才能教育研究会を、次の80年へつなぐ10年間
才能教育研究会(公益社団法人)の代表理事を退任するにあたって
総会後に開かれた理事会では、黒河内新理事長と、引き続き会長を務められる東誠三先生による新しい体制が発足しました。後述するように、法人運営の責任者である理事長と、音楽教育の責任者である会長という二人体制は、2024年8月に始まった仕組みですが、この2年間で大きな混乱なく定着しました。会の運営に長く携わってこられた黒河内新理事長と、指導の現場を知り尽くした東会長。このお二人に、安心して会の将来を託すことができます。どうか皆さん、新体制をこれまで以上に温かく支えてください。
退任にあたり、この10年間に会にとって重要だったこと、そして私が重要だと考えて取り組んだことを、年を追ってご報告します。少し長くなりますが、マンスリースズキはアーカイブとしての役割も持つメディアですので、記録を兼ねてお付き合いください。
■ 2016年 第5代会長に就任
8月22日の定時総会後の理事会で、鈴木裕子第4代会長の後任として第5代会長に就任し、全国の会員の皆さんにビデオレターでご挨拶をしました。私は幼少期に鈴木鎮一先生に師事し、1964年の第1回テン・チルドレンツアーにも参加しました。物理学者として過ごした後、育てていただいた会に恩返しをする番だと考えての就任でした。就任直後から全国各地に足を運び、指導者の皆さんとの懇談会や保護者向けの講演会を重ねたことを、懐かしく思い出します。振り返れば、この10年は、時代の要請に合わせて会の運営や体制、そして体質を変えていくことの連続でした。
■ 2017年 外部評価委員会、東京大学との共同研究、カセットテープの廃止
1月、東京大学の酒井邦嘉教授との5年計画の共同研究「脳科学が明らかにする言語と音楽の普遍性」を開始しました。スズキ・メソードの教育を科学の目で捉え直す試みです。4月23日には、会の70年の歴史で初めてとなる外部評価委員会を開催し、外部の7名の委員から会の運営についてご意見をいただきました。
そして秋の卒業録音から、長年使われてきたカセットテープを廃止しました。慣れ親しんだ仕組みを変えるのは思いのほか大変でしたが、これが後の卒業録音のオンライン提出への第一歩となりました。
■ 2018年 指導者養成の新体制、9年ぶりのグランドコンサート
春、松本の「国際スズキ・メソード音楽院」を閉鎖しました。長年、入学者数が低迷し、大きな赤字を抱えていたためです。苦渋の決断でしたが、代わって「担当指導者」による若手指導者養成の体制に移行しました。指導者を志す人が松本に移り住まなくても、全国各地の経験豊かな指導者のもとで学べる仕組みです。
4月4日には、鈴木鎮一先生生誕120周年記念の第54回グランドコンサートを、9年ぶりに両国国技館で開催し、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)と高円宮妃久子殿下のご臨席を賜りました。国内から約2,000名、海外からも約40名が参加し、エル・システマジャパンの相馬・大槌の子どもオーケストラとの共演も実現しました。6月5日には、本会が学術芸術文化功労団体として長野県知事表彰を受けました。8月1日にはエル・システマジャパンと事業協力協定を締結。就任からの2年間で財務の改善も進み、長く続いていた赤字体質から8,000万円の黒字決算へと転じました。
■ 2019年 指導者養成を全国へ、そしてISAでの役割
1月、松本で第1回スズキ教育法研究会を開催しました。指導歴20年以下の指導者に焦点を当てた研究会で、私が基調講演をした後、若い先生方が舞台の上で車座になってのフリートークが始まりました。前年に切り替えた指導者養成の新しい仕組みを根づかせるため、この年は名古屋や金沢をはじめ各地に足を運び、説明会と講演を重ねました。6月の全国指導者研究会(松本)では、東京大学の酒井邦嘉先生、フルート科特別講師の宮前丈明先生と「音楽教育と脳科学」の鼎談を行ない、共同研究の第一段階の成果を会員の皆さんにご報告しました。
