションに続きます。
 山本クラスの活動になくてはならない存在でいてくださった関東地区ヴァイオリン科の岡本和子先生、指揮者の井﨑正浩先生、発表会の部のコンサートには来られなかった卒業生たち、たくさんの方々の笑顔があふれる時間を過ごしました。

通訳だったダニエルさんとコンマス井手上さん

 DDRツアーで通訳をした、当時東ドイツの大学生だったダニエルさんにお会いできたことは、大きな驚きでした。40年前のツアーの最後、井手上さんと「また会おう、日本で」というメッセージを交わしていたそうです。共産圏の若者が当時どんな思いで過ごしていたのか。それから、いまダニエルさんは日本に住み、井手上さんはドイツに住んでいるということにも深い感慨を覚えているといったお話を聴き、40年前に山本先生に連れて行ってもらったDDRツアーの重みを改めて考えさせられました。

 




山本眞嗣先生を偲ぶ会2025 発表会の部 Program
2025年8月18日(月) パルテノン多摩小ホール

ヴァイオリン科 斉奏
  ヴィヴァルディ  協奏曲イ短調 第1楽章(4巻)
  ウェーバー    カントリーダンス(5巻)
  フィオッコ    アレグロ(6巻)
  エックレス    ソナタ 第1,2楽章(8巻) 
  メンデルスゾーン 協奏曲ホ短調 第3楽章(研卒)

チェロ科 斉奏
  フォーレ     エレジー(8巻)
  ポッパー     ガヴォット(7巻)
  サン=サーンス  白鳥(6巻) 

弦楽合奏
  J.S.バッハ      ドッペル 第1楽章
  ヴィヴァルディ   四季より「夏」
  J.S.バッハ      シャコンヌ
  アンダーソン   プリンク・プランク・プルンク

全員斉奏(チェロも一緒に)
  ドヴォルザーク  ユーモレスク(3巻)
  ヘンデル     ブーレ(2巻)
  鈴木鎮一     アレグロ(1巻) 
  鈴木鎮一     キラキラ星変奏曲(1巻)    

(参照)→マンスリー・スズキ 2018年10月号
山本眞嗣先生メモリアルオーケストラによる第2回コンサートの取材記事です。
 

写真撮影:石倉麻夕(本会ヴァイオリン科出身)

(参照)DDRツアーを紹介した当時の季刊誌