オーストラリア在住のヴァイオリン・ヴィオラ科指導者、ロイス・シェパード先生のご著書「鈴木鎮一先生の思い出」日本語訳の連載第7回です。今回は、第5章「思い出」後半のつづきを掲載します。時代を超えた鈴木鎮一先生の姿が活写されています。

先月は、「第5章」の前半を掲載しました。今月は第5章の後半を掲載します。
 

第5章  思い出(後半の続き)

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素晴らしいはず

 
 先生は、素晴らしいユーモアのセンスの持ち主でした。私たちが才能教育会館の上の階のホールで、先生方のオーケストラのリハーサルを聴いていた時のことです。それはあまり良い出来ではなく、始まっては止まり、止まっては始まるといった感じでした。鈴木先生は煙草を吸いながら(先生はチェーンスモーカーで、1日に50-60本、キャメルのフィルター無しの煙草を吸っておられました)、頭を後ろにもたれさせて聴いておられました。
   突然、前のめりになってステージに向かって叫ばれました。
   「何を弾いているのですか?」
   「モーツァルトです」と返事が返ってきました。
 先生は何度か頷いて、煙草をもう一服吸い、私の方を向いて仰いました。
  「モーツァルトらしいです」そして、「ならば素晴らしいはずですね」
 
わたしはいつのころからか、自分を、モーツァルトに育てられ、モーツァルトにおいて、いっさいの理屈を超える愛と真と善と美とを知ったひとりの人間だと思うようになりました。
 
素直な子どもの心に立てば、わたしたちの生命は、愛を土台として、真なるもの・善なるもの・美なるものに向かおうとするのです。釈迦がいわれた、〝人に本性あり“というのも、私はそうだと信じています。人間の悲しみを越えて、素直な愛と喜びを教えてくれたモーツァルトの心もそうでした。
 
 「愛に生きる」は鈴木先生の哲学の集大成の本であることを、皆さんご存知でしょう。
 
 先生と名古屋へチェロのコンサートに行った時のことです。ヴァイオリンの曲目は一曲のみで、とても小さな子どもたちがフィオッコのアレグロを最大限の速さで弾き走っていました。
 「ジャパニーズ・スピードですね」先生は仰いました。
 「そうですね」私は答えました。
「簡単な曲ですからね」と先生は呟きました。
「そうですね」と私は答えました。
十分上手くその曲を弾けるようになっているそのヴァイオリニストたちは、とても速く弾いていました。
 鈴木先生は感心したように何度か頷いたあと、私の方を向いて笑って仰いました。
「簡単な曲なんですよね。でも教える側にとっては、そうでもないですね…」
 

簡単な曲

 
 いくら「ジャパニーズ・スピード」で弾いたとしても、音楽の休符の部分を忘れてはなりません。短い、時にはほんの一瞬の間です。鈴木先生は間の静けさを「とても大切な無の時」と呼ばれました。
 
 先生はご自分のことをアマチュアだと言っておられましたが、これは先生の冗談の一つで、フランス語のアマトゥール=「愛する人」という語源の方を意味しておられました。何人かの外国人は誤解して、先生の言葉そのままを受け取っていましたが、私は先生以上にプロフェッショナルな方を知りません。
  先生は音楽を愛しておられました。
 
 言葉や文字を超えた生命のことば 音楽
 
 「パンダ」で知られる弓の練習、とは言っても実際に名前は付いていませんが、その練習法を教えておられた時のことを、先生が話してくださいました。大きな卒業コンサートが東京で行なわれようという時、広告が必要だと思われた先生は、毎日新聞社宛に記事をお送りになり、楽しみにその記事を待っておられました。
(註:生徒たちは卒業レベルの曲を演奏します。卒業証書には、鈴木先生が描かれた、松本を囲んでいる日本アルプスの絵が印刷されています)
   当日、新聞には、3cmくらいの大きさでコンサートの記事が掲載されたのですが、紙面の残りは中国から着いたばかりの動物園のパンダの記事と写真で埋め尽くされていました。
  「なるほど」鈴木先生は仰いました。「広告が必要な時は、パンダの話をしないといけないということですね。では、これからこの弓の練習はパンダと呼ぶことにしましょう」
という訳で、今日まで、多くの外国人教師は「パンダ」が日本語の演奏技術の用語だと思い、多くの日本人は英語の演奏技術用語と関係しているのだろう、と思っているのです。
 