各地の講演で私が繰り返し申し上げたのは、鈴木先生が「練習」ではなく「お稽古」という言葉を使われたことの意味です。「稽」には「考える」という意味がある。ただ繰り返すのではなく、考えてお稽古してください ― 翌2020年の新春メッセージ「一年の稽(けい)」も、この話の続きでした。
10月、マドリードで開かれた国際スズキ協会(ISA)の理事会に出席しました。20年にわたってISA会長を務められた豊田耕兒先生が退任され、2021年から私が議長を務めることが、この理事会で決まりました。あわせて、日本でTeacher Trainer会議を開催する打診を受理しました。これが4年後の松本開催につながります。
■ 2020年 パンデミック ― 「おけいこを止めない」ための大転換
2月24日、最初のビデオメッセージを公開して3月末までの主催行事の中止を決め、以後6月1日までに5回のビデオメッセージを重ねました。組織運営の面で特に大きかったのは、3月に、本部から指導者への一斉連絡を、それまでのメール・FAX・郵便の3本立て(受け取る先生方のご希望に応じて併用)からメールに統一したことです。地味な変更に見えるかもしれませんが、これで本部からの情報が全指導者に同時に確実に届くようになり、以後、Zoomでの会議やレッスン、SlackやSalesforceといったオンラインツールの全面的な活用へと舵を切る土台になりました。
6月1日には全国指導者研究会を初めてオンラインで開催し、519名が参加しました。理事会のオンライン化、4月・5月分の会費の免除、才能教育通信のホームページ版化、事務職員の在宅勤務 ― どれも前例のないことでした。夏期学校が中止となった夏には、代わりに「おうち夏祭り」をオンラインで企画しました。
■ 2021年 会員「マイページ」の完成、そしてISA議長に
対面で会えないコロナ禍の期間を逆に活かし、関係者が一度も顔を合わせることなく、オンラインだけで会員向け「マイページ」システムを開発し、完成させました。1月から会費の収受に使い始め、卒業録音の提出、夏期学校などの申込といった業務も順次オンライン化されました。事務局員の人数が漸減する中でも、事務局の仕事が滞りなく回る体制が整いました。
この年、私は国際スズキ協会(ISA)の議長に就任しました。才能教育研究会(TERI)から議長を出すのは、2011年から2013年まで務められた紿田英哉さんに次いで二人目です。ISAでの10年間の仕事については、6月末のISA理事退任のご報告に詳しく書きましたので、そちらをご覧ください。
8月には、鈴木裕子前会長が逝去されました。私を才能教育の理事にと誘ってくださった方です。追悼文に、「鈴木鎮一先生の国際的な知的財産」を「前会長から引き継いだ宿題」と書きました。この宿題については、最後にもう一度触れます。
■ 2022年 共同研究の成果、リーダーシップが交代できる仕組み
1月、東京大学との共同研究の最初の論文が英国の脳科学専門誌Cerebral Cortexに掲載され、酒井教授とともに記者会見を行ないました。5月には毎日メディアカフェで、酒井先生、宮前先生とともに一般の皆さんに成果をご報告しました。12歳から17歳の98名を対象とした調査で、幼少期から楽器を学んだ子どもたちの脳の働きに違いが見られる ― 鈴木先生が最初からおっしゃっていた母語教育の大切さが、科学の言葉で語られた最初の一歩です。ただし私は、これを「万能薬みたいに効きます」という形では使わないでほしいと、その場で申し上げました。
8月22日の総会では定款運用規程を改定し、会長(代表理事)の任期を「就任から5期10年」と定めました。トップが交代できる仕組みをルールとして持つことは、組織の健全性の要です。今回の私の退任も、この規程に沿ったものです。
