スズキ・メソード出身の岡本誠司さん(27歳)が
ARD第70回ミュンヘン国際音楽コンクール「ヴァイオリン部門」第1位に!

 

 9月12日、スズキ・メソード出身のヴァイオリニスト、岡本誠司さんが、 ドイツ公共放送連盟(ARD)が主催し、1952年より開催されている第70回ミュンヘン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で、堂々の第1位を受賞しました。 ヴァイオリン部門は57名がオンラインによる第1次予選に臨み、14名が第2次予選ヘ。9月7日(火)と8日(水)の第2次予選は無観客で行なわれ、10日のセミ・ファイナルには6名が選出されました。12日のファイナルには人数が絞られ3名が進み、ファイナルで バイエルン放送交響楽団と共演したヒンデミットのヴァイオリン協奏曲で、圧倒的な演奏を披露しました。

 この部門での優勝は、現在もヴァイオリニストとしてご活躍の久保田巧さん(1984年)、スズキ・メソード出身のヴァイオリニスト、岡崎慶輔さん(2005年)に続く快挙です。
 →岡本誠司さんのプロフィール
 
 ミュンヘン国際音楽コンクールの公式サイトでは、第2次予選、セミファイナル、そしてファイナルの演奏、さらには祝賀演奏会のすべてをアーカイブ映像として試聴することができます。以下の太字をクリックしてください。
 →第2次予選(9月8日)一番最初の演奏です。
   ・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 Op. 12
   ・ブーレーズ:アンテーム
   ・シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 Op. 121
 →セミファイナル(9月10日)最初から2つ目と3つ目の演奏です。
   ・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K. 207
   ・リサ・シュトライヒ:Falter(蝶)
 →ファイナル(9月12日)最後から3つ目の演奏です。
   ・ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲
 →祝賀コンサート(9月17日)
   ・ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲
 
 マンスリースズキ編集部では、さっそく岡本誠司さんにZoomでインタビューさせていただきました。また、お母様の岡本節子様からは小さい時のエピソードを、そして育てられた関東地区ヴァイオリン科指導者の富川歓先生と、スズキ出身のヴァイオリニスト、中澤きみ子さんからも祝福のメッセージをいただきました。


岡本誠司さんにZoomでインタビュー

 
祝賀コンサートの配信動画を見ますと、司会者が、エアヴァイオリンの仕草を2度もされていましたね。
 そうでしたね、始まる前に30分ほどインタビューを受けました。その中から紹介いただきました。
 一つ上の女の子がヴァイオリンを弾くまねを目の前で見た時に、かっこいいなぁと。僕もやりたいという、本当にシンプルな思いでした。すると、その女の子のお母さんが、そのヴァイオリンを持って我が家に来てくださったんです。「お下がりになるけど使って」と。それでケースを開けたら、「ウァ、本当に来ちゃった。どうしよう!」と隣の部屋に逃げた記憶があります(笑)。
 
それで、富川先生の西船橋教室を紹介いただいたのですね?

