「豊田耕兒先生の卒寿をお祝いする会」を開催!

 
 6月9日(金)、赤坂プリンスクラシックハウスの落ち着いた雰囲気にあふれたロイヤルルームで、才能教育研究会の名誉会長、豊田耕兒先生の卒寿、そして奥様の元子様の米寿をお祝いする会が開催されました。かつて、国際スズキ・メソード音楽院で豊田先生のもとで学ばれた第一期生が幹事となって、賑やかな集いを企画されました。

 

 「豊田耕兒先生の卒寿をお祝いしよう」と立ち上がったのは、福井の山口健太郎先生、札幌の山同直樹先生、佐賀の大畑佐江先生、東京の伊藤美穂子先生の4人のヴァイオリン科指導者たちでした。何度もオンラインで打ち合わせを進めながら、かつての国際スズキ・メソード音楽院で学んだ仲間たちが、次々にその輪に加わっていったのです。

 
 会の冒頭は、豊田先生ご夫妻によるヴァイオリン演奏からスタートしました。門下生たちから万雷の拍手を浴びながら、ヴァイオリンを持ってゆっくりと登場された豊田耕兒先生と奥様は、満面の笑顔です。とても艶やかで、お召しものもとてもファッショナブル。お二人の演奏された曲は、シューベルトの19歳の時の作品、ヴァイオリンソナタ イ長調D.574。通称「グランデュオ」と呼ばれ、ヴァイオリンとピアノが対等の関係に発展した作品として知られています。それだけに朝のリハーサル時から互いに、お二人が声を掛け合いながら音楽を作り上げてゆかれる姿は、微笑ましさとともに、演奏への真摯な姿を十二分に感じさせるものでした。最初に1、3、4楽章を弾かれ、「では、アンコールに応えて」と宴席を盛り上げ、2楽章を演奏されるあたり、豊田先生のウィットも健在です。

 乾杯のご発声は、幼少の頃より親しくされておられる関東地区ヴァイオリン科指導者の正岡紘子先生です。「豊田先生、卒寿おめでとうございます。最近、私は『心に栄養を蓄えよう』というお話を聞きました。その方によれば、心に栄養を蓄えるには、思い出が一番ということでした。今日お集まりの皆さんも、だいぶ多くの栄養をお持ちと思います。今日、豊田先生を迎えられて、またたくさんの心に栄養をお持ち帰りになられると思います。それでは、皆様、乾杯!
 
 祝宴が始まりました。それまでクローズしていたドアが開き、オープンキッチンから各テーブルにまず運ばれたのが、夏野菜と鶏胸肉のコンソメテリーヌ(ゆずのレムラードソースあえ)です。

 
 そして、1995年に豊田耕兒先生を最初にお迎えした世代から順番に、門下生の皆さんのスピーチが続きました。少しご紹介しましょう。
 
・豊田先生が2020年に東京に転居されたときには、盛大にフラれた思いでおりました(笑)が、今日、こうしてお二人の演奏を聴くことができ、これからのお稽古の糧となる宝物を得た思いです。

・音楽院時代に、豊田先生から全身全霊で音楽を教えていただきました。レッスンいただいた音楽のすべてが、私の宝物です。
・いつか先生に恩返しをしたいと思っていますが、まだ先になりそうです。それまでどうかお元気でいらしてください。
・先生から教えていただいたことは、どんなことも諦めないという姿勢でした。今日の先生のお姿を見て、改めて生徒たちにもそのことを大切に伝えたいと思います。
・先生ご夫妻の演奏を聴いて、松本での日々を思い出しました。先生のように一生かけて勉強を続けていらっしゃる姿を見て、私もがんばろうと思います。
・今日は金曜日ですね。「エチュードの日」でしたね(笑)。箸にも棒にもかからない私を何度も拾ってくださって、ありがとうございました(笑)。
・18歳で入学しましたが、今は母になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
・先生のおかげでヴィオラに出会うことができました。一生の宝物です。
・先生のことが大好きで、会いたくて、韓国から飛んできました(拍手)。私も将来、先生のように生徒みんなから愛される先生になりたいです。
・音楽院の最後の世代です。本当に本当に貴重な1年間をありがとうございました。
 
講師の先生方からもスピーチをいただきました。
・石川咲子先生から
 私は父を割と早く亡くしましたので、今日のお二人のように芸術家として一緒に演奏される姿を拝見して、本当に素晴らしい場面に立ち合わせていただきました。私は、豊田先生がドイツにいらっしゃる頃から、お休みのたびに帰国されたときに、松本で伴奏をする機会をいただきました。そのたびに、普段出会えないようなレパートリーを演奏することができ、ピアニストとして財産になっています。それに、皆さんのレッスンのたびにご一緒することができましたので、本当に幸せな時間でした。スランプの時に、豊田先生が会長室で「どうしたのか?」と問われたことがありました。いつも見守っていてくださり、「とにかくがんばりなさい」とおっしゃっていただいたことが本当に嬉しく思っています。

