東京大学の酒井邦嘉先生が、「脳と才能教育」をテーマに、
わかりやすく講演されました。
スズキ・メソードとは、2010年の機関誌編集部によるインタビューが最初のお付き合いで、そのインタビューの最後は、「いつか共同研究ができるといいですね」で終わっていました。実際の記事を下のリンクからご覧いただけます。
→機関誌No.174「音楽サイエンス」.pdf
その後、共同研究の打診を酒井先生からスズキ・メソードにされたところ、ちょうど会長になりたてで、東京大学の物理学教室の同窓でもあった早野龍五理事長から、すぐに返信があって相談が進み、2017年から共同研究がスタートしました。その様子は、マンスリースズキでも以下のように紹介しています。
→2017/1/1 共同研究、狙いと意義
→2017/2/1 共同研究スタート記者会見&毎日メディアカフェで対談
→2017/3/1 共同研究音源作り
→2017/10/1 共同研究、続報
→2017/10/12 毎日メディアカフェ鼎談記事
→2018/7/1 脳科学の専門誌に相次いで登場
→2019/6/1 酒井邦嘉先生の新刊書
→2020/6/1 東大との共同研究、第2段階へ
→2022/1/1東京大学との共同研究の論文を発表
→2022/10/1 酒井邦嘉先生の新刊書
→2023/11/1酒井邦嘉先生のWeb記事
→2024/11/1酒井邦嘉先生の新刊書
→2025/1/1東京大学との共同研究第3弾スタート
講演「脳と才能教育」より
チョムスキーの示唆―どの人間集団にも「音楽」がある
人間の祖先が十数万年前に言葉を話し始めた頃、すでに音楽も存在していたと私は考えています。たとえば、約4万年前に作られた縦笛がドイツの洞窟で2008年に見つかっています。洞窟の中は温度や湿度が比較的安定しているので、保存状態が良いのです。アジアのような高温多湿の地域ではそうした遺物が残りにくいのですが、ヨーロッパでは洞窟壁画なども含め、古代の芸術に触れることができます。
私の恩師であるノーム・チョムスキー先生の講演録『我々はどのような生き物なのか―ソフィア・レクチャーズ』(岩波現代文庫 1,386円)に、次のような一節があります。
「文化の違いにもかかわらず、極めて驚くべき事実があります。それは、これまでに発見されているどの人間集団もある種の音楽を持っているということです。…これらはまさに普遍的な人間の特性だと考えられます。…こういった特性は、我々を人間にしているもの、すなわち、人間言語の副産物であるというものです」
音楽と言語の共通点を研究している私にとって、この言葉が大きな励ましになりました。
スズキ・メソード―母語の自然習得を音楽に
スズキ・メソードは、母語の自然習得を範とする音楽教育です。子どもは、勉強して母語を学習するのではありません。環境の中にある言葉を自然に身につけていくわけで、そこには脳の生得的な能力があります。脳の重さは3歳で大人の8割程度になりますが、脳の中は日々変化していきます。「自然に身につく」という不思議な能力を応用すれば、理想的な音楽教育が実現できるのではないか。そこに鈴木先生の発想があったのだと思います。
言語も音楽も「小さな単位」から「大きなまとまり」へ
言語には、単語、文節・句、文、段落、文章といった、小さな単位を組み合わせて大きなまとまりを作る構造があります。この階層構造はどんな言語でも共通していますし、音楽でも同じです。音符のように小さな単位から、動機(モチーフ)、楽節、楽段、楽章という大きなまとまりが成り立っています。言葉の「起承転結」のように、「提示部・展開部・再現部・コーダ」といった展開もありますね。言語と音楽が同じ原理を持つと捉えることで理解が深まるのです。
「絶対音感」より「相対音感」―相対的な把握の重要性
声の高い人が話しても、低い人が話しても、内容は同じように理解できます。声のピッチを変えても意味が同じように、メロディーはオクターブやキーによらないのです。このように言語と音楽の共通性から考えれば、「絶対音感」より「相対音感」のほうがはるかに大切だと分かるでしょう。
私は脳研究でも、絶対音感の神話から距離を置いています。一般的な物事も絶対的な価値観だけから考えることはむしろ危険で、相対的な把握のほうが重要です。物理学の相対性理論でも、時間と空間に絶対的な基準がないことが基礎的な考え方となっています。