ドイツのご自宅でZoomによるインビューに
とても丁寧に応えていただきました

 はい、富川先生は、僕がヴァイオリンを好きで続けられるように、練習が嫌にならないように、本当に優しく教えてくださいました。物腰も柔らかで温かくて。それがなければ、早い段階で辞めていたかもしれないので、本当に感謝しています。
 その頃の母の日記を読みますと、最初の頃は1日20分、30分練習していたようです。ヴァイオリンを弾いて音を出すこと自体が楽しかったですから、親にやらされたという感覚は残っていません。次の曲に進むこと、巻数が上がることが嬉しかったし、音符をコンプリートしていく(完璧にする)感覚というのかな、それが楽しくて。
 一番最初の発表会で弾いたのがゴセックの「ガヴォット」でした。それが、初めての人前での演奏でした。その頃から、共演してくださるピアノの先生や、聴衆の皆さんと音楽を共有できて楽しい、という感覚があって、今に至る原動力だと思います。単純にお客様に聴いてもらって拍手をいただくのが嬉しい。それで自宅に戻ってドアを閉めた途端に、もう一度ヴァイオリンを弾いたんですね。テンションが上がっています(笑)。その感覚が25年経っても、今なお続いています。
 富川先生のところには、幼稚園いっぱいお世話になりました。楽器をぶつけて壊してしまい、それで富川先生からご紹介いただいたのが、弦楽器Duo(現・日本ヴァイオリン)の中澤宗幸さんでした。奥様の中澤きみ子先生がヴァイオリンを教えていらっしゃるというので、演奏を聴いていただき、教えていただくことになりました。きみ子先生がスズキ・メソード出身でいらしたというのはだいぶ後になって知りましたね。
 最近、僕自身が比較的歳の近い人へのレッスンを行なう機会があり、小さい子たちに教えることは、さらにどれだけ大変かということを感じました。きみ子先生には、小学1年から中学を卒業するまで、定期的にレッスンを受けていました。この時期を乗り越えられたのは、きみ子先生のおかげです。中学生になった頃、クロアチアやウィーンなど、海外での音楽祭などに参加させていただいたことは、大きな力になっています。きみ子先生ご自身の経験もあって、早いうちに僕にも経験させようと思われたのでしょう。
 
お母様からも富川先生からも小学生の時の学生音楽コンクール第1位の記事を見せていただきましたが、「将来は、国際音楽コンクールで第1位を取りたい」と言っていましたね。
 えぇ、小学6年生の時ですね。おそらくその時点から、もっとヨーロッパには世界が広がっている、というイメージは持っていました。コンクールの中身を詳しく知っていたわけではありませんが、自然な流れでそこを次の目標にしたいなというのはありました。
 
ジェラール・プーレ先生との出会いもありましたね。 
 中澤ご夫妻の上田市での音楽祭などを通して、パリで活躍されていらっしゃるプーレ先生と出会いました。まだ、藝大でも教えていらっしゃった頃で、小学6年の時の学生音楽コンクールの自由曲がサン=サーンスの協奏曲第3番でしたので、それでフランスの伝統を継承されているプーレ先生の元で高校に入る頃まで、定期的に習いました。その意味で、中澤ご夫妻には、10代の頃に未来への可能性を具体的にたくさん示していただきました。
 
ミュンヘン国際音楽コンクールへのきっかけは? 
 このコンクールは、ブーレーズやベリオなどの作品を完全に古典扱いをするようなところがあって、かつ委嘱作品を演奏することが必須というくらい、難曲が課題曲として挙げられています。他の国際コンクールで演奏するような曲でエントリーができないので、10代のうちは受けようとは思っていませんでした。ある程度、自分の表現したいものに確信が持てるものができてから受けようと思っていて、4年に1回のヴァイオリン部門として、このタイミングになりました。

©︎Daniel Delang

 コロナ禍のため、1次予選はオンラインでの審査でした。バッハの無伴奏を数曲とパガニーニのカプリースを1曲。もう一つは20世紀前半の小品10曲から選択したのは、シマノフスキの「ノクターンとタランテラ」でした。録画による審査です。舞台の上で演奏しているような感じでという条件がありました。それを見て審査していただきました。
 2次予選以降、コンクール自体は、感染対策に関しても全体に対しても、つつがなく運営されていました。ですので、余計なストレスを感じることなく、挑戦できました。
 やはり、難易度の高い音楽コンクールの一つであるミュンヘンに挑戦することは、意義がありました。ただ、本当に短い時間での挑戦で、2次予選が水曜日、セミファイナルが金曜日、そしてファイナルが日曜日という5日間で全部終わってしまうというスケジュールでした。
 ファイナルは、ヒンデミットかフランク・マルタンのヴァイオリン協奏曲という2曲からの選択肢で、ヴァイオリンの幅広いレパートリーの端っこの方に位置する曲でした。フランク・マルタンという作曲家のことはほとんど知らず、この2曲の選択肢を知った時は思わずギョッとしました。すぐに楽譜を取り寄せて、散々悩んでチョイスしたのがヒンデミット。1位を出さない可能性を持つコンクールでもありますので、シビアな場です。一緒に挑戦した皆さんは、音楽に純粋に向き合う方ばかりで、いろいろなタイプの演奏が存在するというファイナルになったという印象があります。
 その意味で人の運がまずありました。さらに4年前からドイツに来ていて、いろいろと自分の中で変化がある中で、時の運、タイミングの運も感じています。
 
