一茶の世界を見事に描写した「企画展〜一茶100句の英訳ときりえ展」

 

 「英訳一茶100句集」に素敵なきりえを発表されている画家の柳沢京子さんの「きりえ展」が、信州黒姫の一茶記念館で、4月17日(土)〜7月4日(日)まで公開中です。原画20点ほどの展示で、一茶の俳句の世界をより深めていただけます。
 
企画展の概要
・日程 2021年4月17日(土)~7月4日(日)
 ※休館日:5月31日(月)、6月30日(水)
・会場  一茶記念館 →公式サイト
    長野県上水内郡信濃町大字柏原2437-2
     tel.026-255-3741
     →メールアドレス 
・内容

【一茶のユーモアが、沈みがちな想像力に強い刺激を与えます】
松本市発祥の「スズキ・メソード」(公益社団法人 才能教育研究会)の創設者鈴木鎮一氏が選句し、幼児期に記憶力を高める教材として現在でもスズキ・メソードの教室で、家庭で活用されているのが「一茶百句かるた」です。2020年12月、スズキ・メソードを深く愛する宮坂勝之・シェリーご夫妻の翻訳と、長野市のきりえ作家柳沢京子さんの作品により「一茶百句かるた」が「英訳一茶100句集」に生まれ変わりました。本企画展は同書と連動して、音楽と世界をつなぐ一茶の俳句を、文化の違いを考え抜いた英訳と、柳沢さんの温かみのあるきりえで紹介します。

 
・展示点数 柳沢京子さんのきりえを中心に約20作品(5月31日に展示替え)
・開館時間 9:00~17:00
・入館料  一般500円、小中学生300円 

「企画展〜一茶100句の英訳ときりえ展」を取材(2021年6月4日)

  梅雨空の中、鈴木鎮一記念館の等々力由季子副館長と信濃町の一茶記念館を訪ねました。ご案内いただいたのは、一茶記念館学芸員の渡辺洋さんと池田博也係長。小林一茶のこと、一茶記念館のこと、きりえ展のことなどについて、お話を伺いました。
 

常設コーナーの入り口にたたずむ一茶

・小林一茶は、生涯に2万句を作っていて、庶民が読んでいた本や流行歌、それに中国の古典や和歌などからも着想を得ていた。
・性格は明るく、何度もの火事に遭いながらも、ガックリと肩を落とすのではなく、精神的なタフさを持ち合わせていた人だった。
・この写真は、60歳前後の顔。口元がすぼんでいるのは、50歳頃に歯が全部抜けてしまったから。最後の歯が抜けてしまった顛末を句に詠んでいる。 『がりがりと竹かぢりけりきりぎりす』 竹をがりがりかじるきりぎりすが羨ましい様子を表している。
・年代順に常設展示している。

墨壺まで用意された一茶の日記帳

・15歳で江戸に奉公。25歳の頃に俳句の道に入っている。西日本を旅して回り、いろいろな俳人と交流し、腕を磨く。江戸に戻り、俳人として独立。当時の俳諧師は生業があって、趣味で俳句をやることが多かったが、一茶は俳句一本で身を立てていた。俳句行脚と称して、房総半島の門人を訪ね、俳句を教えて、生計を立てた。詠んだ句は日記帳に記した。穴が開いているところに、墨壺が入っていたもので手製だった。
・40代の頃には、人気俳人になっている。大正時代に三大俳人「芭蕉、蕪村、一茶」として定着したのは、正岡子規が評価し、名声が高まったことがきっかけ。大正時代に台頭した自然主義文学の世界観とも呼応し、いち早く江戸時代に一茶が唱えていたことから、自然主義文学のさきがけとも評価され、脚光を浴びた。さらに、子どもに俳句を教えるのに格好な内容であることも大きく貢献した。大正15年頃が、一茶ブームの頂点だった。
・一茶記念館は、関東からの来館者が多く、俳句会・老人会などが大型バスでめぐる観光ルートになっている。それがコロナでダウン。インバウンドの効果もない状態。
・一茶記念館として、全国から俳句を集める「一茶忌全国俳句大会」は、昨年も実施し、全国から3,800を超える句が届いた。今年も8月31日締め切り。公式サイトで応募を受け付けている。
→公式サイト
・高校生や大学生が作る俳句はフレッシュで斬新な句が多い。毎回のように受賞する方もいる。