耳から覚えること―新たな共同研究の出発点
詩の暗唱は難しくても、歌って覚えれば簡単なものです。音声は文字や音符の記号よりも情報が豊かですから、言葉や音楽は耳から覚えたほうが、自然で理に適っています。こうした問題意識を持ち続けていたところ、会長の東先生から「実際に調べてみませんか」というご提案をいただいて、今回の新たな共同研究として本格的な調査が始まりました。
全人教育―「効率」では測れない学びを今
一つのことを極めるには、乗り越えるべき山がいくつもあります。それを練習と反復で越えていく経験は、他の領域にも十分に応用できるのです。「好きこそものの上手なれ」と言って、一芸に秀でることはすべてに通じます。鈴木先生が音楽を通して全人教育を語られたのは、そこにヒントがあるのだと思います。
情報が過剰となって、効率がもてはやされる今の時代ですが、教育や研究の効果は、決して効率では測れません。表面的に「分かった」と言うのではなく、「分からないことを分かりたい」と言って謙虚に鍛錬を続ける「向上心」が大切です。
共同研究の概略―「音源を聴く」ことと「譜面を見る」ことの比較
今回の研究では5日間だけ、ある2曲は音源を聴く条件で、別の2曲は楽譜を見る条件で練習して、さらに鍵盤に触れて楽譜を確認する2日間を設けました。参加者は中級程度のピアノ学習者を中心に、スズキ経験の有無や他楽器経験の有無など、背景の異なる人を対象としています。
MRI装置の中で脳機能を調べる課題では、音源を聴きながら、それが練習した曲と同じか、一部の小節を入れ替えた「不自然な曲」かを判断してボタンを押します。その結果、次のようなことがわかりました。
- 7日間の短期的なトレーニングでは、音源を聴く条件で曲を覚えた方が、より速く正確に判断できた。
- 長期的なトレーニング効果として、ピアノ以外の楽器経験がある人は、さらに判断の成績が向上した。楽器経験の多様さにより、楽曲が把握しやすくなる。
- スズキ経験者は、短期間のトレーニング効果がより顕著に表れた。普段から名演奏を聴いて練習しているためだと考えられる。
脳活動の結果―音楽と言語の接点
脳の大脳皮質は、次の4つに分けられます。前頭葉は運動指令と思考・言語などの高次機能を、頭頂葉は体性感覚など、側頭葉は聴覚・音韻など、後頭葉は視覚を担っています。楽器の演奏でもこれらのすべてが総動員されることになります。音源を聴いてその位置を判断するという基本的な課題の脳活動を差し引くことで、音楽的判断という高次機能を反映した脳活動のみを抽出します。
複数の楽器の経験がある人は、音源を聴く条件でトレーニングした曲に対して、左の前頭葉の一部が強く活動していました。これは言語を司る領域で、特に私たちが長く研究してきた「文法中枢」と一致します。この部分は「普遍文法」の座として、人間のあらゆる言語や音楽に共通した「構造」を作る働きがあります。
楽譜を見る条件でトレーニングした曲に対しては、右の前頭葉の活動がさらに高まっていたのですが、これは右脳による補助的な働きだと考えられます。スズキ経験者では、左右の聴覚野と言語関連領域の活動が顕著に上昇していました。つまり、言語野がより活用できていることを示しており、音楽と言語の接点が確かめられました。
音楽は魂の言葉
今日のお話をまとめますと、才能教育は音楽のトレーニングだけでなく、生得的な言語能力を引き出すような自然習得に通じるものです。情操教育はまた、普遍文法に由来する音楽の能力とともに感性の育成にも役立ちます。そうして得られた創造力によって、「生成AI」などに頼ることなく、言語や音楽を通して真の対話を生成すべきなのです。
音楽は、自分の心にある「魂の言葉」でしょう。それは何かの意味を直接表すわけではなく、とても抽象的に表現されるのですが、聴き手の想像力によってくみ取ることができます。今回小説を書いてみて初めてわかったのは、読み手の想像力を極限まで信頼しないといけないということです。音楽の演奏もまったく同じことだと思います。