セミファイナルで演奏されたモーツァルトの協奏曲第1番の弾きぶりは、喜びに溢れていましたね。
 そう、おっしゃっていただけると嬉しいです。モーツァルトが好きになったのは、きみ子先生のおかげです。自分の好きな作曲家の一人ですし、第1番は、溌剌と、モーツァルト自身が気合を持って臨んだ曲であることを感じながら演奏しました。
 もう一つの、リサ・シュトライヒの「ファルター」という作品は、「蝶」の意味を持つ、委嘱作品です。右腕が蝶の羽の動きのように感じさせたり、フラジオレットの多用も蝶の羽が太陽の光に反射して、一瞬煌めくというような効果を狙っていると思います。突然飛び、突然とまる蝶の様子がよく表現された面白みのある曲でした。楽譜は、アルペッジョだらけの真っ黒な楽譜で、「最初はどうしよう」と思ったのですが、面白かったですね。たとえば、楽譜の中に弓のどこからどこまで使う、というような指示もあって、その通りにすると、一弓の30秒くらいの時間の中で、アルペッジョがあり、コル・レーニョがあり、スルタストの指示があるなど、普通のヴァイオリン曲とはまったく違っていました。こうしたカップリングは、毎回の常ですが、いわゆる古典的なオーセンティックな作品をどう演奏するかを見つつ、でき立てホヤホヤの、言ってみれば正解のない曲をどう演奏するか、その両面を見ようとするラウンドでしたね。最優秀委嘱作品賞も受賞しました。
 
セミファイナルで選ばれた6人から、ファイナルでは個性的な3人に絞ったという審査員のコメントがありました。
 僕も後で知りました。そういう審査方法は、あまり知りません。多くのコンクールにおいて点が集まるのは、演奏が素晴らしいのは前提ですが、好き嫌いの分かれない、減点するところが少ない人になることが多い中で、今回は、一人の音楽家としてどういうことをしたいのかを問い、音楽をやっている意味が伝わる演奏かどうかを見たかったのだろうと思います。

©︎Daniel Delang

 だから、例えば「ブラームスがこう書いているから、こう弾く」ではなくて、「 ブラームスから自分はこういうものを受け取ったから、こう弾く」という個性を重視していたようです。したがって、とても個性的な3人が残りました。この音楽のこういうところが好きだなと魅力を感じたところをどう表現するか、自分が共感できるところとか、自分にはないこの作品ならではの魅力を、どう表現するか、その表現の幅を増やしていく。
 言わば、楽譜上に白黒で書かれているものを、最終的にお客様に彩り豊かなものとしてお届けする作業です。結局、自分が何を感じるか、そこを磨こうと努力してきています。ドイツに来てからの4年間、そこにフォーカスを当てていましたので、今回、結果はいただきましたが、さらにそのことを深めていきたいですね。音楽のより深いところ、パッと見ただけでは見えない魅力を汲み取り、その良さを表現していける演奏家になっていきたいというのが、今後も変わらない姿勢です。
 
11年前の弦楽専門誌の記事にも「探究が楽しい。作品の分析が好き」とありました。
 本質は変わりませんね。作品の分析は自分なりにやりますが、そうしたコツコツとした作業が、結果的により豊かな演奏につながることの考えは変わっていません。作曲家がどういう表現をしたかったのか、そこに少しでも思いを馳せながら、一歩でも近づこうという思いは、今でもあります。
 