また8月と12月には、保護者の皆さんとオンラインで直接語り合う「ネット交流会」を始めました。第1回のテーマは「おうちお稽古」。77名の参加、47件の事前質問に、一つずつお答えしました。コロナ禍で整えたオンラインの仕組みが、本部と会員の距離を縮める道具にもなりました。11月には、本会が文化庁の「令和4年度地域文化功労者文部科学大臣表彰」を受彰しました。長野県のご推薦によるもので、団体としての大臣表彰は会として初めてでした。
■ 2023年 世界のスズキが松本に集う
10月13日から15日まで、第3回国際スズキ指導者研究会(国際ティーチャー・トレーナー会議)を松本で主催しました。海外22ヵ国から106名、国内から126名、見学者を含めて計約250名が参加。2019年のマドリード開催の2倍以上の規模です。パンデミックを乗り越えて世界各地の仲間と松本に集い、「スズキの先生の資格とは何か」を三日間かけて議論しました。引き続いて才能教育会館で開かれたISA理事会は、4年ぶりの対面開催となりました。
この年は、ピアノ科卒業式が4年ぶりに各地で対面開催され、7月には夏期学校も4年ぶりに松本に戻ってくるなど、対面での活動が本格的に戻ってきた年でもありました。
■ 2024年 理事長と会長の分離 ― この10年で最も大切な決断
公益法人の経営の責任者と、スズキの音楽教育の理念・実践の責任者。この2つを1人の「会長」が担う体制では、会のこれからの運営は難しい ― それを在任中に強く実感しました。かなりの時間をかけて準備を進め、2023年8月の総会で定款を改定、2024年6月1日の新定款施行で私の肩書がいったん「理事長兼会長」となり、同年8月21日の総会後の理事会で、法人運営を担う理事長(早野)と、教育を担う会長(東誠三先生)の二人体制が発足しました。きっと将来、「あの時、分けておいてよかった」と評価していただけると信じています。
■ 2025年 共同研究の第2弾、そして80周年への助走
3月27日、東京大学との共同研究の第2弾を記者会見で発表し、論文は4月2日にCerebral Cortex誌に掲載されました。中高生を対象に、曲を音源で聴いて覚えた場合と楽譜を読んで覚えた場合を比べたもので、一週間ほどの短い練習では、音から入るほうがその曲を正確に把握できるという結果でした。文字ではなく音から入る ― スズキ・メソードの母語教育法の核心にあたるところです。この第2弾は、東会長が発案の段階から加わってくださり、「一週間」という期間の設定も東会長のご提案でした。理事長と会長を分けたことが、こういう形で実を結びました。共同研究はその後も続き、第3弾(音楽と言語のアーティキュレーションの共通性を調べるもの)が、2026年5月ごろまでの予定で進められました。
一年を通しては、翌年の創立80周年グランドコンサートに向けて助走した年でした。1月の新春メッセージにも「グランドコンサートに向けて助走する一年」と書いています。
■ 2026年 創立80周年 ― 2,000人の大合奏
3月27日、TOYOTA ARENA TOKYOで創立80周年記念第55回グランドコンサートを開催しました。8年ぶりの開催です。海外からの37名を含む2,000人による大合奏、そしてフィナーレの「キラキラ星」。3,100人を越す聴衆とともに、会場全体が大きな感動に包まれました。80年続いてきたこの会の未来を、確信させてくれる一日でした。
■ 10年をふりかえって
たまたま、さまざまな困難に直面する時期に、会のトップを担うことになりました。その中で、時代の要請に合うように、会の運営や体制、そして体質を変革することに力を注いできました。大幅なコストダウンも行ない、この10年間、会費を据え置いたまま健全な財政を保つことができました。
一方、かえすがえすも残念なのは、コロナ禍という要素があったにせよ、会員の減少傾向を完全に止めることができなかったことです。本年の年次報告書の東会長との対談でも申し上げましたが、私は、会員数の課題は「ファンづくり」、堅く申せば「支援層を厚くする」という課題に置き換えられると考えています。創立80年は、単なる沿革ではなく、数多くの卒業生が積み重なっているということです。昔の卒業生に振り向いてもらい、今の生徒さんにいつの日か「スズキ・メソードで育ってよかった」と感謝してもらう。この宿題を、新しい体制に託します。
