豊田耕兒先生の長年のバッハの研究が、1冊にまとまりました! 
今月は、インタビュー記事をお楽しみください!

 

  才能教育研究会名誉会長の豊田耕兒先生が、「ライフワーク」とされていたバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全6曲の研究成果となる楽譜を、全音楽譜出版社より、8月15日に出版されました。まさに入魂の1冊。巻末の詳細な注釈を見るだけでも勉強になります。
  
 先月号でお約束した豊田耕兒先生へのインタビューは、ここから始まります。お待たせしました!
 インタビューは、9月2日、松本の才能教育会館会議室で、十分に感染対策をした上で、行ないました。前日に87歳になられたばかりの豊田先生は、色鮮やかなオレンジのTシャツにマフラー!という組み合わせで登場されました。
 
ー豊田先生のバッハの無伴奏ヴァイオリンは、1971年に録音されていて、その時から50年が経過したところです。先生はこの録音の時、38歳でした。このCDは、タワーレコードから2007年に復刻されたものですが、現在は廃盤になっているようです。

豊田 そんな前になりますか。年のことを言いますと、一昨日までは86歳でした。ですので、昨日から85歳。歳を取る!というから、一つ取ると、85歳になります!
ーふふ、鈴木鎮一先生みたいですね。お誕生日おめでとうございました。ところで、このバッハの楽譜、いきなり謝辞のところでノックアウトさせられました。
豊田先生「これだけはどうしても」と思い、 入れさせていただきました。「最初のページに」と出版元の全音楽譜出版社に頼んだのです。僕にとっては、この3人の先生が人生のすべてですから。鈴木先生はもちろんですが、エネスコ先生は、地球の向こう側にいらっしゃるような方です。エネスコ先生の初めてのレッスンを兼ねて伺った時は、ごくわずかな生徒が週に一度来ていました。

 そこに僕が押し掛けましたから、「では弾いてごらん」ということになり、バッハの『シャコンヌ』を弾きました。これは、鈴木先生から「留学したらすぐにエネスコ先生に見てもらいなさい」と言われていましたので。
 
 実はその前にカザルスに逢い、演奏を聴いてもらったことがありました。カザルス先生曰く「お前は才能がある。これから習うのであれば、世界に一人しかいない」というわけです。「どういうことだろう」と思って、「先生、それはどなたですか?」と尋ねたら、先生は「エネスコ先生が、唯一の先生だ」とおっしゃったのです。たくさんのヴァイオリニストが世界中にいるのに、唯一というのはただごとではありません。今になってみると、先生は僕をヴァイオリニストとして聴かれたのではなく、一人の音楽家として聴いてくださったのだなと。偉い人は聴き方まで違いました。
 
 鈴木先生にも言われていましたし、今度はカザルス先生にも言われましたから、それで、エネスコ先生のところを訪ねたのです。すると「あなたは才能がある、だけど私のところで学ぶと全然変わってしまうよ、それでもいいのかい?」と。こちらの覚悟を聞かれたようなものです。すぐには返事ができませんでした。鈴木先生に習ってきたたくさんの事柄がありましたからね。でも、ここはイエスかノーしかないので、「よろしくお願いします」と言いました。僕にとってエネスコ先生の存在は絶対でしたから。

 
ー先生は、パリ国立高等音楽院に先に入学されるわけですね。
豊田先生 19歳になったばかりの1952年9月9日に日本を出発していました。エネスコ先生は、「私も外国人ですから、あまりフランス人に迷惑をかけたくない」と言われたのです。「今、君はコンセルヴァトワールに入ったばかりだから、ヴァイオリンのレッスンを音楽院で受け、そして毎週私のレッスンを聴きにきなさい」ということで、1年の間、聴講生となる機会を得ることができたのです。だから、その1年間はエネスコ先生の前では見事に一音も弾きませんでした。これが自分にとっては本当に役立ちました。
 