これからの予定は? 
 コロナ禍のために全体的に感じる気運からすると、企画をする側も厳しい状況だと思いますので、わかりやすい演奏家、名の通っている演奏家を登用する雰囲気は当分続くだろうと思っています。今回、唯一アンラッキーだった点だと思っています。自分の努力次第ですが、明るい未来に向けて、進んでいきたいと思います。個人的には、日本でもヨーロッパでもどちらでも演奏ができることが実現できるよう、がんばっていきたいです。
 12月の東京と奈良でのリサイタルシリーズは、ピアノを弾く務川くんの音作りが好きで、音楽に向かう姿勢が大好きなので、その彼と一緒にできるのが楽しみです。帰国した時のメインのコンサートになります。
 
最後に、スズキ・メソードの子どもたちへのメッセージをお願いします。 
 みんなそれぞれいろいろな性格を持ち、興味を持っています。僕が子どもだった頃から変わっているのは、より世の中が自分のやりたいこと、自分の幸せとは何か、そこに目を向けましょう、という流れになってきたことです。つまり、「自分の好きなことって何だろう?」ということです。子どもの時期に、やはり自分が楽しいなと思えるものを、視野を広く持って探して欲しいなと思います。せっかくヴァイオリンや音楽と触れ合っているからには、音楽のどういうところが楽しいのかを探して欲しいです。

「今回の演奏を、ぜひご覧ください」

 練習はけっして楽しいものではないですが、人前で弾くのが楽しいのか、曲をいい感じに仕上げることが楽しいのか、あるいは楽器を弾くこと自体が楽しいのか、人それぞれでしょうね。自分ならではの楽しさを探していって欲しいなというのが一番大きいです。自分自身もそうした楽しさを見つけていくことが、ヴァイオリンを続けてこられた大きな原動力になっているからです。
 子どものうちに音楽に触れて、楽器を演奏することには、思っているよりも、さらに様々な良いところがありますし、先生方や親御さんもぜひ積極的にサポートして欲しいです。そして、自分を見つめることは楽なことではないですが、その先に本質的な部分を見つけることが人生の意味でもあります。それが自分の幸せにつながっていきます。自分がこういう時が楽しくて、嬉しくて、幸せでみたいなことを感じることが、子どもの時代はとても大切だと思います。
 誰もが音楽から得られた物は、見えないものとして存在していると思います。悲しい時に悲しみに寄り添ってくれるもの、嬉しい時に喜びを分かち合ってくれるものとして楽器が身近にあると本当に自分の人生が豊かになっていくと思います。
 それに、この時代は楽器を学習する子どもたちにとって、素晴らしい時代です。今回のコンクールの映像配信のように、遠い海外や地球の裏側のコンクールやコンサートでも、100年前の演奏でも、今はいくらでもアーカイブで見られる時代です。ぜひそうした演奏動画をどんどん利用して、好きなものを見つけて欲しいですね。


お母様の岡本節子様に聞きました。
 

3歳9ヵ月。富川先生のクラスで、
ヴァイオリン を始めた頃

 「僕こんなのがしたい!」とヴァイオリンを弾くまねをしてみせてから25年です。長いと言えば長いですが、この後の方がきっとずっと長いことでしょう。
 
 1歳上の知り合いだった幼稚園児の女の子がエアヴァイオリンを誠司の前で弾かなければ、まったく違った人生だったことに疑いはありません。なぜなら私たちは両親ともにヴァイオリンには全然興味ありませんでしたから。その女の子のお母様のおかげで、ヴァイオリンをお借りし、スズキ・メソードの富川歓先生のもとに通うことになったのです。小学校に上がるまでの3年間という短い期間でしたが、富川先生には本当に可愛がっていただきました。富川先生からご紹介いただいた弦楽器DUO(現在の日本ヴァイオリン)の中澤宗幸社長に、新しいヴァイオリンをお世話になり、その時にヘンデルのソナタを聴いていただきました。それで勉強会での発表にお稽古をしていた時に、何かの弾みで楽器をぽろんと落としてしまい、駒が割れてしまったのです。それで誠司は大泣き。そこで、再び弦楽器DUOさんを訪ね、修理をしていただき、お礼にまたヘンデルを弾きました。その時に、中澤社長の奥様でヴァイオリニストの中澤きみ子先生をご紹介いただき、体験レッスンを経て、小学校に上がる直前にきみ子先生のもとでレッスンを受けることになったのです。中澤ご夫妻には20年間、家族同様に愛情深く、最善の教育と環境で育てていただきました。
 

