新しい風が吹く 〜 鈴木鎮一記念館、新任スタッフを迎えて
鈴木鎮一記念館は、2026年の今年、開館30周年を迎えました。これまで来館者のご案内や各種イベントの企画などを担当された中澤由季子さんの定年退職に伴い、新年1月から新たに3名の男性スタッフが着任されました。それぞれにこれまでの経験、知見を発揮され、来館の皆様に対応してくださいます。皆様のご都合で、有賀さん、梅谷さんとはオンラインでインタビュー、松村さんにはメールでお尋ねしました。それでは、まずオンラインでのやり取りから、早速ご紹介しましょう。
有賀久雄さん × 梅谷雅彦さん オンライン座談会
司会(編集部)お忙しい中、オンラインの座談会にご参加いただき、ありがとうございます。今日は改めて、新しく鈴木鎮一記念館に加わってくださったお二人にお集まりいただきました。記念館は今年で30周年。情報発信の面でも節目の年になりますので、まずは皆さんに「どんな方が記念館にいらっしゃるのか」を知っていただきたいと思っています。ざっくばらんにお話しいただければと思います。
教壇から記念館へ 〜 有賀久雄さんの場合
では、まず、有賀さんから簡単に自己紹介をお願いします。
早稲田大学マニフェスト研究会主催の第12回
マニフェスト大賞の最優秀シティズンシップ推進
賞受賞時に、審査委員長の北川正恭早大教授と
有賀 ええ。後半は「主権者教育」といって、高校生が社会や政治を自分ごととして考える授業に力を入れてきました。松本市議会議員の方々に学校へ来ていただいて、生徒と直接対話してもらうような取り組みも10年ほど続けていました。
音楽との関わりはいかがですか。
有賀 演奏はできないんですが、音楽は昔から大好きです。特に室内楽が好きで、弦楽四重奏はよく聴きます。モーツァルトはやはり特別ですね。それと、私はいまだにLPレコード派でして。学生時代から集めたレコードが500〜600枚ぐらいあります。
今はLPブームですから、先駆者ですね。
有賀 結果的に(笑)。レコードって、ちゃんと向き合って聴く感じがするんですよね。針を落として、音楽と対峙する時間が好きなんです。
松本に導かれて 〜 記念館との不思議な縁
鈴木鎮一先生や記念館とのご縁は、もともとあったのでしょうか。
有賀 実は、子どもの頃はほとんど意識していなかったんです。松本音楽院のすぐ近くで育ったのに、まったく別の世界のものという感じでした。ただ、中学生の頃に、先輩にあたる中嶋嶺雄さん(第3代会長)が母校で講演をされて、そのとき初めて「才能教育」という考え方に触れました。
そこが原点だったんですね。
有賀 ええ。それからずっと後になって、松本音楽院第1期生の林貞永さんとご縁ができました。林さんが長年続けてこられた音楽鑑賞会に参加して、クラシックの奥深さを改めて教えていただいたんです。昨年、林さんが亡くなられた直後に、市の方から記念館の仕事のお話をいただきました。正直、「呼ばれたな」という気持ちがありましたね。
人生の節目と重なったわけですね。林貞永さんは2021年に取材をしておりまして、いろいろなお話を伺いました。マンスリースズキの2021年7月号で紹介しています。
→マンスリースズキ
有賀 そうですね。教員として43年やってきて、これからの時間をどう使うかと考えたときに、「一番好きなことに関わろう」と思いました。それが音楽であり、教育であり、松本という土地だったんです。
外から来たからこそ見えるもの 〜 梅谷雅彦さんの場合
梅谷 梅谷雅彦と申します。出身は横浜です。これまで製薬会社で調達・購買や契約関係の仕事をしてきました。2021年に松本へ移住し、現在は東京との二拠点生活をしています。
松本に移住されたのは?
梅谷 若い頃に3年ほど松本に住んだことがあって、そのときの印象がとても良かったんです。人が多すぎず、山が見えて、水や野菜がおいしい。お金では測れない豊かさがある場所だなと感じていました。
梅谷 クラシックは詳しくないですが、音楽は好きです。ジャズやフュージョンが中心で、ビル・エヴァンスのトリオはよく聴きます。大学時代にはハーモニカもやっていました。
鈴木鎮一先生やスズキ・メソードとの関わりはいかがですか?