・臼井文代先生から
 超一流の芸術家に師事され、またドイツのオーケストラでのコンサートマスターとして、また音楽大学での後進のご指導されてこられた先生の伴奏をさせていただくたびに、「あぁ、こうやって音楽を作られていくのだなぁ」と思いました。そのような素晴らしい先生がスズキ・メソードのために松本に来られて、そのたびに伴奏をさせていただく私にとりましてはベルリン芸術大学で勉強していた頃から数えますと、実に35年もの間、ご一緒していることになります。先生が真の芸術家から得られたさまざまな教えをレッスン中にみなさんにお伝えする内容は、私も伴奏譜に書き込みをいたしました。特にブラームスのヴァイオリンソナタ第1番のレッスンは、いつも感動していました。先生は、100歳を超えられてもレッスンをされておられると思いますが、またご一緒できますことを楽しみにしています。

・東 誠三先生から
 私がお二人にお会いしたのは、テンチルドレンツアー(海外演奏旅行)でベルリンに伺った時だと思います(編集部註:1970年第6回ツアー)。8歳の時で、ベルリンの空港に眠い目を擦りながら降りた時に、お二人が空港に出迎えてくださって、それでツアーの空気がいっぺんになごんだことを覚えています。今から53年も前の話です。その後、私が留学先から帰ってきた時に、豊田先生から「松本で教えてみないか」とお声をかけていただきました。豊田先生は、まだ私や臼井先生が小さかった頃から、わたしたちの演奏をきちんと聴いていただき、きちんと評価をしてくださいました。どれだけそれが私の支えになったことか、今から考えますと計り知れないものがあります。それで、松本で教えるようになって1番の思い出は、半年に1回ずつあった音楽院の成果発表会で、今日お集まりの先生方が、いかに豊田先生のもとで厳しいレッスンを受けてこられてきたかを感じることができたことです。愛情を持って厳しく接してこられた豊田先生のご指導が、最近になって私もだんだんわかってきました。やはり人間対人間は、影響を与え合うことができます。それを身をもって示してくださいました。
 もう一つの豊田先生の顔は、作曲家としての顔です。最近、息子さんでヴァイオリニストの弓乃先生とチェリストの理夫先生と、それぞれコンサートをご一緒させていただきました。弓乃先生は豊田先生の「パンセ」を演奏され、理夫先生は豊田先生の「無伴奏チェロのための主題と変奏」を演奏されました。私が一番感動したのは、2曲とも全然違う世界が見事に描かれているんです。「パンセ」は、大自然の神秘的な要素とか、厳しい空気感とか、純粋だけど広がりのある世界が描かれていました。「無伴奏チェロのための主題と変奏」は、とってもおしゃれで、今日の先生のファッションのように(拍手)、変奏曲としていろいろなキャラクターが表現されていて、豊田先生の世界にびっくりするやら、ますます先生の魅力を感じているところです。
 
 豊田先生からもお話がありました。
 会のために皆さんが、いろいろとお力を発揮してくださり、本当にありがとうございます。一つ忘れてならないのは、鈴木鎮一先生です。小さい時から鈴木先生のお宅でお世話になりました。朝起きますとね、髭剃りにいらっしゃるのですが、「まだ寝ているのかね?」とよく叱られました。人間としてのあり方を常に教えてくださいました。我々が今日、ここに集まれたことは、本当に鈴木鎮一先生のおかげです。最大の大切なことは、元だと思います。鈴木先生のおっしゃったことは、どれも正しいです。「音楽こそ人を作る」と、鈴木先生はドイツにいらした頃からそうお考えでした。私から伝えたことが皆さんのお役に立っていることは嬉しいですが、本当の元は鈴木鎮一先生です。これを忘れてはなりません。鈴木先生の書かれた書籍がたくさんありますが、もう一度読み直したいですね。先生のおっしゃったことを実現できれば、本当に喜んでくださると思います。今回、こうして久しぶりに皆さんにお目にかかれて、いろいろとお話ができたこと、感謝しています。すべての子どもたちに、どうか鈴木先生の教えが伝わりますよう、この機会に改めて皆様にお願いします。ありがとうございました。

分数ヴァイオリンのケースに、参加の皆さんで
1輪ずつレイアウトされたプリザーブドフラワー。
記念に豊田先生ご夫妻にプレゼントされました

 師を心から敬慕される皆様の集いは、とても心温まる時間でした。笑いあり、涙あり、驚きあり、そして感動あり。それぞれの人生を振り返る機会にもなりました。

  ゲストの先生方のスピーチに、各年代ごとの門下生たちによるショートスピーチの数々、豊田先生のお話、そして本会所蔵の多くの記録的な写真や思い出たっぷりの写真によるスライドショー上映、かつて季刊誌に連載された豊田先生の随筆「思うがま々に」が1冊の記念誌となって参加者にプレゼントされるなど、盛りだくさんな内容で、あっという間の時間でした。
 
 祝宴の最後は記念撮影です。タイミングよく、最後の撮影直前に、朝からの雨も上がりました。宮内庁御用達の職人の手により丁寧に創り出され、東京都指定有形文化財でもあるこの建物の中庭に、素敵なお顔が並びました。