俳句に合わせて、即席の火吹竹を作りました。
5歳の頃です

 本当にたまたまが重なって、素晴らしい先生方や音楽仲間に巡り合い、また本人の音楽に対する愛と探究心と努力でここまで来られたと思います。こうなれば、とことん最後まで音楽家人生を歩んでほしいです。

 ところで、「鈴木鎮一先生選の一茶百句 俳句かるた」を誠司は幼少の頃、私たち家族と楽しんでいました。本人は覚えているでしょうか? 素晴らしいかるただと思います。そしてこのたび、英訳一茶100句集を知り、早速買い求めました。まずは私が楽しみます!

岡本節子

岡本誠司君のこと

スズキ・メソード関東地区ヴァイオリン科指導者 富川 歓

  
 岡本誠司君が西船橋教室に来られたのは、誠司君が3歳の時でした。当時のことを、お母様は次のように話してくださいました。お母様からのお話とダブル部分もあるかもしれませんが、ご紹介させていただきます。
 
(お母様のお話)
 生活クラブ生協で大人たちが仕分けに専念していた時、近くの空き地では、年上の女の子が誠司の前でエアヴァイオリンを奏で、まだ3歳にならない息子は、それを眩しく見ていたようです。やがて幼稚園に入ることになり、「幼稚園に慣れたら、ピアノを始めてみる?」と私が尋ねると、「ぼく、ピアノよりこんなのがいい」と、ヴァイオリンの弾き真似をしました。
 

始めて1〜2ヵ月の頃

 “それってヴァイオリン?”から始まったヴァイオリン人生です。早速その女の子のお母様(小島さん)にお話しすると、ヴァイオリンも貸してあげるし、教室も紹介するわよ…と。そしてめでたくスズキ・メソード西船橋教室の富川歓先生のところに通うことになりました。私はヴァイオリンは初めてで、小島さんがいろいろ教えてくださり、本当に助かりました。
 
 そして最初は5分から、

4歳の時、勉強会(発表会)から帰宅して、
靴を脱ぐ前に

でもほぼ毎日のおけいこが始まりました。また、一人遊びしている最中もCDを流しておくと良いと教わり、そのようにもしました。旅行の時も、楽器はいつも一緒でした。

 
 西船橋教室のお母様方は、横のつながりもあって、先輩のお母様がお話しされたり、合奏の大事さを話されたり、そんな記憶があります。
 
 とのことです。誠司君も、合奏にはいつもご両親と熱心に参加されていました。
 1巻の「楽しい朝」のレッスンの時、私が「朝起きて、誠司君は何をするのが一番楽しいの?」と尋ねると「ヴァイオリンを弾く時~♪」 すかさず答えが返ってきて、お母様もびっくり。その後に小さな声で「ミニカーで遊ぶのも好き」。
 
 4歳の時の勉強会でゴセックのガヴォットを演奏し、ピアノ伴奏の故野口映子先生に「こんなに音楽的で楽しいゴセックは初めて」と驚嘆されました。
 

富川先生(中央)の右後ろの右側の
ネクタイ姿の少年が誠司さん

 次の年の勉強会はヴィヴァルディAモールの第3楽章。終了後、ご自宅で演奏テープを聴きながら、お母様が「後半から素晴らしくなったね」と褒めると、「うん、あの真中の難しい所が終わってホッとしたから」と答えたそうです。この頃、お母様に、