(編集部)講演の最後には、持参されたヴィオラを出されて、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番BWV1007より「プレリュード」を演奏いただきました。酒井先生の生演奏を聴くのは初めてでした。ヴァイオリン科の先生方も聴衆に多くいらっしゃいましたから、緊張されたことと思いますが、日頃の練習ぶりを見事に発揮されていましたね。
質疑応答より
(質問1)スズキの生徒さんと一般の方で脳機能の差が出たことが印象的でした。子どもたちは自分の音だけでなく、いろいろな演奏者の音を多く聞いていると思いますが、その影響で脳機能の変化は起きるのでしょうか。また、才能教育で知能指数が上がることも考えられるのでしょうか。
(酒井)動画をたくさん視聴するのとは違って、優れたお手本を繰り返し聞いてまねることで、脳の中に音像が定着しやすくなります。合奏のレッスンで他者の演奏を同時に聞くことも効果的だと思います。テンポやリズムを合わせて弾くのは、多くの脳の領域を同時に使うマルチタスクです。そうした経験が、豊かで的確な脳機能を引き出すのでしょう。
才能教育を知能指数と結びつけるのは、大いに疑問です。単に答えのある知能テストで、その人の知能を数値化することなどできません。本当の知能とは、答えがあるとは限らない状況でも、既知のものを組み合わせて創意工夫できる能力なのです。才能教育の成果を知能指数などで測ろうとしてはいけません。
鈴木先生は「才能は生まれつきではない」とおっしゃっています。才能が脳に「眠っている」のではなく、教育によって引き出されて開花するのです。ですから、本人が「やりたい」と思うことを伸ばしていくことが一番です。
(質問2)学校でテストの採点がデジタル化され、指示通りに入力しないと誤りと見なされる、といった話を聞きます。生活の中にデジタル機器が入り込み、親子の会話の時間を確保するのが難しい中で、親としてどのように考えればよいでしょうか。
(酒井)人間が機械に合わせなければいけないというのは、大きな間違いです。しかし、デジタル機器やAIが無条件に教育へ入ってきていて、たいへん懸念しています。デジタル教科書も電卓や翻訳機の利用と同じ流れですし、頭を使う能力を失わせる方向に向かっています。さらにキーボードを使えば、手書きの能力も失われてしまうのです。
そこで、自分の手で楽器を大切に扱い、時間をかけて美しい音を出せるようにしていく能力の育成がますます必要となっています。芸術教育は最後の砦なのです。学びの基本は親子や師弟の対話にありますから、もっと会話の時間を大切にしたいですね。
(質問3)実験の課題は、音源だけを聴いて「これは練習した曲と同じか、違うか」を判断する、という理解で正しいですか。譜面を見せる課題にしない理由は何でしょうか。
(酒井)正しいです。楽譜を見せる課題ですと、譜面の視覚的な記憶を強調してしまうため、採用しませんでした。音楽的判断を測る目的では、楽譜から「音像」を想像して記憶できたかどうかが問題となります。耳で聞いただけで音像が正確に覚えられるとも限りません。実際、全員が満点だったわけではなく、複数の楽器の演奏経験からも個人差が見られるという点が興味深いところです。
(酒井)どの群もピアノの練習時間に統計的な差はありませんでした。ですから、単にたくさん練習しているから成績が高いというわけではありません。複数の楽器を習得した群は、ピアノ以外の楽器とピアノの練習時間が同程度でした。
(質問5)学習の初期は多くの時間がかかり、熟達すると高速化されるという議論があります。熟練者は脳が効率化されているのでしょうか。
(質問6)先生の脳科学者としての夢みたいなものを教えてください。
(酒井)実験的には難しいのですが、新しいアイディアを思いついた時のひらめきや、美しいと思う感性、不思議だと思う瞬間の脳機能を解き明かしたいと思っています。科学者にとって大事なのは、この「不思議に思う」センスだからです。この感覚は人間にしかないものですし。
(質問7)研究や教育、執筆、楽器演奏など、どのように一日を過ごしているのでしょうか。
(酒井)優先順位と締め切りなどを考えながら、自分で判断しています。切り替えはうまいほうではないのですが、複数の趣味を持っていると、煮詰まったときによい気分転換になります。あと、SNSは一切やらないので、その時間をすべて執筆に充てることができます。