夏期学校期間中に毎年お世話になっている「あがたの森文化会館」。敷地内の「旧制高等学校記念館」で企画展「旧制高校とともに生きた2人の教授」が開催中です。展示の1人が松高の蛭川幸茂先生。実はスズキとのつながりも深いのです。
7月29日の夏期学校初日、あがたの森の由緒ある講堂で開催された弦楽Aと弦楽Bの練習時間の合間の30分ほどの休み時間を使って、講堂の目の前にある「旧制高等学校記念館」を訪ねました。各教室を挨拶で回られていた東誠三会長や夏期学校実行委員長の臼井紳二先生、ピアノ科の菅原尚子先生もご一緒でした。
会場の1階ギャラリーは、右側が旧制松高の蛭川教授。左側が六高(のちの岡山大学)の山岡教授の展示コーナー。
蛭川幸茂教授は旧制松本高等学校(のちの松本深志高校につながる流れ)の数学教授として、自由闊達な教育で知られていました。教室の枠を超えて学生の自主性や個性を伸ばす教師として、多くの卒業生に語り継がれています。作家の北杜夫も当時の生徒の1人で、ベストセラーになった「どくとるマンボウ青春記」にバンカラな松高の寮生活(思誠寮)とともに、蛭さんの人となり、行状が克明に描写されています。乞食と間違われる身なり、パンツ一丁でグラウンドに立って陸上部を熱血指導。髭をたくわえ、口が悪く破天荒な性格ながらも高校生を心から愛し、絶大な人気を誇った名物教授でした。
その蛭さんが、鈴木鎮一先生が始めた才能教育運動に共鳴し、鈴木先生と矢野美和先生が開いた才能教育幼児学園に娘さんを入園させました。毎日新聞記者だった小島正美さんの著書「新版スズキ・メソード 世界に幼児革命を」(創風社)では、320〜327ページにかけて、詳しく記されています。
蛭川は、暇に任せては娘について行き、矢野の堂へ入った指導ぶりに感服した。ちょうどその園児30人の中には、ヴァイオリンを習っている子どもが9人いた。それがまた妙にうらやましくなり、ついに『南、おまえもヴァイオリンをやれ』となった。入園してわずか2ヵ月後だった。
この描写から、蛭さん自身が鈴木先生の才能教育に触れ、その場で感銘を受け、自ら娘さんにヴァイオリンを習わせる決断をしたことがわかります。さらに小学生だった兄の六花さんには、松本音楽院でヴァイオリンを学ぶように薦めています。
小島さんの記述には、「蛭川と鈴木に共通していたのは、『教育の現場では怒ることは絶対に禁物』だった、ということです。「蛭川の出発点は鈴木イズムに触発されたものだった。子どもの能力、生命力を信じ切って、次々に新しい試みに挑んでいった姿勢は鈴木と共通していた」と記しています。まるで鈴木先生のようです。
鈴木鎮一記念館もこの企画展に注目しています。次のようなコメントをいただきました。
かねてより、当館鈴木鎮一記念館と、旧制高校記念館との間に親和性を感じていました。本館を目的を持って訪ねた来館者に次に訪ねる所をお聞きすると、旧制高校記念館と松本市美術館という答えが多いのが、かねてより印象的でした。私が思うには、戦前の、もっといえば1920年代、30年代の旧制高校的文化、あるいは大正自由教育、教養主義というものを鈴木鎮一の才能教育と教養主義を標榜する旧制高校文化というものがシンクロする、あるいは柳宗悦の民芸運動、これらに同じ匂いを感じ、松本を訪れる旅行者が確実に存在すると、37℃近くまで気温が上がってしまった大暑の信州松本で感じています。
この企画展は、9月27日まで開催されていますので、松本にお越しの際はぜひお立ち寄りください。
企画展 旧制高校とともに生きた2人の教授ー松高・蛭川教授と六高・山岡教授」
会 期 令和8年7月18日(土)~9月27日(日)
会 場 旧制高等学校記念館 1階ギャラリー
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入場料 無料