2018年、Vn富川クラス、Vc臼井クラスの合奏団
“Chiba Junior Strings“の40周年演奏会で、
ソロを弾いてくださった、やはり西船橋教室、
Strings OGの川本嘉子さんと舞台裏で

「ぼく、できたらヴァイオリニストになりたい」と。

 コンサートにも良く行かれたようで、みなとみらいホールでの協奏曲のコンサートに行った時は、(未就学児入場不可)幼稚園児だったけれど、スーツを着せて、小学校の名札を買って持たせて入場したそうです。6歳の時の勉強会ではヘンデルのソナタ第4番を弾きました。  
 
 繊細な感受性と論理性、探求心旺盛で努力家、何より音楽に対する謙虚さと愛情を持って、これからもますます精進されることでしょう。健康に気をつけて、ますますのご活躍を祈念しております。


誠司君、おめでとう!

ヴァイオリニスト(スズキ・メソード出身)中澤きみ子

  

中澤きみ子さんと。東京文化会館での
コンサートの後で(2017年)

 岡本誠司君が私のところに来たのは、たしか6歳の時。小学校に上がる直前のことでした。スズキ・メソードの先生からきちんと教えてもらっていたことが、すぐにわかりました。私自身も、鈴木鎮一先生から直接教えていただいた経験から、感じたのです。その上、彼の演奏を聴いて、もしかしたらこの子はプロへの道に行ける!とその場で閃きました。

 私の生徒さんたちがみんなそうであるように、プロ・アマ問わず音楽好きな大人になって欲しいですが、もし将来、プロになりたいとなった時に手遅れにならないよう、バランスよく指導することを大切にしていました。ですので、レッスンに来たその最後には、生徒さんの今日の最高の演奏をして帰ってもらいたいと、いつも願っています。
 
 そんな中で、彼は真面目にお稽古し、お母様もしばらくは家でのお稽古に携わっていらしたでしょう。そのうち、一人で譜読みができるようになってからは、もっぱら本物のヨーロッパに触れる機会を作るようにしました。外国の音楽祭やマスターコース、ジュニアを対象としたコンクールへの出演など、すべてをヨーロッパ漬けにしたのです。ヨーロッパの音楽が彼の体に自然に入って行きました。
 
 藝高、藝大時代は、澤和樹先生の元で学び、室内楽も充実していたようです。このたびは、難関のミュンヘン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門優勝に輝きました。
 
 この栄誉は、小さい頃から探究心旺盛で、努力家の彼の結果です! これからもファンの一人として心から応援していきます。


12月の帰国公演は、人気必至! 10月2日からチケット一般発売です。
 
岡本誠司 リサイタルシリーズ Vol.2 “夜明け、幻想” 【東京公演】
2021年12月23日(木)19:00開演
浜離宮朝日ホール

入場料:4,000円(全席指定)
 
岡本誠司 リサイタルシリーズ Vol.2 “夜明け、幻想” 【奈良公演】
2021年12月24日(金)19:00開演
DMG MORI やまと郡山城ホール 大ホール 

入場料:4,000円(全席指定)

岡本誠司(ヴァイオリン)、務川慧悟(ピアノ)

曲目演目
・ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第10番
・シューベルト:幻想曲
ほか

【問】 朝日ホール・チケットセンターTEL:03-3267-9990(日・祝除く10:00~18:00)
イープラス https://eplus.jp/okamotoseiji
チケットぴあTEL:0570-02-9999 https://w.pia.jp/
 
さらに魅力的なコンサートが続きます。

東京フィルハーモニー交響楽団 ニューイヤーコンサート2022
2022年1月3日(月)15:00開演
Bunkamuraオーチャードホール

入場料:S席:6,600円、A席:5,500円、B席:3,500円(全席指定)
岡本誠司(ヴァイオリン)、朝岡 聡(司会)、角田鋼亮(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

曲目
・ラヴェル:ボレロ
ほか

【問】Bunkamura 03-3477-3244