8年ぶりの開催となった「Cello Ensemble Nakajima 2026」

 

世代を越えて、音を聴き合い、段取りを確認したリハーサル

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 ゴールデンウィーク最中の5月5日(火・祝)、名古屋市の青少年文化センターで開催された「Cello Ensemble Nakajima 2026」は、OB・OGの演奏会というよりも、長い年月をかけて育まれた「積み重ねられた力」を強く感じさせたコンサートでした。 前回から8年ぶりの開催だけに、待ちわびていたコンサートでもあり、客席は東京や関西など、遠方からのお客様が多く駆けつけていました。
 
 スズキ・メソードのチェロ科を55年にわたり、支え続けてこられた中島顕先生。その門下から巣立った世代が、再び集い、音を重ねる。その光景には、音楽教育の本質が静かに、そして確かな姿として表れていました。
 

時間の厚みと確かな歩みを感じさせた本番

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 プログラムを眺めるだけでも、この演奏会の特色はよくわかります。古典の時代にチェロの新たな可能性を示したコレットの「フェニックス」の躍動感、名チェリストのクレンゲルがチェロアンサンブルのために残した「二つの小品」の豊かさ、8本のチェロのためにブラジルのヴィラ・ロボスが書いた「ブラジル風バッハ第1番」の圧倒的な巧みさ、ハイドンによる「ディヴェルティメント ニ長調」のワクワク感、ウィーン古典派の先駆けだったヴァーゲンザイルの「小品の組曲」の親しみやすさ、そして今年生誕150周年を迎えたカザルスの「カニグー山の聖マルタン祭」の平和への願い、などなど。
 
→プログラム全ページ
 
 合間には、現役生徒たちをソリストにし、チェロ科指導曲集の「マルチェロのソナタ」「ダンスラスティック」「アリオーソ」が挿入され、幅広い年代のチェリストたちの響きあいを楽しむことができたのです。いずれも幼い頃に繰り返し弾いた曲。ボウイングを直され、音程を整えられ、呼吸を学びながら、一歩ずつ積み上げてきたレパートリーです。さらに、舞台セッティングの時間を利用して「エレジー」を少人数アンサンブルで演奏するなど、随所にアイデアが光るのもこのメンバーたちの力です。
 
 スズキ・メソードは、才能を“瞬間的な煌めき”として捉えません。毎日の小さな努力、反復、継続、その積み重ねの中で人間が育っていくことを目指しています。そして、この「Cello Ensemble Nakajima 2026」は、その思想が数十年単位で結実した姿だったのではないでしょうか。
 
 プログラム冊子の参加者コメントにも、そのことが色濃く表れていました。
「子どもの頃以来、久しぶりにチェロを再開した」

「仕事や子育てを経て、また戻ってきた」
「中学生以来の再会だった」
「今も音楽が人生の支えになっている」──そんな言葉が並びます。
 つまり、この演奏会は、“今もプロとして活躍している人たちだけ”の舞台ではありませんでした。むしろ重要なのは、チェロを職業にしなかった人たちも、人生のどこかにチェロを持ち続けていたことです。
 
 鈴木鎮一先生は、「音楽家を育てる前に、立派な人間を育てたい」と語りました。音楽が人生から切り離されず、生き方の中に自然に残り続ける。その理想が、この演奏会にはありました。
 
 今回のコンサートのために新設されたInstagramには、リハーサル風景や集合写真、そしてメンバーによるプロ奏者となった方々へのほのぼのとしたインタビューなど、独特の空気感が伝わってきます。そこにあるのは、緊張感ではありません。むしろ、「帰ってこられる場所」のような温度です。
 
 →チェロアンサンブルナカジマInstagram
 
 チェロという大きな楽器を囲みながら、世代を越えて音を聴き合う。学生時代以来の再会もあれば、初めて同じ譜面台を囲む後輩世代もいる。しかし不思議とアンサンブルが成立していく。それは、全員が同じ“言語”を共有しているから。音の出し方。呼吸。フレーズ感。仲間の音を聴く姿勢。幼少期から身体に染み込ませてきたものが、何十年経っても残っているということ。これは実は、とてもすごいことです。今回の演奏会は、まさにその証明でした。
 
