第75回中信美術展 今年の才能教育研究会賞です!

 

会場となった松本市美術館

 松本市を中心とした長野県中部(地元では信州の中部という意味で「中信」と略されます)の美術制作者の優秀な作品を展示する第75回中信美術展が6月17日(土)~25日(日)の日程で、松本市美術館で開催されました。

 毎回、中信美術展ではスズキ・メソードの支援により設定された「才能教育研究会賞」が若きアーティストの皆さんに贈呈されます。今回も審査委員の厳正な審査の結果、ジュニア部門(20歳以下)の優秀作品として、松本市内のエクセラン高校1年生の護山梓(もりやま あずさ)さんが受賞しました。受賞との因果関係はありませんが、エクセラン高校は、夏期学校で施設をお借りするなど、大変お世話になっている学校でもあります。
 
 護山さんの「青の光」と題するF30号(910mm×727mm)の洋画は、洋画部門審査委員長の矢野口靖先生により、下記の審査講評のとおり、高く評価されました。
 「まず、少女のうっとりとした瞳と顔の表情に心ひかれた。彼女を取り囲んでいる人々だろうか、青と暖色の筆づかいが歯切れ良いタッチで描かれ、彼女への想いまで生き生きと伝えられており、観るものに喜びを与えてくれる作品となった」 
 
 護山さんの喜びの声です。
「高校で生活していく中で、友人たちに貰った『嬉しさ』を思い切りぶつけたこの絵で賞をいただけたこと、本当に嬉しく思います。ありがとうございました」

青の光(護山梓)


 

中信美術会とスズキ・メソードの関係

 

 美術の分野で長い歴史を持つ中信美術会とスズキ・メソードは、どんな関係があるのでしょうか。

 中信美術会は第2次大戦直後の1948年に、松本でスタートしました。東京美術学校(現東京藝術大学)を経て、フランスで勉強し、故郷松本に戻っていた宮坂勝先生(1895〜1953)と中央画壇で活躍するも松本郊外の浅間温泉に疎開していた石井柏亭画伯(1982〜1958)が核となり、誕生しました。
 
 当時の松本には多くの芸術家が戦後も滞在していました。その中には松本市に縁のある若き日のいわさきちひろや草間彌生らもいて、皆松本を拠点に美術制作に没頭していました。終戦直後からの復興のさなかにありましたが、街には創造的な活動を後押しするオーラがたちこめ、それが若き才能あふれる芸術家を虜にしていたのです。
 
 スズキ・メソードの創始者である鈴木鎮一先生も、そのような街の熱気に押されて「どの子も育つ、育て方ひとつ」をスローガンに、画期的な新しい人づくりの運動を同時期に松本でスタートさせました。その運動は中信美術会創立と同年の1948年(昭和23年)に「才能教育研究会」となり、美術と音楽と分野は違うものの、松本の文化・教育活動の中心として75年にわたり脈々と創立時の精神を受け継ぎ、今日に至っているのです。
 
 このように、中信美術会とスズキ・メソードは松本が生んだ双子の兄弟のような存在なのです。中信美術会もスズキ・メソードも未来を見据え、子どもたちの健全な成長とチャレンジする姿をいつも応援しています。