梅谷 正直に言うと、この仕事のお話をいただくまで、名前を知っている程度でした。きっかけは、妻が松本城のボランティア団体のアルプス善意通訳協会 (ALSA…アルサ)に所属していて、2025年8月の第74回夏期学校の時に、大変お世話になっています。その団体から「こういう仕事があるよ」と教えてもらったことがきっかけです。「今までやったことがないから面白そうだな」と思ってお引き受けしました。
記念館で働くということ
実際に記念館で仕事を始めて、いかがですか。
有賀 ここは、鈴木先生が暮らしておられた住居そのものですから、やはり特別な空気があります。鈴木先生は音楽家であると同時に、偉大な教育者でした。私は教員として、鈴木先生の教育思想にとても共感しています。「教え込む」のではなく、「引き出す」教育。その姿勢は、ソクラテスの問答法にも通じるものがあります。
梅谷 私はまだ勉強中ですが、来館される方が本当に熱心で、驚くことが多いです。国内だけでなく、海外からも「聖地」のように訪れてくださる。自分は裏方として、事務や国際対応などで支えられればと思っています。
お二人とも立場は違いますが、役割がはっきりしていますね。
これからの鈴木鎮一記念館へ
最後に、これから記念館をどんな場所にしていきたいか、教えてください。
有賀 才能教育の本部が「未来」を向いているとすれば、記念館は「原点」を見つめ直す場所だと思います。鈴木先生が何を考え、何を大切にしていたのか。それを静かに再発見できる場にしたいですね。松本に帰ってきたときに、ふと立ち寄りたくなるような場所に。
梅谷 私は、外から来た人間だからこそ、来館者の視点を大事にしたいと思っています。「初めて来た人にも分かりやすい記念館」であること。そのためのサポートをしていきたいです。
心強いですね。本日はありがとうございました。
もうお一人の松村敏夫さんから、メールでいただいたメッセージを次に紹介します。アクティブな写真も送ってくださいました。
「愛に生きる」を子や孫に贈りたい 〜 松村敏夫さんの場合
1954年埼玉県深谷市(旧埼玉県大里郡豊里村=渋沢栄一さんと同じ村)生まれ、大阪外大2部(現阪大)を卒業後、1980年外務省入省、1981年北京大学に留学し中国語を研修した後、中国、台湾、オマーン、アゼルバイジャン、グアム、サイパンなどの在外公館で勤務し、2017年3月末に37年間の公僕を終え、定年退官。家内の両親の世話をするため、松本に住居を定めました。
また、松本城で外国人に対するボランティア・ガイドをし、手話と音訳(視覚障害者のため図書、雑誌、広報誌、新聞などの活字情報を音声化)を勉強しています。
・鈴木鎮一記念館についてのエピソードなど
一昨年、自宅から近いこの記念館で、歌を歌う会があるのを知り、参加して初めてこの記念館と鈴木先生のことを知りました。
最近、「愛に生きる」を読み、今さらながら子どもの可能性を活かし、育てられた鈴木先生の生き方に感激しました。私の子は男の子ばかり4人ですが、中国、中東、コーカサス及び南の島など、まったく異なる環境の海外を転勤する中で、夢中で子育てしておりましたので、まったく鈴木先生のような考えを持つ余裕はありませんでした。
その我が子らが今、孫たちの育児に苦労している真っ最中ですので、孫たちの可能性を摘み取ることがないように、この「愛に生きる」を贈ろうと思っております。
・記念館勤務を始めるにあたり、メッセージ
特段特別の思いはありませんが、鈴木先生の想いがより多くの人に知ってもらえればいいなとは思っております。また、記念館でより多くのコンサートができたらいいなとも思いますが、縁のなかった音楽、知己のいない松本では難しいと感じています。
ということで、以上の大変ユニークで多彩な経歴を持つ3名のスタッフが勤務日を変えて、皆様のご来館やお問い合わせに応じていきます。どうぞよろしくお願いします。なお記念館は、月曜日が休館日です。