 さらに印象的なのは、若い世代がきちんと存在していることです。「積み重ねられた力」は、一人の努力だけでは成立しません。先輩が築き、後輩が受け継ぎ、その間を音楽がつないでいく。しかも、それが上下関係だけではなく、“ともに弾く関係”として存在している。これは室内楽的でもあり、スズキ・メソードならではです。そして主役にも伴奏にもなれるチェロアンサンブルだからこその素晴らしい効果を生み出しています。全体の響きの中で、自分の役割を理解し、音を重ねていく。そのまま人生にも通じます。
 
 その感覚を、幼少期から長年かけて育ててきた人たちが再会した時、単なる「演奏技術」を超えたものが立ち上がるのでしょう。今回の「Cello Ensemble Nakajima 2026」は、そうした時間の厚みそのものを聴かせる演奏会だったのだと思います。
 
 実は、リハーサル段階から、中島先生からの演奏曲に対する細かな言葉がけはありません。あるのは中島先生の照れ臭そうな笑顔と、時々見せるあの目の動きでした。ところが、本番で現役の生徒さんたちが舞台上に並んでからの合図は、全身全霊を込めたアクションの連続。この瞬間にかけるアプローチは、目を見張るものがありました。
 
 その場面以外の大半は、名だたる先輩たちが率先して音作りをリードし、和気藹々とした練習の中で、互いの音を聴き取り、自分の音を重ねてゆく姿が見られたのです。その意味でも、まさに「積み重ねられた力」の祝祭の場でした。
 
 素敵なコンサートを間近で見ることができたこと、また感じることの多い機会をありがとうございました。150人が集結した懇親パーティも充実した楽しい時間でした。
 

印象的だった山本裕康先生のメッセージ

 
 150人が集い、活況を呈した懇親会で、中島クラス出身の山本裕康先生(以下、裕康さん)のメッセージがとても印象的でした。
 

 冒頭、裕康さんは「白鳥」を演奏しながら涙が込み上げたことを語ります。その背景には、裕康さんが2巻や3巻をやっている頃、「息子が『白鳥』を弾けたら死んでもいい」と父親が中島先生に話していたというエピソードがありました。今回、その原点ともいえる中島クラスの仲間たちとともに演奏する姿を父親に見せられなかったことへの思いが、深い感慨につながっていたのです。 

 しかし裕康さんの話は、単なる個人的回想に留まりません。繰り返し語られたのは、「中島クラスの自由さ」でした。個性的で、勝手気ままで、誰もが独立した存在である。しかし、その自由さが互いを否定するのではなく、“対等な関係”として成立している。年齢や性別、先輩後輩といった枠を超えて、一緒に音楽を作ることができる―その空気こそが、中島先生の「教え」だったのではないか、と裕康さんは語ります。 
 
 興味深いのは、彼が「先生が言葉で教えたわけではない」と明言されている点です。つまり、中島先生は理念を説教として押し付けたのではなく、生き方そのものによって周囲に影響を与えておられた。裕康さんたちは、その背中を見ながら育ったというのです。これはまさに、スズキ・メソードの本質とも重なります。
 
 さらに裕康さんは、中島先生に習い始めてから「半世紀」が経ったことに触れます。そして、自分が子どもの頃には、第二次世界大戦ですら“20年前の遠い昔”に感じられていたのに、その倍以上の時間を、中島先生を中心としたコミュニティとともに過ごしてきたことに驚きを隠しません。 
 
 この時間感覚は、とても重要です。今回の「Cello Ensemble Nakajima 2026」は、単なる演奏会ではなく、“50年積み重なった人間関係”が音になった場だった。そのことを、裕康さんは極めて自然な言葉で表現されていました。
 
 また、「一緒に舞台で弾いたら友だちだと思う」という言葉も非常に象徴的でした。音楽を通して生まれる横のつながり。それはプロ・アマチュアの区別を超え、世代を超え、人生を通して続いていく。裕康さんにとって、この日の共演者たちは、単なる出演者ではなく、「人生をともにする仲間」だったのでしょう。 
 
 そして最後に裕康さんは、「30年後、自分がいなくなっても、この会が続いていてほしい」と願います。この一言には、このコンサートの本質が凝縮されていました。
 
 演奏会は、その日だけで終わるものではありません。人が集まり、また再会し、世代を超えて受け継がれていくことで、初めて“文化”になります。裕康さんは、その未来をすでに見ていたのでしょう。もちろん、中島先生も。
 
 だからこのメッセージは、祝辞というよりも、「積み重ねられた力」への証言そのものだったのです。