ISAについても、ここで一度まとめておきます。理事を務めたのは2016年からの10年間で、2019年から副議長、2021年から議長(特例で1年延長され2024年6月まで)、その後ふたたび副議長を務めました。この間、力を注いだことの一つが、鈴木鎮一先生の楽譜と録音をめぐる権利関係の整理です。TERI、ISA、米国の出版社の間で長い年月のうちに複雑にからまった経緯をほどくのに、正直なところかなり苦労しました。2023年10月、松本でのISA理事会で、鈴木先生が亡くなられてから長い年月が経ち著作権や演奏権の保護期間は実質的に終了しているはずだから、この音源を「コピーライト・フリー」として世界中のスズキファミリーが無料で使えるようにすべきではないかと提案し、理事全員の賛同を得ました。そして本年2月、鈴木先生の命日に合わせて、指導曲集第1巻から第3巻の音源、鈴木クワルテットの録音(1935〜38年)、1928年録音のフランクのヴァイオリン・ソナタが、ISAとAlfred Musicから世界に向けて無料で公開されました。鈴木裕子前会長から引き継いだ宿題に、ひとつ答えを出せたと思っています。なお、TERI選出理事は退任しましたが、地域選出ではない理事(At-Large Director)・副議長として、引き続き世界のスズキとTERIをつなぐ役割を担ってまいります。
「どの子も育つ」という理念の普遍性、時代に合わせて自らを変えていく柔軟さ、そして次の世代へ着実に引き継ぐ努力。この3つが揃って、はじめて会の歩みは続きます。10年間、本当にありがとうございました。総会後の理事会で顧問という肩書きをいただきましたので、これからは顧問として、創立100周年へ向かう会の歩みを見守り、応援してまいります。
早野龍五様
10年間、本当にありがとうございました。
今回、退任にあたって寄せてくださった文章を拝読し、改めて、この10年間にどれほど多くのことを成し遂げてこられたのか、その歩みの大きさに圧倒される思いがしました。
財政の立て直し、外部評価委員会の導入、東京大学との共同研究、指導者養成制度の改革、そしてコロナ禍での迅速なオンライン化。さらに、理事長と会長の役割を分け、次の世代へ無理なくバトンを渡せる組織へと仕組みそのものを変えていかれました。そして創立80周年、第55回グランドコンサートという大きな節目を見届けてのご退任です。
振り返れば、それは単に新しいことを次々に始めた10年間ではなく、「変えるべきものは変え、守るべきものは守る」という、早野さんならではの仕事の積み重ねだったように思います。
そして今回の文章には、その一つひとつの歩みを伝えてきた「マンスリースズキ」の記事へ、たくさんのリンクを張ってくださいました。毎月の記事を作る側にいる者として、これほど嬉しいことはありません。日々の出来事を記録し続けてきた記事が、10年という時間を振り返るための「アーカイブ」として役立っている。そのことを、今回改めて実感することができました。
中でも印象深いのは、鈴木裕子前会長から引き継いだ「宿題」と記された、鈴木鎮一先生の歴史的音源の世界への無料公開です。長年複雑に絡み合っていた問題を一つひとつ解きほぐし、世界のスズキファミリーへと開いていかれた仕事は、過去の遺産を保存するだけでなく、未来へ手渡す仕事だったのだと思います。
スズキでの要職を退任されても、静かにされている姿は、なかなか想像できません。
きっとまた、これまでとは違う立場から、人と人を結び、科学と音楽を結び、日本と世界を結びながら、新しい「場」をつくられることでしょう。そして、そこで生まれたものが、いつか再びスズキ・メソードの未来ともつながってくる化学反応があるような気がしています。
代表理事としての10年間、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
これから始まる早野さんの「次の10年」を、心から楽しみにしています。