柳沢京子さんに聞く、きりえの魅力

中央が柳沢京子さん、左が一茶記念館学芸員の渡辺洋さん、
右が鈴木鎮一記念館の等々力由季子副館長

 続いて、きりえ作家として長年活躍されてこられた柳沢京子さんにご挨拶。この日は、宮坂シェリーさんから贈られた生地を使って仕立て上げられた、色鮮やかなお召しもので登場されました。佐久市に生まれ、信州大学教育学部美術学科を卒業後、信越放送局勤務を経て、デザイナー・きりえ作家として活躍。国内外で多数個展を開き、作品を発表し続け、その大きな功績により 1998年にNHK地域放送文化賞を受賞。現在、上田市にある「さくら国際高校」の副校長を務めるなど、教育の世界でも精力的に活動されています。
 

きっかけは、鈴木鎮一先生の俳句100句カルタ

展示室には俳句100句カルタも

 かなり前になりますが、松本で鈴木鎮一記念館前館長の結城賢一郎さんから、俳句100句カルタをお土産にいただいていたのです。それまでに噂では聞いていましたが、「これがそのカルタか」と。鈴木先生が才能教育(スズキ・メソード)という世界でも例を見ない教育法に小林一茶の俳句から100句を選ばれ、スズキ・メソードを広めたいと思われたことは本当にすごいことだな、と思っていました。
 ですから、宮坂勝之先生から、ご著書のお話をいただいた時も、「カルタの絵を描かれた黒崎義介さんの絵ですすめられたらいかが?」とお話をしたのです。ところが宮坂先生は「どうしてもきりえでやりたい」と。それで、今回のご依頼を、長年わたしがきりえに関わってきたことへの修行だと思い直すことにしました。それで最初の「猫の子のちょいと押える木の葉かな」から描き始めたら、まぁ面白くて。一気呵成に短期間で100枚を描き上げてしまいました。ですので、タッチが揃っていると思います。

スズキ・メソードの紹介も

 でも、10数枚は、宮坂先生とのやり取りで絵柄を変更したものもあります。「のみの跡 数えながらに 添え乳かな」で、添え乳(そえぢ)=寝そべっておっぱいをあげる昔の日本で当たり前の姿を描いたら、先生から「それは窒息死防止キャンペーンに抵触するかな」と感想をいただいたのです。それで、座って抱いている絵柄に変更しています。絵柄と、宮坂シェリーさんの英訳がそれぞれで進行していましたが、書籍にしていく段階で調整したところもありました。それにしてもお二人の英訳にかける熱量は、すごかったですね。お二人とのやりとりの結果なので、みんなが見ても不自然ではない、独りよがりの作品にはなっていない作品になりました。

 

アナログとデジタルと

 きりえは、柿渋を染み込ませた和紙を3枚重ねて、下書きを描いていきます。カッター1本で絵を刻み、黒いアクリル系の塗料を表側に塗り、和紙の上に背景となる別の和紙をのせ、霧吹きで水を吹きかけますと、絵が浮かび上がってきます。その時によって、絵の出方が違いますね。ここの展示作品は、自然の成り行きで作っているものですので、色が散っているものもあります。一方、宮坂先生のご著書では、私の原画をデータとして読み込み、そこに色のデータを重ねています。アナログな世界にデジタルの技術を投入しているわけです。書籍の場合は、昔のように反射原稿をスキャニングするということがなくなりましたし、デジタルのスタイルでないと受け付けてもらえないということもあります。
 →編集部註 作り方が取材されているサイトはこちら
 

絵柄の原点は幼児の頃に聞いた「一茶のおじさん」

一茶記念館で配布されている
「一茶さん」の楽譜

 私自身、現在の佐久市で育ちましたが、とにかく小さい頃は、いつも祖母が「一茶のおじさん、一茶のおじさん」と口ずさんでいました。私が最初に覚えた歌でした。正式なタイトルは、「一茶さん」です。そういう環境で育ちましたから、歌の意味が分からなくても、一茶の世界は、暮らしの中に根付いていたものだったのです。ですので、今回の結城さんのおかげで、鈴木先生の一茶100句カルタと出会い、ほどなく宮坂先生ご夫妻とのお仕事を通じて、一茶の世界を表現できたこと、本当に嬉しくなります。宮坂先生の願いの通り、世界に一茶の世界とそれを大切にされた鈴木先生の願い、ひいてはスズキ・メソードがもっともっと広まることを期待しています。