 というのも、自分が弾くより人の演奏を聴きながら先生のレッスンを受ける方が、頭に入りやすいのです。エネスコ先生の考え方を2メートルくらいの距離で拝見できるのですから、それはとてつもない世界でした。ヨーロッパの生徒さんが多かったですね。フランス、ベルギー、ポルトガルから来ていました。みんなその土地で一番大きなオーケストラのコンサートマスターだったような方ばかり。彼らがありとあらゆるヴァイオリン曲を演奏します。もちろん、バッハもありました。
 
 バッハを勉強する時に、エネスコ先生はテクニックのことは言いません。なぜバッハがこう書いたのか、と考えるわけです。そして、何が間違っているかと問いかけます。それだけでなく、バッハがここでは自分の至らなさに「神様に申し訳ないと言っている」、それがこの場所だと。バッハは謙遜な人であり、本当に神様を愛していたのです。そして先生は「バッハを知るには、カンタータを勉強しなければダメだ」とも言っていましたね。先生は「自分は残念ながら、カンタータを110曲しか勉強できなかった」というのです。200何十曲あるうちの110曲をすべて覚えていらっしゃる。最低4人くらいのソリストがいて、オーケストラがあって、すべてピアノで弾いてしまわれるほどでした。それで、バッハが謙遜にあふれている人物であることをご存知なのです。

ーこの楽譜には、エネスコ先生直伝の教えが、豊田先生のこだわりとして随所に反映されています。
豊田先生  ソナタNo.1の3曲目Sicilianaの9小節目。 みんながF♯で弾くのは間違いだと、エネスコ先生は指摘されるわけです。「Fでなければならない」と。我々が後々気づいたことと言えば「そこをF♯で弾くなら後の小節のB♭はHでなければならない、バッハはここもB♭を残しています」。そのくらいエネスコ先生は含蓄にあふれていました。
 
 

ジョルジュ・エネスコの10枚組CD。
バッハの無伴奏曲も収録されている

1949年にエネスコ先生がニューヨークで録音されたバッハの録音を聴くと、音楽の持っている純粋な気持ちが伝わってきます。バッハの自筆譜は、今は誰でも手に入りますが、僕がヨーロッパに行った1952年当時は、自筆譜を写真で撮ったものがあっただけで、それをエネスコ先生から見せてもらい、それでなんとかしてその自筆譜を全部見たいという欲が出てきましたね。先生のようなすごい演奏はできなくても、世の中に何かの形で伝えたいと思いました。先生は「なぜ?」と必ずおっしゃるわけです。その理屈を聞いて、こちらもなるほどと頷けるものばかりでした。 
 
 パルティータNo.3 Loureの終わりから3小節目のトリルはDではなくD♯を弾かなければなりません。多くの人はDを弾きますが、エネスコ先生はD♯でした。その次の小節で、バッハはDを書いています。D♯なのにDで弾くと、次の小節のDの意味が弱くなります。D♯でトリルを弾くと、体が硬くなりますが、そのあとのDで気持ちが安らぎます。
 
ー緊張と弛緩があるわけですね。
豊田先生 人間の感情の起伏があるのですね。それを読み分けることで、一歩深く、バッハの音楽に入れるのです。こうした形で聴講生としての1年を過ごして、次の年からは、パリ国立高等音楽院も卒業していましたし、ヴァイオリンを持って通いましたら、先生は1回だけヴァイオリンを弾いてくださったことがありました。生徒の楽器を持って、「僕はヴァイオリンを練習するのが嫌いでね。あんな難しいものはないから」と。でも弾きたくなったのでしょう。サン=サーンスの協奏曲第3番のあの冒頭を弾き始めたのです。音程を外すことの多い部分です。音は少し貧弱でしたが、しかし、音程はパーフェクトでした。「巨匠というのはこういうものか」と思い、何も言えなくなりました。耳の訓練の仕方が違うのです。われわれはあの跳躍する音程にとても苦労しますが、エネスコ先生はスパッと音程があってしまう。もう脱帽ものです。「弾けた!」って喜んでいました。彼の十八番の曲だったのです。エネスコ先生がパリ国立高等音楽院を卒業された時に弾かれた曲です。もう、恐れ多い感じでした。
 
