蔵持典与先生による「鈴木鎮一先生の生涯と時代」の連載、スタート!

 
 ISA(国際スズキ協会)が関東地区ヴァイオリン科指導者の蔵持典与(くらもち ふみよ)先生の著作「鈴木鎮一先生の生涯と時代」の英訳版(翻訳:リリー・セルデン)を紹介したことを、マンスリースズキの先月号でお知らせしました。
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 マンスリースズキでは、蔵持先生のご快諾をいただき、その著作を日本語で連載していきます。今回は、前書きにあたる「はじめに」と、「目次」を紹介します。


 

はじめに

 その日は、たまたま見学者もなく、私一人だけの個人レッスンだった。私がまだ大学生の頃のことである。レッスンが終わったあと、いつものように椅子に座って、鈴木鎮一先生のお話しを待っていた。すると鈴木先生は、いつになく沈んだ表情で、こうつぶやいたのである。
「夜中に起きて、世界中の不幸な子どもたちのことを考えると、涙が止まらない」
このとき以来、先生の涙の一滴(ひとしずく)が、私の心に深く痛みを伴って留まっている。
 
 私が鈴木先生の原典の研究を始めたのは、1993年頃である。その理由は、特にその頃、「スズキの生徒は楽譜が読めない」という声を、国内外で聞くことが多かったからである。私はそれを非常に疑問に思っていた。なぜならば、私の先輩、同輩、そして少し下の後輩の中で、楽譜の読めない人は誰もいなかったからである。
 
 では、なぜ生徒たちが楽譜を読めないのか? このメソード自体に欠陥があるのか? それとも何か大切なことが見落とされてきたのか? 私はこの疑問の答えを探し始めた。
 
 そこで、まず実家の書架から調べ始め、次にレッスンで長年通っていた旭町の鈴木先生のご自宅に伺って、全室の書架を見せていただきたい、とお願いした。すると先生は、何かの執筆中でいらしたにも拘わらず快諾されて、家中の書架を調べさせてくださった。その折に直接いただいた1940年代の副教材は、今も大切に保管している。
 
 その後、日本全国の先生方にお願いして収集した、資料やコピーを基に、原典の研究に着手することになった。それを進めるうちに、この教育運動全体の時間的な推移や、鈴木先生の思想の深さと複雑さというものに無関心ではいられなくなったのである。
 
 この研究を始めたときに、鈴木先生はこう注意してくださった。「研究の茶畑に迷わないように」。確かに、何度も迷いそうになり、投げ出しそうになり、先が見えない不安に駆られたこともあった。しかし今日までの長い年月のうちに、資料からのみの記述だけではなく、実際に私が長年にわたって接した鈴木先生の、日常に現れた示唆に満ちた教えの数々を思い起こしながら書き綴ることが、希望の光となったのである。
 
 これまで惜しみなく協力してくださった多くの方々に、深く謝意を表するとともに、この研究が、鈴木先生が生涯を捧げられたこの教育運動の継続と、さらなる発展に少しでも寄与することができれば、それに過ぎる喜びはない。

 
2024年12月18日
東京にて
 

目次

 
はじめに
 
第1章
 父と母
 
第2章
 鈴木鎮一の生涯と才能教育運動
 
第3章
 トナリゼーションの歴史と哲学
 
第4章
 読譜について
 
第5章
 資料篇

  • ヴァイオリン教本の歴史
  • 著作解題
  • 音楽関連
  • 才能教育関連
  • スズキ・メソード副読本
  • スズキ・メソード副教材

蔵持典与先生の略歴

 

 9歳から故、田沢毅氏にヴァイオリン指導を受ける。13歳から鈴木鎮一氏のプライベートクラスに在籍し、1964年第1回海外演奏旅行(テンチルドレンツアー)の一員として鈴木夫妻とともに渡米。早稲田大学在学中に同氏から直接スズキ・メソードの指導者認定を授与され、卒業後東京で指導を開始。1975年渡仏し、ジャンジャック・カントロフ氏の下で学ぶ。1977年帰国後、国内外の国際アカデミーで研鑽を積み、その後、江藤俊哉、豊田耕兒各氏に師事。1985年日本演奏連盟主催「えんれんコンサート」を経て、室内楽奏者としての活動を開始。同連盟の20周年記念フェスティバルに出演。現在スズキ・メソード指導者およびティーチャートレーナー、国際スズキ協会(ISA)ヴァイオリン科委員。