 「クライスラー・ハイウェイ」も、また別の冗談です。そこは、ヴァイオリンの弓が弦に触れるべき場所を指していました。ヴァイオリンの「駒」に近い部分です。鈴木先生は、そこが良い音色を出すために一番良い場所であることご存知だったのです。無論、クライスラーもそのように弾いていたはずです。アメリカにクライスラーという車の製造会社があるのにかけて、先生はその部分をクライスラー・ハイウェイと名づけられたのです。日本語においては、Kreisler とChrysler は同じ綴りなので、そう突拍子も無い発想ではありません。
 
 第2次世界大戦後、「日本製」と書かれた製品は標準以下とみなされるようになり、鈴木先生はそれを上手く使ってこう仰っていました。
 
 どの子も育ちますが、わたしの英語のようには育てないように。私の英語は日本製ですから。
 
 松本の才能教育会館のホールでは、毎週金曜日、周辺に住む教師たちが集うレッスンがあり、私も参加していました。ある日鈴木先生は、身体の緊張を取るために、演奏中に私たちに膝を曲げさせました。クラスにはアメリカから訪問中の教師がいたのですが、「日本のトイレ・トレーニングみたいですね」と言いました(日本式の便器は床と同じ高さのため、しゃがまなくてはならないのです)。
  それを聞いた鈴木先生はひどく面白がって、その後、ずっとその練習法を「トイレ・トレーニング」と呼んでおられました。
 
 月曜日のコンサートの演目をお聴きになる時(もしくは、教室で教えておられる時)、先生はよく居眠りされたのですが、一旦研究生が演奏を止めるとすぐさま眼を覚まされるのです。
 私は一度先生に、どうやったら何時間も続けて教えられるのか尋ねたことがあります。
 「それはね」先生はこう仰いました。「生徒が弾き始めたら、最初の2分で何を教えるか決めて、後は弾き終わるまで寝てしまうのですよ」


ロイス・シェパード先生の略歴

 

 オーストラリアのヴァイオリンとヴィオラの指導者であり、スズキのティーチャートレーナー。スズキ・メソードをヴィクトリア州に紹介し、スズキの協会(現在のスズキ・ミュージック)を設立。
 ニューサウスウェールズ音楽院及び松本市の才能教育音楽学校を卒業。シドニー交響楽団のメンバーを務める。また、ニューサウスウェールズやヴィクトリアの数々の学校で教鞭をとる。長年、オーストラリア音楽検定委員会の試験官、ヴィクトリア州立大学の幼児教育の学会で講師を務める傍ら、メルボルン大学の音楽院でヴァイオリンとヴィオラを教える。一時期、アメリカの西イリノイ大学のヴィオラ科教授兼スズキ・プログラムの理事を務める。
 1960年代前半より、スズキ・メソードでの指導と研究を続けてきた。
 ロイス先生は、プロの演奏家を育てることを目的とはしなかったが、その生徒の多くが、シンフォニーオーケストラのメンバーや室内楽奏者、また、スズキの指導者になっている。これまでの生徒は、メルボルン大学、ボストンのニューイングランド音楽院、ニューヨークのジュリアード音楽院、南イリノイ大学、ミシガン大学、ロンドンの王立音楽院などの高等教育機関への奨学金を得ている。また、多数の生徒がメルボルンの私立学校の音楽部門の奨学金を得ている。メルボルンの生徒への指導並びに指導者への指導を続けて、現在に至る。
 ロイス先生の長男は現在、IT企業で活躍中。長女は松本で鈴木鎮一先生の下で研鑽を積み、現在、ドイツでヴァイオリンとヴァイオリンの指導法を教えている。2人の孫がいる。