ーこの楽譜の編集作業に取りかかられたのは、いつからになりますか?
豊田先生 実際の編集作業は、約1年前からでした。
 
ー13年前の全国指導者研究会の時に、先生と浜松のホテルで朝食をご一緒した際に、「僕はバッハの楽譜を自分で校訂したものを全音から出版したいと考えている」とおっしゃっていました。
豊田先生 その頃に、そんなことを言いましたか(笑)。きっと当時から構想していたのでしょう。とにかく書き出したらキリがないのですが、楽譜の後半の注釈はだいぶ謹んだつもりです。パルティータNo.1 SarabandeのDouble。最初の低い音はバス、高い音はソプラノというように音色、音量、音群などを弾き分けるわけです。一方で、パルティータNo.2 Ciacconaには、バッハ自身が忘れているようなところもありました。
 
 書いてあることをそのまま弾くのでは、ダメですね。それと、楽譜の全部が真っ黒になるくらい書き込んでも、本人がこれがバスで、ソプラノで、アルトだというのを自分で発見しないと、実は身につかないのです。注釈には、それらしきことを示唆できるような手がかりを書いています。ものすごく音楽がリッチになることをわかっていただきたいからです。
 
  パルティータNo.1 CorrenteのDouble78と79小節。この指使いはエネスコのものです。79小節でサードポジションから、急にファーストポジションに飛ぶわけです。彼が求めている変化の必要性です。結構この移動にはエネルギーを使います。そして最後に明るい調子で終わるわけです。その部分を彼は二つに分けたわけで、弾いてみると、その意図がわかります。
 
ー先生は、自筆譜を底本とされているわけですね。
豊田先生 ベルリンのオペラ座の目の前に、バッハの自筆譜を所蔵するStaatsbibliothek zu Berlin(ベルリン州立図書館)がありました。まだドイツが東西に分かれていた頃に、ひと夏、図書館のある西側のダーレム区に通い詰めました。まだ発見されたばかりで見に来る人が少なかったので、係の方は閲覧する僕をとても大事にしてくださいました。ここにはバッハの自筆譜とアンナ・マグダレーナの写譜があって、後者は間違いだらけでしたが、それがそれで面白いのです。それが最初の接触で、その頃には出版もされるようになりました。エネスコは出会ってから3年目に亡くなられました。1950年に新バッハ全集が出ていましたので、僕はそれにも飛びついて購入しました。
 
 カール・フレッシュによるバッハ無伴奏の楽譜が出版された頃で「大先生の楽譜が出版された」ということでそれを持ってパリに留学していましたが、それでエネスコ先生のレッスンが始まり、自筆譜を見ながらの勉強が始まったわけです。そこで、物事を観察する、奥を見る瞬間をエネスコ先生から学んだわけです。
 
 パルティータNo.1 Allemanda冒頭の5小節目、これは非常に大事なことでしたが、この部分に来ると、毎回必ず気持ちが悪くなったのです。この曲は、付点のリズム
で統一されているように見受けられますが、そうではなく、この*の部分だけが逆付点になっているのです。それでどうしてだろうと思って、この自筆譜を見たら、やはり違う。天井に飛び上がるほど嬉しかったですね。

ーこれを気持ち悪いと思われるのは、どういうことなのでしょうか。
豊田先生  ハーモニーとリズムが合わないから、気持ち悪くなります。バッハの自筆譜を見て、やっぱりそうだったと天下を取ったような気がしました。自慢するわけではありませんが、いまでもその場所に来ると気になります。帰国した時に、大木正夫先生にこの気持ち悪くなる話をしたら、「よく気がついたね」と言われました。バッハは、音楽をしながら書いたのですね。その頃の出版物は、みんな普通の付点になっていて、かの大ヨアヒムですら間違って書いています。バッハは単なる統一性にしがみついて書いているわけではなく、音楽が必要とするものを書いているわけです。
 
