オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」日本語訳の連載第13回です。第7章「人は環境の子なり」の章が始まります。知られていないエピソードなどが随所にあり、興味深い内容が続きます。

 第7章 人は環境の子なり

 
 多くの疲れ切った研究生たちは、鈴木先生の「はい、ここに10,000円あるから、ステーキでも食べてきなさい」という優しい言葉を聞いたことがあるでしょう。
 
 鈴木先生がしょっちゅうステーキを食べていらしたとは思いません。先生は私に「自分は実質的に納豆で生きている」とおっしゃっていました。ねばねばの納豆は明らかに健康に良さそうですが、あの最悪な匂いに慣れることはできませんでした。
 
 鈴木先生はヴァイオリンを教えるときに辛抱が必要だという考え方を嫌っていました。「私は辛抱してステーキを食べています」とは言わないでしょう。
 
 唯一先生が召し上がらなかったものは、新年に食べるお餅でした。お餅は粘質なため、毎年喉に詰まらせて亡くなる人が後を絶ちません。鈴木先生はその馬鹿馬鹿しさに苦笑いしていたものでした。「とっても馬鹿馬鹿しいわね」。鈴木夫人もあきれたように言っていました。鈴木先生はお餅の問題点について笑ったかもしれませんが、そういう先生も環境の子です。ある日鈴木先生は80歳を迎えられるときに「リサイタルをしようかと思っている」と言われました。「何を弾かれる予定ですか」。私は尋ねました。 
 
 すると先生は「そうだね、ブラームス、ベートーヴェン…」そして考え込まれていると、夫人はこう付け加えました。「あぁ ブラームス!ベートーヴェン!あと彼が何を弾くか知ってる? タカタカタッタよ!」。タカタカタッタはキラキラ星変奏曲の最初のリズムです。
 
 8世紀ごろから、40歳以降の長寿の節目をお祝いする風習が中国から伝わり、今でも日本にその習わしが残っています。『傘寿』といって80歳のお祝いには服や座布団から贈り物の包装紙に至るまで、すべて山吹色から黄金色か濃黄色にします。鈴木先生はどのようにその習わしをリサイタルに取り入れるのか、私はちょっと不思議でした。
 
 ある東京の楽器店で鈴木先生の弟さんの一人が作ったという2つのヴァイオリンを見たことがありました。技術的な仕上がりとしては瓜二つでした。けれども片方のヴァイオリンの方が明らかにずっと愛おしさを感じさせる仕上がりでした。店員が言うにはそのヴァイオリンはもう片方の物よりもっと値段の張る物で、弟さんが80歳になられた時に作られた物だそうです。昔から、80歳を過ぎた長寿のお祝いに頭部の握りに鳩が彫られた鳩杖を送る習わしがあります。鳩は物をついばむときにむせないとされることにあやかって、鳩の飾りが付けられたそうです。新年にお餅を食べる高齢者にはぴったりの贈呈品です。
 
人は環境の子なり
 
 セイコーの工場で英語を教えていた時のことです。私はそれほどお肉は食べないので、工場の若いエンジニアたちに「お刺身が美味しいお店に夜ご飯を食べに行こう」と誘われた時はなんの抵抗もありませんでした。でも、私はなんて浅はかだったのでしょう! 刺身といえばいつでも魚かと思っていました。辞書には生の魚だと書いてあります。けれどレストランで出されたのは馬刺しでした。口をつけることもできなかった私に英語のクラスのエンジニアたちは非常に不満げでした。けれどどうしても食べることができませんでした。その馬刺しのために大枚をはたいてくれたのです。
 
 ある日、鈴木先生は私に、コンサートに向けて、「研究生のオーケストラの首席奏者のサポートをしてくれないか」と頼まれました。演奏する予定の曲はバッハのブランデンブルグ協奏曲のうちの一つで、厄介で難しいヴァイオリンソロの部分がある曲でした。私はその若い首席奏者に必要なテクニックなどの指導をしていました。
 
 私が首席奏者のコーチをしていたといっても、私のオーケストラでの席順が変わるわけではありません。外国人の席は一番後ろの席でした。私の隣には母親が日本人で父親が韓国人という感じの良い若い青年が座っていました。私たち二人は隣同士に座りました。
 
 またある日、鈴木先生に「学生の弦楽四重奏団を指導してくれないか」と頼まれました。その中でチェロを弾いていた学生は、のちにオーストラリアに移住し、シドニーのスズキ・メソードで主導的立場になるチェロの指導者、水島隆郎氏でした。私がにわかに覚えていることは、その弦楽四重奏団はベートーヴェンの曲を弾いて、私は彼らに『月曜日コンサート』でこの曲を演奏してもらうことにしたことを覚えています。
 
 毎週月曜日、研究生はコンサートで演奏することになっていました。それぞれみんなの演奏が終わった後に鈴木先生がステージに上がってきて、短い指導をしてくださいます。私が指導を頼まれた弦楽四重奏団の演奏も素晴らしく、鈴木先生はどんな言葉をかけてくれるか期待しました。ところが、期待した私が間違っていました。先生は生徒たちに数メートル左に移動して、もう一回弾くように言われました。すると演奏の音がまったく違うものになりました。鈴木先生はこのホールでの音響をよく理解しておられたのでした。
 

(市村旬子訳 次号に続く)

ロイス・シェパード先生の略歴

 

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 オーストラリアのヴァイオリンとヴィオラの指導者であり、スズキのティーチャートレーナー。スズキ・メソードをヴィクトリア州に紹介し、スズキの協会(現在のスズキ・ミュージック)を設立。
 ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
 1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
 ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
 ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。