 パルティータNo.3Preludioの128小節目。「どうしてAを書いたのか」と問いかけるのです。普通はここでG♯で弾きます。しかし、バッハの筆致は自信ありげにAを書いています。これをカンタータでオルガンでも弾いているのですが、それがやはりAで書かれています。リュートではG♯になっています。普通に書く人なら音階ですからG♯で書きます。その方がスマートに見えるのでしょう。けっしておかしくない。むしろ慣れた人には、Aを続けて弾くことの方が不自然になりますが、これが落とし穴です。

ーこの1年くらい集中されたとのことですが、毎日毎日取り組まれたのですか。自粛期間中にもかかわらず、この楽譜制作に戦っていらしたのがすごいですね。
豊田先生  まったくそうです。まず譜面を見て、楽譜を実際に弾きます。そこで、バッハの本当の意図にぶつかります。
 パルティータNo.2 Ciacconaの出だしにもいろいろな疑問があります。自筆譜を見ていて、一番下のD音を狭い場所をかき分けるようにして書き足したところがあります。ということは9小節目も同じく書き足すのを忘れたのではないかと見ています。
 
ー編集作業をされながら、校正が全音さんから上がってくるわけですが、お一人でチェックされるわけですか。
豊田先生 人に任せるわけにはいきませんからね。バッハですら、ひょっとしたら間違いがあるかもしれないし、その間違いにも意味があるかもしれないと思うと、やはり自分でやりませんとね。
 
 ソナタ第2番Fugaの112小節から♬♫のテーマの土台になる部分が16分音符の刻みの中で遊びの要素として見えてくるわけです。チェンバロの楽譜にははっきり書かれていますが、ヴァイオリンでは埋没しています。こうやってまだまだ発見があるのではないかと思います。自分としてはまだ途中だと思っています。終わりがないのです、バッハには。
 
ー8月15日に出版されるのは決めておられたのですか。
豊田先生 昨年の段階で、「(出版は)来年の8月の終わり頃ですね」と言われていました。「先生、がんばりましょう」と全音の社長さんを始め、みなさんから激励されていました。それで私も挫けてはいけない、がんばらないとと。
 もうひとつ、同じ曲の258小節、4声のところに、同じA音が二つあります。これが昔から疑問でね。バッハは最高音のFをE線で弾いて欲しかったのでしょうね。A線で弾かれるのを避け、明るいE線の音がほしかった。B、A、G、Fと一つのメロディがあるので、バッハとしては必要だったのだろうと思います。僕の考えですが、それ以外は考えられない。バッハが内声をダブルにした理由があるのでしょう。これだけの天才の作った楽譜です。バッハ自身はそんなに何時間も関わっているわけではないでしょうが、我々にとってはこれをなおざりにしてはいけないと思います。研究させてもらったことはありがたいことです。
 
ー今後は、この楽譜を使って、指導者や生徒さんへのアプローチをされるのでしょうか。
豊田先生 バッハの考えをこの楽譜を通して理解して欲しいと思いますね。元の形を大事にして欲しいと皆さんに言いたい。実は、チェロの6曲についても興味があります。いろいろとバッハに聞いてみたいことがあります。残りの人生でできるかどうかわかりませんけどね。チェロは自筆譜がないし。
 
ー先生の集大成、ライフワークと言ってよろしいでしょうか。
豊田先生 やはりこれだけは、という思いがあります。偉い先生に習いましたし、まだまだやり足りないところがきっとあると思います。探していたら、見つかるでしょう。
 
ーこれを手がかりにバッハにアプローチしてみようというきっかけになりますね。ヴァイオリン以外の楽器の皆さんもこの楽譜を購入されていると聞きました。その意味では先生からのギフトだろうと思います。
豊田先生 そういってくださると嬉しいですね。一人ひとりが自分自身で、もっと研究してくださると嬉しいです。この楽譜で一つの方向を示したわけですから。
 
ー本日は大変貴重なお話を伺うことができました。ありがとうございました。
 


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